元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

王子界隈の散歩道

2007-10-27 11:27:35 | ウォーキング

日時;2006年11月30日
天気;午前小雨、午後晴れ
参加者;13名
※文中の大きな写真(500×375)は、メンバーの H.W.Moon さんからの提供です。

コース】(*印トイレ有り)
 王子駅*(8:15)→(8:22)装束稲荷神社(8:35)→(8:43)王子稲荷神社(9:00)→(9:03)*名主の滝公園(9:18)→(9:35)*紅葉寺(9:41)→緑の吊橋→音無橋→(9:57)*音無親水公園(10:08)→(10:15)*飛鳥山公園(10:24)→(10:32)*飛鳥山博物館(11:00)→(11:05)西ヶ原一里塚→七社神社(11:12)→滝野川公園(11:20)→(11:27)平塚神社(11:35)→地震の科学館→(11:45)旧古河庭園(12:16)→(12:22)*ジョナサン(昼食)(1:15)→(1:22)妙義神社(1:28)→(1:36)染井稲荷(1:40)→大師道標石(1:45)→十二地蔵(1:50)→(1:55)*染井霊園{二葉亭四迷、岡倉天心、高村光雲}→慈眼寺{芥川竜之介}(2:40)→(2:45)高岩寺{とげぬき地蔵}(2:56)→(3:00)真性寺{六地蔵、芭蕉句碑}(3:07)→(3:12)*巣鴨駅


    歩いたコースを goo の地図に「ペイント」でなぞりました。

案内】JR王子駅を降りたら、人々が傘をさしていた。先ずは装束稲荷は何処かと、地図を片手に小雨の中を歩き出した。大通りから少し入った所の狭い敷地にあった。だが、あの安藤広重の「王子装束えの木・大晦日の狐火」の絵が紹介されている舞台で、絶対にないがしろにできない大事な神社。大きな榎の木、満天の星の絵ですね。地元の人は大晦日の夜に此処に集まり、装束を調え、王子稲荷まで「王子狐の行列」を現在も続けていると言う。

    

 王子稲荷へはJRの鉄路が邪魔して遠回りをしなければと覚悟したが、うまい具合に横断地下道を見つけることが出来た。王子稲荷は予想よりはるかに立派な神社で、大晦日には地元の「王子狐の行列の会」が、ここまで行列してくるわけだ。
 なるほど、関東稲荷神社の元締めということはある。平地ではないが敷地もかなりある。幼稚園児の登園時間と重なったが、あと1分で閉めますが、今ならどうぞと言われ、正面の大鳥居から幼稚園の敷地を通って、本殿前に出た。拝殿には立派な天井絵があったり、近年まで住んでいたと言う「狐の穴跡」というのもある。

 

 名主の滝公園も予想に反して、奥ゆかしい自然が残されている見事な公園。水辺の森の中の散歩道が素晴らしい。今は水が落ちていないが、ところどころに滝が作られている。鬱蒼とした森の中の散歩で、予想外の時間をとられた。でも、近くで車の音がしなければ、都心とはとても思えない。夏もいいと思う。
 そこを出て何となく左に曲がり、道路455号を横断し、自衛隊の近くまで進み、出た道を左に曲がって、どんどん歩いた。そしたら、王子本町3という信号に出た。その前の川(石神井川)を渡ると右手に立派なお寺があって、紅葉寺だという。
 庭が良く整備されていて、色づいた樹木もあるし、風変わりな石仏なども幾つかあ
った。↓

 すぐ前の紅葉橋から音無橋までは、川沿いの遊歩道ができていて、音無桜緑地、緑の吊橋、正受院などがあり、良い散歩道だ。終点の信号・音無橋は交通の要所となっている。我々は橋を渡り、流れに降りた。ここが音無親水公園だ。この辺は石神井川が音無川と名を変えるところのようだ。現在はこの親水公園に名残を留め、流れは地下にもぐるようだが、昔は飛鳥山の麓を流れ下っていたのだろう。

 親水公園から上の大通りに上がって見たが、目の前の飛鳥山に行く方法が分からない。200mくらい歩いて、信号・飛鳥山の前の歩道橋を渡った。飛鳥山に到着したころから雨が降ってきた。止むを得ず、時計塔の背後の東屋みたいな所でしばらく雨宿り。

 なかなか止まないので、小雨の中を歩き出した。「飛鳥山の碑」の前で立ち止まる。飛鳥山は将軍吉宗が庶民の行楽地として認めた桜の名所。江戸の浮世絵師も好んで題材にした場所だ。幕府のお墨付きなので、江戸庶民は心置きなくピクニックできたのだろう。説明版にそう書いてある。
 飛鳥山には旧都電の車両やD51機関車の実物が、閲覧用に置いてある。その後ろに3つの博物館がある。霧雨が未だ止まず、休憩も欲しかったので、飛鳥山博物館にお世話になった。拝観は一部を除いて無料であった。ついでに、そこのロビーで軽い打合せをする。兎に角、助かった。ほっとする施設だ。

 飛鳥山を下り、本郷通りを行くと西ケ原一里塚に出会う。現在榎が植えられていて、説明板も左手にある。ここは日光御成街道の、日本橋から二里目にあたる所だとのこと。他の一里塚は、現在はほとんど残っていないそうです。そこから左に入ると七社神社。イザナギから応神天皇まで祭つられ、7名の合祀。イチョウの木は雄大で立派。 
 財務省印刷局滝野川工場の前を過ぎ、病院の先に滝野川公園があった。やや奥まった所にあったが、そこを訪れた。

 次は旧古河庭園。65歳以上ということで、旧古河庭園へは一人70円で入る。霧雨交じりではあるが、紅葉は真っ盛り。陽射しがあればいい写真が撮れたのにと悔やまれる。

 

 そこを出るとき時計を見たら、もう12時を回っている。地図を見ても近くに適当な店が無い。受付に訊いたら、我々の進むほうにジョナサンがあるという。

 やれやれ、そこで13名、やっと昼食。 
 昼食後、本郷通りと分かれて女子栄養大の前の道に入る。妙義神社は太田道灌ゆかりの地。前にアセンブリー・オブ・ゴッドなるキリスト関係の学校があり、教会の尖塔が絵になる。駒込小そばの分かりにくい道をコの字に回ると、染井稲荷神社に出る。この辺は桜のソメイヨシノと関係がある地名だそうな。神社隣りの西福寺には江戸幕府お抱えの庭師・伊藤政武の墓があるとのことだが、広い墓地のどこにあるのか分からない。探すのもカッタルイのでカット。 
 ようやく、染井通りに着いたらしい。角に大師道標石があり、そこを右折。東京スイミングセンターの前を行くと、十二地蔵が前方右手の道端に並んでいた。

 東京都染井霊園は広いので、二葉亭四迷、岡倉天心、高村光雲夫妻と辿ったが、宮武外骨は分からず。芥川竜之介は慈眼寺にあることが分かった。本妙寺の遠山金四郎、千葉周作はカット。霊園の塀沿いの道を人に尋ねながら白山通りに出ることができた。そこを横断して、とげぬき地蔵のある高岩寺に。

 地蔵通りを塩まんじゅうを買いながら大通りへ。出た所が真性寺の門。六地蔵というから、地蔵が6体あるかと探したが無い。6体のうちの1つであると説明。しかし、こんな大きな銅製のものが、よく戦時中に供出されないで済んだものだと思った。この前の芭蕉の句碑はよく読めない。
 
 当初の予定では、この後、六義園から田端文士村へと歩くことになっていたが、この日は無理と判断してカットした。
 万歩計では2万歩を越えたという、メンバーからの報告があった。     


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