坂本龍馬ファンクラブ

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第一回「現代龍馬学会」開催される・・・その3 研究発表

2009-04-22 10:09:56 | 龍馬イベント情報
4月18日(土)~19日(日)、高知市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」(坂本龍馬記念館の隣)において、第一回高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会が開催されました。

4月18日(土)の総会と発会式、研究発表には、長崎をはじめとした県外の会員を含め80名ほどが参加していました。


研究発表 (テーマ:夢・出会い)



徳島大学名誉教授・渋谷雅之氏は、「横笛のことなどー北海交易の夢ー」と題して、坂本龍馬の蝦夷地や海島開拓の夢は、いつの頃から育まれ始めたのだろうか。・・・

記録に残る龍馬の最初の試みは幕府船・黒龍丸による蝦夷地開拓だったが、計画は池田屋事件や禁門の変のために挫折した。・・・

・・・横笛は、北海道で運用された最初の西洋型船となるのだが、横笛が龍馬の遺した最後の夢を乗せて北海道に渡ったと思えてならない。・・・と龍馬と関わった幾つかの帆船を紹介しながら、話されました。







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第一回「現代龍馬学会」開催される・・・その2 研究発表

2009-04-22 10:08:44 | 龍馬イベント情報
4月18日(土)~19日(日)、高知市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」(坂本龍馬記念館の隣)において、第一回高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会が開催されました。

4月18日(土)の総会と発会式、研究発表には、長崎をはじめとした県外の会員を含め80名ほどが参加していました。



研究発表 (テーマ:夢・出会い)


最初に、坂本龍馬記念館の前田由紀枝学芸主任が、"出会い"と言う視点から「家族の肖像ー龍馬の子孫たちー」と題して発表しました。

北海道開拓へ旅立つ直前の龍馬の子孫の写真を紹介して、自由民権運動やキリスト教活動に関わった子孫達の中に、龍馬は生きていたと思う。・・・



北海道開拓へ旅立つ直前の直寛ら、龍馬の子孫の写真、これから未開の地へ旅立つと言うのに、悲壮感はなく、表情に誇りや気高さが見えると話していました。







"夢"と言う視点で、東京にお住まいのジョン万次郎研究家・北代淳二氏が「ジョン万の夢・龍馬の夢」と題して発表されました。

ジョン万次郎を救った米捕鯨船のホイットフイールド船長宅(マサチューセッツ州フェアヘーブン)が、全国から集めた浄財で修復され、5月7日に「ホイットフイールド・万次郎友好記念館」としてオープンすることの報告もありました。

ジョン万次郎が持ち帰った思想が、河田小龍を通じて龍馬に引き継がれたのではないか。・・・

考えてみると、ジョン万次郎のはたした役割は相当大きいと感じたことでした。



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「現代龍馬学会」が発足しました・・・その1 総会と発会式

2009-04-20 11:05:03 | 龍馬イベント情報
4月18日(土)~19日(日)、高知市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」(坂本龍馬記念館の隣)において、第一回高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会が開催されました。

4月18日(土)の総会と発会式、研究発表には、長崎をはじめとした県外の会員を含め80名ほどが参加していました。



総会では、



呼びかけ人・発起人を代表して高知県立坂本龍馬記念館の森健志郎館長(現代龍馬学会事務局長)より、規約や平成21年度の事業計画・収支予算・役員が提案され、承認されました。



この総会には、高知県文化財団理事長・島田京子氏も参加・挨拶されました。身内をほめるようで恐縮ですが・・・と高知県立坂本龍馬記念館の日頃の取組みと「現代龍馬学会」を企画した今回の取組みを高く評価されていました。



現代龍馬学会会長に就任された永国淳哉氏、桂浜で育った歴史研究家として広く活躍されています。


続いて発会式がおこなわれました



この発会式には、東京にお住まいの、龍馬のおい・直寛の孫で坂本家9代目当主 坂本 登氏も参加・挨拶されました。

挨拶の中で、龍馬の人間臭さ、根底には人間性(ヒューマニズム)プラス、先見性・行動性・説得力があいまって龍馬をつくっている・・・との龍馬スピリット(思想)の話が印象に残りました。

多くの現代人の中に"今なお龍馬は生きている"と言われるゆえんだと思いました。



尾崎正直知事が、出張していて龍馬空港から駆けつけてくださり、ご挨拶をされました。

高知を元気にするため、龍馬のごとく活躍されている尾崎正直知事、来年の大河ドラマ「龍馬伝」の話とともに、龍馬があの火事の中で、お龍の弟を助け出した心意気を話されたのが印象的でした。

