goo blog サービス終了のお知らせ 

坂本龍馬ファンクラブ

われらのヒーロー、坂本龍馬が2010年大河ドラマに!広げよう龍馬の志!

根木勢介さんの「龍馬十景」 ⑥ 脱藩・・・龍馬の魅力

2010-07-16 09:41:11 | 龍馬なんでも情報
龍馬十景 ⑥ 脱藩・・・龍馬の魅力        

                                   根木 勢介




 「龍馬のどこが好きですか」と、よく聞かれる。 龍馬の魅力を解く鍵がある。



 ひとつは「脱藩」。 

勤王の志士といえども、江戸300年の幕藩体制がつくりだした藩意識や、所属する藩から自由でなかった。

勤王の志士の大半が「藩意識」からなかなか抜け出せなかった。 龍馬は早くから土佐藩を捨て「日本」という意識が高く、その視点から行動している。 そこが、近代的な人といわれる所以だろう。


 ふたつ目には、脱藩の所産ともいえる「自由」。 

脱藩後の彼の行動が物語っているが、自由に全国を飛び回っている。 彼の自由さを象徴するのが、倒幕側にありながら幕府側の人とも垣根なく交際している人脈の広さ。


 「垣根」は、自分が作っているんだヨ、と教えてくれているようだ。 後に「龍馬を暗殺したのは、誰か」を推理する上で、問題を複雑にする要因が、その交際の広さだ。


 みっつ目には、龍馬と出会った人が異口同音に言う彼の「ユニークさ」。 

色々な人を訪ね歩いて意見を聞く訪問魔の龍馬。 だが、単なる聞き役ではない「発想の龍馬」の姿がそこにはある。 

所属する藩(今なら会社)や立場にとらわれ自由な発想ができない我々が魅力を感ずるところだろう。


 最後に、彼の海のイメージとマッチした「明るさ」。 

彼の明るい人となりがよく伝わって来るのが彼の残した手紙の数々。

 お龍さんへのラブレターを見たいけど、無いのは残念。

                     龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.161 より転載


根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

坂本龍馬ファンクラブ

根木勢介さんの「龍馬十景」 ⑤ 鏡川・・・龍馬の原風景

2010-07-10 09:20:35 | 龍馬なんでも情報
龍馬十景 ⑤ 鏡川・・・龍馬の原風景        

                                   根木 勢介


 人間は、誰も「故郷」を持っている。 鏡川は、龍馬の生まれ育った所から近く、龍馬の遊んだ川。 高知市を流れ、「影を映すこと鏡の如し」と美しいところから鏡川と命名された。 

写真は、鏡川の土手にある樹齢1000年と言われているクスノキ。 近くには龍馬の父八平の実家もあり、龍馬もこの大木に登ったかもしれない。




 龍馬は訪問が好きで、出会いの達人とも言われる。 百聞は一見に如かずと言われるが、龍馬は「一見の価値」や、さらに百冊の本を読むより、その著者に会って直に話を聞く方が、最も理解できることを知っていた人。 

ただし、受信能力を高めないと理解力は身に付かないし、発信能力(構想力)は、優れた受信能力なしでは生まれない。


 龍馬は、土佐では河田小龍、江戸では勝海舟に出会って、大きな影響を受けたと言われる。 しかし、私は、受信能力の下地は二人に出会う前に既にできていたとみる。 


龍馬愚童説もあるが、信じがたい。 若年の頃より「人に教えを乞う姿勢」が、何も知らない龍馬という愚童説へとつながったのだろう。


 龍馬の生家周辺は、町人社会ともいうべき環境で、世の中が武士だけで構成されているのではないことを理解したのだろう。 


また、若き日よく訪れた龍馬の継母伊与の婚家の里仁井田は、海運・流通業の地である。 海外や国内情報などは、ここで聞いたのだろう。 土佐湾に至る鏡川周辺が、龍馬という人間の原風景を形作っていると、私は考えている。


                  龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.160 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

