黄砂かと思いネットで調べましたが黄砂ではないようでした。
湯の坪街道も昨日までの満腹状態と違い、やや空腹状態でした。
近くの家も靄のせいで遠くに見えます。
香椎荘の由来について香椎荘の入口に案内板があります、その案内板には以下のことが書かれています。
この香椎荘は、今は亡き陸軍中将、香椎浩平氏が氏の別荘として建てたものであります。
この館は、かつては政界の要人や軍部の要人との深い語らいの場であり、また香椎中将自ら武人としての思索の場でもありました。部屋の造りや築庭の姿に往時を偲ぶものがあります。
香椎中将(明治14年1月25日生~昭和29年12月3日永眠)は、かつての二、二六事件が勃発した時、戒厳司令官を拝命し、命を賭して叛乱軍を鎮定してその重責を全うしました。
(注)二、二六事件(2.26事件)
昭和11年2月26日赤明、陸軍第一師団歩兵第一連隊、歩兵第三連隊の一部将兵が、陸軍歩兵大尉野中四郎(事件直後自刃)を中心に千数百名が叛乱軍を組織して決起し、首相官邸や大臣私邸を機関銃で襲撃した。
大蔵大臣高橋是清氏、内大臣斎藤実氏、教育総監陸軍大将渡邊錠太郎氏等高官が亡くなられ、その他多数の死傷者が白雪を血に染めた悪夢のような事件であった。
この香椎荘は、亡き香椎中将の意(こころ)を尊重して改変すること無く保存に意を用いております。と
E-620 ZD14-54mm f:5.6~8 ISO200