知事は、その後の午前中の研究発表も熱心に聞いておられました。



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根木勢介さんの「龍馬十景」 ③

2009-04-17 14:53:53 | 龍馬なんでも情報
海・・・鯨・ジョン万  

                      根木勢介


土佐沖を流れる黒潮は、別名黒瀬川ともいわれ、その流れは急流らしい。黒潮上には、鯨はいなくその流れの両側・外側に鯨はいるらしい。幕末前が、米国の捕鯨産業の絶頂期で黒潮辺りにも捕鯨船がたくさん出没していた。太平洋や日本近海の鯨を枯渇させたのは米国の捕鯨だといわれている。


「鯨」が明治維新を起こしたとの説がある。その論は、①ペリー艦隊が日本を訪れる起因となった太平洋上の米国の捕鯨、②倒幕の中心だった長州やそして土佐で捕鯨が盛んで捕鯨収入が藩の原資になったこと。「一浦が鯨一頭取れれば七郷(村)が潤う」と言われる。

江戸時代での経済的効果を試算した人によると鯨一党で250人の人々がい年間食べる米を購入できたことになるそうだ。




維新の志士の中で「海」といえば龍馬。龍馬は海のイメージで語られることが多い。実際にも船を最大限に利用して行動半径を広げた人。龍馬と河田小龍との出会いは、龍馬20歳の時といわれている。ジョン万次郎と龍馬は、出会ったのか。

龍馬が上海へ行った、とかと同じ類の話かもしれないが、ジョン万と龍馬の出会いは、あったか、なかったか、も興味深い。ジョン万が土佐に帰国したころの土佐人・そのころ18歳の龍馬などは、世界の最新情報をジョン万本人やその周辺の人々から入手できる恵まれた環境にあった。ジョン万の影響があって、龍馬は「世界の海援隊」を考えたかもしれない。


龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.158 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

根木勢介さんの「龍馬十景」 ②

2009-04-07 07:07:31 | 龍馬なんでも情報
竹林・・・土佐の仲間
根 木 勢 介


「雨後の筍」とは、次々に続いて出てくることのたとえ。筍は、地下茎より芽を出し仲間を増やす。

モウソウチクの地下茎の長さは、一万平方メートルあたり十一万平方メートルにもなるそう。

龍馬につながる「土佐の地下茎」は長大で、多彩な人物が幕末から明治にかけてそれこそ、雨後の筍のように輩出した。竜馬の土佐の仲間は、しかし、竹の子のまえ、つまり志し半ばで死んで行った者が多い。



土佐での竜馬の最大の理解者は、「飛潜誰か織るあらん。偏に龍名に恥じず。」の武市半平太でなかったか。「土佐にあだたぬ」脱藩までの龍馬については、資料が少なく余り語られないが、土佐勤王党に土佐での筆頭署名した意味を考えると既に土佐では「声望」ある存在だったのでは、と私は思う。

筍、竹が伸びるためには降水量、土壌水分が重要だが、明治以降の土佐は、水分が足りないせいか「筍」の不作が続いている。

龍馬のハタチごろには、「坊さんかんざし」で有名な五台山竹林寺の僧純信とお馬の事件が起きた。当時、すでに「おかしなことよな播磨屋橋で」という俗謡が流行していたらしい。後に、いろは丸事件で龍馬が考えたと言われる俗謡は、この事件がヒントなのだろうか。

龍馬が遊んだ浦戸湾や五台山を自宅マンションから眺めながら龍馬の青春を考えている。
   龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.157 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

根木勢介さんの「龍馬十景」 ①

2009-04-05 23:23:21 | 龍馬なんでも情報
イチョウの木・・・福井の人々

                                  根 木 勢 介


生きている化石と言われるイチョウの精子を発見(明治29年)した平瀬作五郎は、越前福井の人。

イチョウは雌雄を持っている植物で有名。「種子の中の海」での精子と卵子の出会い・邂逅は、一年の内、9月某日の一日にだけ行われ、大変神秘的だと言われている。



脱藩浪人龍馬と松平春嶽の出会い・邂逅も「身分を考えれば」イチョウの場合と同じように神秘的・奇跡的に思われる。

おそらく有力者の紹介状などなかっただろう。当時では常識はずれの「意表をついた」龍馬の訪問。まことに武市半平太の龍馬評「肝胆もとより雄大、奇機おのずから湧出す」だ。松平春嶽の進取の気性が面会を許したのだろう。

土佐出身者で何度も松平春嶽と会っているのは、ただ一人龍馬だけだ。一介の浪士の龍馬と何度も会ったのはなぜか。



平瀬作五郎の父・儀作は、松平侯の家臣。肥後から招聘された「横井小楠」の世話役だった。小楠と親しかった龍馬と面識があっただろう。

長崎でも越前福井藩の交易などの仕事もしている。当然、亀山社中時代の龍馬との交流もあったと思われる。

龍馬と越前福井の人々との交流も大変多い。

有名なところでは、松平春嶽/越前福井の顧問横井小楠/由利公正、など。龍馬の人生に大きな影響を与えている。土佐研究家の広谷喜十郎氏は、「越前福井は、龍馬の心の故郷」ではないかと言われる。

                          龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.156 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