坂本龍馬ファンクラブ

須崎市の発生寺(ほっしょうじ)・坂本龍馬首切り地蔵

2010-06-14 10:24:30 | 龍馬なんでも情報
須崎市の発生寺(ほっしょうじ)・坂本龍馬首切り地蔵を観光パンフレットから知って、訪問しました。

場所はこちらです。大きな地図で見る






すさきガイド:坂本龍馬首切り地蔵

発生寺には、坂本龍馬が木刀を振って一撃のもとにその首を打ち落としたと言い伝えの残る首切り地蔵と手植えの松がある。







発生寺・坂本龍馬首切り地蔵

私がお気に入りの場所のひとつに発生寺があります。須崎市内発生寺には龍馬が切ったとされる首のもげたお地蔵さんがあります。当時このお寺には勤王の志篤い僧智隆がいて、吉村虎太郎(津野町出身 最初の脱藩者)を中心とする高岡郡下の勤王志士が頻繁に往来したと言います。きっと龍馬もその中にいたのでしょう。ただ、龍馬が発生寺へ来たことについては確かな記録はないようです。・・・・・

発生寺には、お地蔵様のほかに龍馬のお手植えの松があり、現在4代目が植わっています。(広報すさき)須崎にお寄りの際は、ぜひ発生寺にも足をお運びください。



須崎市観光マップ

2007-2009 須崎市観光協会 〒785-0012 高知県須崎市西糺町4番18号
TEL:0889-42-2575(代) FAX:0889-43-2696
URL:http://www.susakishikankou.com/

すさきガイド(携帯サイト)


すさき体験.com

「海」「山」「川」自然豊かな港まち高知県須崎市の魅力がつまった体験メニューをご紹介!

須崎市公式HP



HN:つかさ

須崎市の発生寺(ほっしょうじ)・坂本龍馬首切り地蔵 に関するページ

須崎市内の見所・ウオッチング

須崎市ファンクラブ

HN:つかさ  さんの記事

高知市・柴巻の田中良助旧邸 八畳岩を訪問3

2010-06-01 06:54:07 | 龍馬なんでも情報
高知市上町2丁目から円行寺を経由して、高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問した後、龍馬がよく登ったと言われている八畳岩に行きました。












出典:田中良助旧邸資料館田中邸のすぐ近くに、「八畳岩」と言われる大きな岩があります。
晴れていれば、この八畳岩から太平洋が見えます。龍馬もよくここで、田中良助さんとお酒を飲んだそうです。



高知市HPより高知市田中良助旧邸資料館
近くにある八畳岩の上から高知のお城下を見下ろし,はるか遠くに広がる太平洋を眺めながら,将来について語り合ったといわれています。


HN:史跡探訪者

高知市・柴巻の田中良助旧邸 に関する記事

HN:史跡探訪者 さんの記事

坂本龍馬ファンクラブ

高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問2

2010-05-28 08:50:07 | 龍馬なんでも情報
高知市上町2丁目から円行寺を経由して、高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問しました。

資料館の開館日は毎週金曜日から日曜日、日曜日に訪問したので中へ入る事ができました。

龍馬が当時足を運んだ建物で,現在も形として残っているのは,柴巻の田中良助旧邸だけとのこと、きれいに保管管理されていました。





出典:田中良助旧邸資料館

田中良助さんは、坂本家の所有していた山(坂本山)の管理人さんでした。龍馬もよく訪れていたようです。
田中邸からは龍馬が田中に借金した借用書が発見されたそうです。借用書があるという事は、お金は返してないということですね。
田中はこの借用書が誰かに見つかると、龍馬に迷惑がかかると睨み、ふすまの張り紙の中に隠していたそうです。
また、田中邸のすぐ近くに、「八畳岩」と言われる大きな岩があります。
晴れていれば、この八畳岩から太平洋が見えます。龍馬もよくここで、田中良助さんとお酒を飲んだそうです。
最後にこの場所を訪れたのは27歳秋10月。脱藩が翌年3月のことである。








