都民ではないが気になる
山門の由緒書きには下記のようにある
寺伝によれば応安三年(西暦一三七〇年)に創建されたというから歴史は古い。
慶長年間の地震により伽らんことごとく崩壊したが、石垣原の合戦後、当時、由布院を支配した、
細川忠興(ほそかわただおき)の命により、再建されたものである。
全盛時代には、由布院内に末寺が二九もあった、という。キリシタン禁令の折、
転宗のための天罰起請文(てんばつきしょうもん)の中にも請人として、この寺の僧侶の名前が出てくる。
境内には板碑(いたび)が一基ある。豊後の石碑は大友入国で鎌倉の御家人がもたらしたと言われている。
表面には、不動明王をあらわす梵字“カーン”がきざまれている。
「恩讐の彼方へ」で有名な禅海が発起して得度した寺、という伝説でも有名である。」
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