湘南ゆるガシ日和 ・・・急がず、休まず

湘南でゆるゆら暮らしココロ赴く先へガシガシ出かけるライター山秋真が更新。updated by Shin Yamaaki

6月の空はさみしい

2009-09-09 13:31:25 | 日記
葬儀の電話連絡がはいった。近所の友達の。
何かの間違いではないかと思い、彼の家族に電話した。
間違いではなかった。亡くなったのだという。
…どうして? 
わからない。発見されたのは昨日。
…「発見」!?

何がおこったのかと、彼の家に駆けつけた。
結婚して他県に住む彼の姉夫婦が来ていた。

5年前に母親が、2年半前に父親が亡くなり、
以来、彼は一軒家にひとり暮らしだった。
自宅や幼稚園で絵の教室をしながら、ひとりで絵を描いていた。
3ヶ月前に結婚し、人と一緒にご飯を食べる幸せを語っていたのは、
つい先日のことだ。なぜ、ひとり暮らしの数年間でなく、
同居人を得たいま、「発見」されるような死に方を
しなければならなかったのだろう。

発見現場は、彼の自宅から徒歩数分の祖父母宅にあるアトリエ。
…なぜ祖父母宅のアトリエ? 自宅にもアトリエはあるのに。
彼をかわいがっているという祖父母は、存命だが今では施設にいて、
祖父母宅は空き家だというのに。

発見者は、彼の叔母(祖父母の末子)。
祖父母の成年後見人を依頼した弁護士が一緒だったらしい。
見つけた遺体は損傷が激しく、本人とわからないような顔だったとか。
死後どれほど経過していたのか分からない。

発見現場のアトリエには鍵がかかっていたという。
…アトリエに鍵? 
約1年前、彼がフランスへ半年間いって留守だった時でさえ、
自宅のアトリエへの出入り口や風呂場の窓は鍵をかけ忘れていたのに?

死因は、くも膜下出血と聞く。
…27歳で?

分からないことばかりで、私は混乱している。
分かるのは、彼はもういないということだけ。
いつも洗濯物をほす軒下に脚長蜂が巣づくりをはじめたとき、
退治しに来てくれたのが、彼と会った最後になってしまった。
ダウンジャケットを着てメガネとマスクと帽子と軍手で
完全防備していた私をみて、大うけしていた。

彼が19歳のころ始まった母親の闘病生活。
母親の死後は、常識人とはいいがたかった父親との暮らしの葛藤。
画家だった父親の遺体を発見したのは、24歳の彼だった。

父親の死後は、孤独と向きあうように絵を描いていた。
年に1、2回、かきためた絵を見せてくれた。
祈りのような風景画が好きだった。
今年の正月には、手作りの額に入れた天使の絵をくれた。
彼の心に平和が訪れるようになったことを感じて、うれしかった。

思いつめるように生きていた彼に、
「焦るな、まだ20代半ばなんだから、 これからだよ」
と、声をかけてきたように思う。

ごめん、
「これからだよ」と思ったからそう言ったのだけれど、
「いつ死ぬか分からない」と思って生きてるわたしも、
生き焦っているのかもしれないのにね。

………でも、まだ27歳、これからだったのに。
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