プラネタリウムのパイオニア★東日天文館

東日本初のプラネタリウムが設置された有楽町の東日天文館(毎日天文館)、閉館60年にS13年から6年半の活動を追う

東日会館(毎日会館・毎日新聞ビル)

2005年04月05日 | Weblog
有楽町駅前に昭和13年竣工。

旧住所表記で東京市麹町区有楽町1-11番地
現在の東京都千代田区有楽町1-12-1の一部
(現在のビッグカメラの西向=新有楽町ビル敷地の一部)

出資は大毎新聞と東日新聞。建物工費203万円。
設計施工は大倉土木株式会社(今の大成建設)。
会館工事に関しては大阪市技師 新名種夫(電気科学館設計)が関与。
RC造、敷地面積508.405坪、建築面積449坪、延床面積3541坪。
最後部高さ113.52尺(1尺=303㎜)。地下1階、地上八階建、屋上有。
外壁は2センチ角の黄色と青色のモザイク貼り。

地階 舞台付ホール(映画上映可)=東日児童文化映画劇場
一階 優良物産の売店、喫茶室(終戦後は住友銀行)
二階 貸事務室
三階 東日新聞編集局
四階・五階 貸事務室
六階 天文館(=天象儀室、終戦後は毎日ホール)、天文科学館、休憩室、
    会館事務室、電話交換室、貴賓室
七階 貸事務室
八階 社団法人 日本工業会 (ドーム周辺は七階まで)
屋上 昇降機械室、水槽 

設備 エレベーター 中央に12人乗、三台。他2台。
   給水、空調設備有り

天文館概要 ドーム直径20m、高さ18m、座席数600席弱、
      プラネタリウム(天象儀)はカール・ツァイス社Ⅱ型

以上「東日70年史(昭和16.5.15発行)」に補記
東京日日新聞は昭和18.01.01、以前から資本の入る大毎新聞と共に、
毎日新聞に社名変更。東日天文館も毎日天文館に変わり、
東日会館も毎日会館に変わる。70年史以降詳しい社史は出ておらず
毎日新聞の社史に一部記載はあるが天文館に至っては確認出来ない。

写真は竣工当時の外観
有楽町駅に向けて電光掲示板設置。駅との間にある今のビッグカメラの
敷地建物が平屋だった為、当時の記録記事には駅から電光掲示板の
ニュースが見えた記述が有る。
なお電光掲示板は会館北側の旧社屋にも以前からあった。
写真右側のビルは大正11年の旧社屋、その右は大正5年の旧々社屋。
震災・戦災をくぐりぬけるが、高度成長の影に消える。
会館の敷地は、それまでは平屋の建つ日本製麻会社の敷地。

会館は昭和20年被災、天文館を失うが、会館は終戦後も毎日新聞ビルと
呼ばれ遺る。その間の写真もいくつか残っている。
昭和42年、新有楽町ビル建設に伴い解体される。

次回は会館内部。
天文館をなぜ東日新聞社が設立することになったか沿革については
別に機会に譲る。

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