元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

清房院(船橋市飯山満)に刻まれた小野田寛郎の歌碑

2015-09-30 12:09:08 | ウォーキング

日時;2015-09-29
天気;晴れ
同行者;鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー7名
参考;(新京成)前原駅から滝不動へ

徒歩コース(6.5キロ)とタイム--*トイレ
  薬円台駅(8:35)→(8:55)田喜野井公園*(9:20)→(9:35)前原御岳神社(9:40)
→(10:05)大宮神社(10:10)→(10:20)飯山満緑地公園(10:35)→(10:40)清房
院(10:50)→(11:05)ゆるぎ地蔵(11:10)→(11:15)東葉高・長屋門→(11:20)
薬師堂(11:25)→(11:30)東福寺(11:35)→大宮神社→(11:50)光明寺*(12:00)
→(12:05)王子神社(12:10)→(12:25)中華店[昼食](13:10)→(13:20)倶利伽羅
不動尊(13:30)→(13:35)八百屋買物(13:45)→(13:50)薬円台駅


薬円台駅から歩いたコース(Google地図+"m-241"GPS軌道+"ペイント"で作成)

●田喜野井公園---昔来たときと異なり、公園は住宅にびっしりと取り囲まれていた。

●前原御嶽神社---3葉の松という巨木があり、その松葉は葉が3つに分かれていた。 


飯山満周辺拡大図(カシミール3D地図+"m-241"GPS軌道+"ペイント"で作成)

飯山満緑地公園--自然を生かした良い公園だ。ただ、休憩していても藪蚊の攻撃には、
   一同参った。この谷の向こうに清房院がある。

清房院--佐藤栄作と小野田さんの碑

 
占領軍に禁止された「大東亜戦(争)」という表現に注目。//小野田さんは昭和五十年に清房院を訪れて歌を残している。その際、住職に彼の軍刀を預けたので、現在も当所の家屋に大切に保管されているとのことだ。
 歌碑の文字は次のように読めたが--「まいぞよ」でいいのか自信が無い。
『日の本は 飯山満に咲いた五月花 散らすまいぞよ 大和武士なり』 --小野田寛郎

 靖国神社ならわかるが、何故、清房院なのか?
 「知り合いの関係で」と言ったそうだが、そんなものではないだろう。軍刀といえば、武士の
魂だ。小野田さんは真実を隠したまま、軍刀を置いていったのだ。
 壱千弐百万以上の犠牲者に捧げた佐藤栄作の書も、なぜ此処にあるのか謎だ。 

 
ゆるぎ地蔵--瀟洒な建物に収まっていた。    東福寺近くの民家の庭で。

●東葉高校・長屋門--東葉高校の前身は、昔船橋にあった女学校だろう。
 この地の裕福な名主の土地を買い取ったようだ。だから、見事な長屋門があり、どうや
 ら生徒はこの門を正門として利用しているようだ。映画の鞍馬天狗なども、此処で撮影
 したと書いてある。

●薬師堂--札所巡りの一つらしいが、建物は朽ちかけていて、彼岸花が滅びの美を際立
       たせていた。何となく、撮影隊も利用したのでは、と想像を巡らした。

●中華店--薬円台駅周辺には食事処が無いので、ここを利用したが、味噌ラーメン650円
  にはチャーシューが入っていなかった。

●倶利伽羅不動尊--木曽義仲率いる源氏と、それを迎え撃つ平家軍との戦い(倶利伽羅
  峠の戦い)や「火牛の計」を思い出し、倶利伽羅に惹かれて当初に寄った。
  だが、立派な建物はなかった。説明文によると、下の池には湧き水があるという。
  よくみると、なるほど、その通りだ。しかも、この池が前原川の源流だと分かった。

●八百屋--(駅に向かって)道路の右手に、昔ながらの八百屋があった。安いので女性軍
   に足止めされ、購入が終わるまで待った。ここで買った枝豆は夕食の酒の摘まみに
   なったが、とてもうまかった。 

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