HN:史跡探訪者

高知市・柴巻の田中良助旧邸 に関する記事

HN:史跡探訪者 さんの記事

坂本龍馬ファンクラブ

高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問1

2010-05-26 17:44:39 | 龍馬なんでも情報
高知市上町2丁目から円行寺を経由して、高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問しました。

友人に事前に道筋を聞いており、北山スカイラインを登りよったら標識があるけ、見落とさんように・・・と言うことでした。






途中幾つか標識もあり、確認しながら登って行くと・・・車は入れませんとあるので、道路の広いところにおいて、歩いて行きました。

後で知ったのですが、車で大きなカーブをまわってもう少し登ると、上から降りてくる道がありました。

そこには大きな看板もあり、車の駐車スペースもありました。







資料館入り口に、こんな看板がありました。

高知市HPより:高知市田中良助旧邸資料館
現在の高知市柴巻にあった坂本家の領地を管理していた田中家の邸宅に,龍馬はよく訪れ良助と将棋を指して楽しんでいたといわれています。

また,近くにある八畳岩の上から高知のお城下を見下ろし,はるか遠くに広がる太平洋を眺めながら,将来について語り合ったといわれています。

龍馬が当時足を運んだ建物で,現在も形として残っているのは,柴巻の田中良助旧邸だけ。資料館の開館日は毎週金曜日から日曜日。

田中良助旧邸資料館
住所 : 高知市柴巻381
問い合わせ先 : 高知市観光課 高知市教育委員会生涯学習課
電話 : 088−823−9457(観光課)
      088−822−6394(生涯学習課)



高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問1








田中良助旧邸 資料館入り口から、高知市街地がこのように見えます。


大きな地図で見る‎

田中良助邸投稿: こうじ

田中良助は柴巻にある坂本家の地組頭で、龍馬も子供のころから田中家を訪ねることが多かった。龍馬は田中家に泊まり込んだり、良助と一緒にウサギ狩りに出かけり、近くにある「八畳岩」に上ったり、良助や近所の若者たちと酒を酌み交わすなど、たいへん親しかった。 ...



HN:史跡探訪者

高知市・柴巻の田中良助旧邸 に関する記事

HN:史跡探訪者 さんの記事

坂本龍馬ファンクラブ

「龍馬に大接近」 5月30日まで

2010-05-14 11:12:51 | 龍馬なんでも情報
4月30日、名古屋の知人を案内して桂浜に行きました。

明日からは一般車が進入禁止で、無料のシャトルバスが運行される事になっていましたが、

今日は駐車場の手前で少し並んだくらいで、助かりました。

桂浜公園の坂本龍馬像横では、「龍馬に大接近」 のやぐらが組まれており、記念写真を撮りました。















HN:龍馬

桂浜ファンクラブ

坂本龍馬ファンクラブ

HN:龍馬 さんの記事(その2)

岩崎弥太郎が語る「龍馬ものがたり」・・・高知駅前で紙芝居を実演中!

2010-05-03 22:58:59 | 龍馬なんでも情報
キリンビール元高知支店長の宮本典晃さんの紙芝居・・・岩崎弥太郎が語る「龍馬ものがたり」

高知駅前にある土佐・龍馬であい博会場広場で実演されています。



岩崎弥太郎が語る「龍馬ものがたり」、姿もよく似ていますし、紙芝居の実演もプロの域に達した感があります。さすがに毎日やられているだけあるなーと、感謝の気持ちでした。











