画像上段、昭和17年4月リーフレット
「北緯五十度より南緯三十五度まで」(井田桂一)
プラネタリウムプログラム<樺太から満州まで>兵用の解説。
開館から3年間、入館料は大人50銭、小人25銭と一定だったが
昭和17年になって団体割引しかなかった軍人・青年学校生徒は
一律25銭、小人は10銭になっている。
画像下段左から、「天文讀本」重版表紙
昭和17年6月20日発行重版、A5サイズ、114ページ、30銭、発行1万部。
最新版とあるが内容は昭和14年と同じ。あえて違う箇所をあげる。
①広告(東芝・クラブ歯磨・ツァイス望遠鏡)なくなる
②最終頁の編纂のことば、なくなる
③本の高さが1センチ縮まる
下段中、<天文讀本>重版裏表紙「売店案内」
昭和16年と比べると<天界通信>が無くなり、14年と同じになっている。
下段右、<天文讀本>初版裏表紙「ツァイス天體用望遠鏡」広告
同じ広告は前回の<星と宇宙・改訂版>背表紙にも載る。
会社ロゴマークはZEISSⅡなどにあるマークをもじっている。
<カール・ツァイス東京>は、丸の内郵船ビルとあるので東日会館跡から近く
歩いていけるところだ。どちらも現在は、その場所に無い。
東京日日新聞社は天文館開館前後に、<大ドイツ展覧会>の協力
<ヒットラーユーゲント(ナチスの青年団)>の来日歓迎会主催などの
ドイツ贔屓で、天文館開館式にはドイツ大使館からオット大使の代理人も
出席し祝辞を述べている。
科学啓蒙というなら莫大な金額をドイツのツァイスのみに、かけるより
巾広く他分野にも予算を使う方が自然だ。ツァイス導入にはいくつかの
理由があると思うが、ひとつにはドイツ贔屓の時勢や社風もあっただろう。
ツァイス社はこの後、分裂・統合の変遷を経る。カメラレンズはプレミアも多く
現在でもSONYサイバーショットなどデジカメにも使われている。
「北緯五十度より南緯三十五度まで」(井田桂一)
プラネタリウムプログラム<樺太から満州まで>兵用の解説。
開館から3年間、入館料は大人50銭、小人25銭と一定だったが
昭和17年になって団体割引しかなかった軍人・青年学校生徒は
一律25銭、小人は10銭になっている。
画像下段左から、「天文讀本」重版表紙
昭和17年6月20日発行重版、A5サイズ、114ページ、30銭、発行1万部。
最新版とあるが内容は昭和14年と同じ。あえて違う箇所をあげる。
①広告(東芝・クラブ歯磨・ツァイス望遠鏡)なくなる
②最終頁の編纂のことば、なくなる
③本の高さが1センチ縮まる
下段中、<天文讀本>重版裏表紙「売店案内」
昭和16年と比べると<天界通信>が無くなり、14年と同じになっている。
下段右、<天文讀本>初版裏表紙「ツァイス天體用望遠鏡」広告
同じ広告は前回の<星と宇宙・改訂版>背表紙にも載る。
会社ロゴマークはZEISSⅡなどにあるマークをもじっている。
<カール・ツァイス東京>は、丸の内郵船ビルとあるので東日会館跡から近く
歩いていけるところだ。どちらも現在は、その場所に無い。
東京日日新聞社は天文館開館前後に、<大ドイツ展覧会>の協力
<ヒットラーユーゲント(ナチスの青年団)>の来日歓迎会主催などの
ドイツ贔屓で、天文館開館式にはドイツ大使館からオット大使の代理人も
出席し祝辞を述べている。
科学啓蒙というなら莫大な金額をドイツのツァイスのみに、かけるより
巾広く他分野にも予算を使う方が自然だ。ツァイス導入にはいくつかの
理由があると思うが、ひとつにはドイツ贔屓の時勢や社風もあっただろう。
ツァイス社はこの後、分裂・統合の変遷を経る。カメラレンズはプレミアも多く
現在でもSONYサイバーショットなどデジカメにも使われている。
こちらのフリーメールにご連絡頂けませんか?
s13zeiss@mail.goo.ne.jp
発行されたのでしょうか?
手持ちの物は昭和17年5月15日
発行ですが、内容は、4月5月6月の
天文の話で、殆どの現象が事後報告的と
なってます。 6月以後は広告から消えたとの
事なので、比較的最後の方の発行だったのでしょうか?
星と宇宙 昭和13年発行のものの
裏表紙のZEISSの広告は 東京にZEISS
プラネ登場とプラネタリム投影機と技師の
挿絵が出てます。