この時間帯に合わせて高知駅前に行くと、宮本さんの紙芝居が楽しめます。





宮本さんに連絡を取れば、学校をはじめどこでも気軽に出前の紙芝居を実演していただけます。


宮本典晃 さん連絡先
tel:090-7628-2378
fax:088-822-2052
E-mail momotaro@mc.pikara.ne.jp




HN:サカチャン

岩崎弥太郎が語る「龍馬ものがたり」・紙芝居の宮本典晃 さんに関する記事

坂本龍馬ファンクラブ

HN:サカチャン さんの記事

「クスノキと龍馬・・・明治維新を支えた木」・・・その1 はじめに

2010-04-27 08:37:56 | 龍馬なんでも情報
「クスノキと龍馬・・・明治維新を支えた木」・・・その1 はじめに



画像は、「坂本龍馬記念館」で開催された、現代龍馬学会の4月例会(4月21日)で、「樟脳の話」をクスノキから樟脳を作る実験を交えて行った時のものです。



龍馬の生まれたころから、土佐ではクスノキから作られた「樟脳」生産が、盛んでした。

土佐式樟脳製造方法が、考案されて当時の土佐藩の「外貨獲得」の重要商品として、軍艦・汽船・武器弾薬購入の原資となった。

維新前後に土佐藩が活躍できたのもクスノキのおかげです。

龍馬の船中八策で名高い土佐藩の汽船「夕顔丸」も樟脳販売で購入。

さらに調べると、薩摩藩でも樟脳は、重要な外貨獲得商品でした。

クスノキが、土佐藩や薩摩藩を支える重要な木であったことを皆さんに伝えたい。

また、同時にネット上で樟脳教室を開催し、樟脳つくりの実演も公開します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

            <樟脳 教室>

  クスノキの枝や葉っぱから「樟脳」を取り出す実演をお見せできます。

○ 所用時間は、開始からあとかたづけまで30分以内です。

○ 添付の資料については、各自でお読みいただくことにします。

詳しい説明時間については別途、ご相談にのります。

○ クスノキの枝(破片)を煮ますので、火を少し使います。

クスノキの枝は、私が持参します。

○ 少しですが、クスノキのにおいが周囲に立ち込めます。

においもその周辺だけでほかの部屋にもれることはありません。

○ 器具や道具は、私が持参しますので特に用意していただくものはありません。



根木勢介

高知市知寄町2丁目10-1303 サーパス知寄町1

携帯:090-2825-2069

e-mail: negi.600@nifty.com



根木勢介 さんの記事

坂本龍馬ファンクラブ

桂浜ファンクラブ

龍馬研究会・根木さんの「龍馬の日常風景」・・・(一)軍鶏のいる風景

2010-02-18 07:10:19 | 龍馬なんでも情報
龍馬研究会・根木さんの「龍馬の日常風景」・・・(一)軍鶏のいる風景



土佐は、地鶏大国である。天然・特別記念物の鶏、16種類中6種類が土佐の鶏。

龍馬・慎太郎が、食べ損なった軍鶏も今は天然記念物の鶏である。

日本は、明治4年まで1、200年間続いた「肉食禁止」の、世界でもまれな国であった。肉食禁止は、庶民の間では、長く守られてきたようだ。

だが、江戸時代後期には、江戸市中に獣肉店ができるなど肉食禁止もくずれてきている。

 高知県東部の安田町近辺は、今でも闘鶏が盛んで軍鶏の飼育も盛んな地域である。高知県における闘鶏の歴史は、よくわかってないが、江戸時代からあったそうだ。

闘鶏では、負けた軍鶏は、つぶして(料理して)食べることになってい。

ニワトリも、肉食禁止動物に指名されているが、軍鶏は、食べられていたに違いない。軍鶏は、鶏肉の原点のような鶏でたいへんおいしい。

安田・高松順蔵家では、高知城下から訪ねてきた弟の龍馬を歓待するため長姉・千鶴が、軍鶏鍋をふるまったこともあっただろう。

安田町の近くにある北川村生まれの中岡慎太郎も軍鶏鍋は、幼少のころから親しんで来た料理だったに違いない。


龍馬と慎太郎が、襲撃される前に軍鶏を食べようと買いに行かせたのもうなずける話である。

 軍鶏を食べ損なった龍馬と慎太郎であるが、彼らには、軍鶏を食べる日常風景があったのではないか、と思う。


         龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.174 連載中です



投稿者:根木勢介 さんの記事