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坂本龍馬ファンクラブ

われらのヒーロー、坂本龍馬が2010年大河ドラマに!広げよう龍馬の志!

坂本龍馬の先祖・初代~3代の墓所、南国市才谷へ

2009-12-30 08:42:36 | 龍馬なんでも情報
来年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」である。岩崎弥太郎から見た龍馬になるようだと云う。龍馬はいくつか変名を使っていたが、才谷梅太郎、大浜浅(濤)次郎はこの才谷と関係があるようだ。ちなみに、中岡慎太郎の変名は石川(誠)之助が知られているか。

 龍馬の先祖が住んでいたという南国市才谷に初代・阪本太郎次郎(坂本ではない)の墓と2代阪本彦三郎・3代・阪本太郎左衛門の墓がある。

 場所は、南国ICの東道路を北の領石交差点を右折して直ぐにガソリンスタンドを左折する。道路右側に龍馬のイラストの案内板(才谷龍馬公園まで2.4km)を右折する。

初代・阪本太郎次郎の墓所は、イラスト案内板から1.9kmの三叉路(標識がある)から左の道を200m行った山の中である。車が入れないので三叉路から歩く。途中案内標識があるので迷うことはない。





 

 民家(空き家と思われる)の脇に「南国市史跡 坂本龍馬先塋之地(昭和六十一年二月 南国市教育委員会)」の石柱碑があり、そこに数本の木立の中に墓がある。

 

 墓の右下に六体の小さな石地蔵があるが、墓に関係するのか民家のものかは不明。

 三叉路から更に500mほどで、龍馬イラストの案内板「才谷龍馬公園は右」に下ると公園である。この左奥に「坂本龍馬先塋の地・坂本家二代彦三郎・三代太郎左衛門の墓」の標識の坂を上ると、坂本神社と墓がある。手前が二代、奥が三代の墓である。



  (才谷龍馬公園入り口)






 公園のトイレのある東屋の壁面に坂本家の系図などがあり、遊具一つと桂浜の龍馬像に似せた小さな像があるのみである。公園の奥の斜面には梅の木(殆どが紅梅)が一面にあり、春は梅見で賑わうそうだ。

HN:バンダナ



HN:バンダナ さんの記事

千葉の松尾貴臣さん、高知県の観光特使に・・・委嘱式に参加しました

2009-10-23 23:00:58 | 龍馬なんでも情報
長崎出身で高校まで長崎で過ごし、千葉大学を卒業後も千葉市に住みながら、坂本龍馬に心酔!して音楽活動をしながら全国を飛び回っているシンガーソングライターの松尾貴臣さんが、高知県の観光特使として委嘱されることになり、今日、10月23日高知県庁で委嘱式が行われました。



これは今年の8月4日、尾崎知事と「長宗我部ファンクラブ」の田岡代表、溝渕副代表、谷口事務局長など6名が参加して、知事室で懇談したときに提案していたことの一つです。

「長宗我部ファンクラブ」で、尾崎知事に面談しました



秋元・高知県観光振興部長から委嘱状や名刺などが渡されたあと、

加志崎おもてなし課長も加わり、千葉から松尾貴臣さんに同行して来てくれた虎岩雅明さん(NPO法人トライワープ代表)や、溝渕長宗我部ファンクラブ副代表、土居カメラマンなどが懇談しました。



始まる前に、梼原町の龍馬会の方に贈呈されたという坂本龍馬の服装で、音楽活動をやりながら全国を飛び回っている松尾貴臣さん、県庁入り口の大きな龍馬像と一緒にパチリ!

龍馬の服装で廻るようになってから、会場の盛り上がりが大きくなったことを実感しています・・・と話されていました。

松尾貴臣さんは、様々な会場のどこへでも気軽に出かけていますが、病院などでのホスピタルライブも大切にした、ユニークな音楽活動を展開しています。



秋元・高知県観光振興部長から委嘱状や名刺などが渡されました。





「おおい!龍馬」の漫画本を大学の先輩に薦められて、何度も何度も読んでいるうちに「歌で龍馬の後を継ごう」という気持ちになった・・・走行距離が10万キロにもなった軽四輪に道具を積んで、全国を駆け巡っていること・・・出身の長崎との交流について、秋元部長から県の取組みなども話されて、松尾さんと打ち解けた話が展開されていました。



松尾貴臣さんから、どんなことをしたら良いんですか?に対して、加志崎おもてなし課長は、今後高知を紹介する冊子などが出来た時には送らせてもらいますので、ネタを仕込んで高知を宣伝してください。

"これやってんだよー!!"といった調子で、事あるごとに高知県を露出してください!とお願いをされていました。



千葉から松尾貴臣さんに同行して来てくれた虎岩雅明さん(NPO法人トライワープ代表)や、溝渕長宗我部ファンクラブ副代表、土居カメラマンなどが懇談しました。





玄関まで送っていただいたので、もう一度龍馬像を囲んで記念撮影をしました。

来年からは、「龍馬伝」などで全国から訪れたお客さんが、こんな形で記念撮影をする"観光名所"の一つに高知県庁の玄関がなったら良いなーと思いました。



松尾貴臣さんのご紹介

株式会社こころざし音楽工房

omi project

http://www.omitaka.com/   



HN:サカチャン

HN:サカチャン さんの記事

根木勢介さんの「龍馬十景」 ③

2009-04-17 14:53:53 | 龍馬なんでも情報
海・・・鯨・ジョン万  

                      根木勢介


土佐沖を流れる黒潮は、別名黒瀬川ともいわれ、その流れは急流らしい。黒潮上には、鯨はいなくその流れの両側・外側に鯨はいるらしい。幕末前が、米国の捕鯨産業の絶頂期で黒潮辺りにも捕鯨船がたくさん出没していた。太平洋や日本近海の鯨を枯渇させたのは米国の捕鯨だといわれている。


「鯨」が明治維新を起こしたとの説がある。その論は、①ペリー艦隊が日本を訪れる起因となった太平洋上の米国の捕鯨、②倒幕の中心だった長州やそして土佐で捕鯨が盛んで捕鯨収入が藩の原資になったこと。「一浦が鯨一頭取れれば七郷(村)が潤う」と言われる。

江戸時代での経済的効果を試算した人によると鯨一党で250人の人々がい年間食べる米を購入できたことになるそうだ。




維新の志士の中で「海」といえば龍馬。龍馬は海のイメージで語られることが多い。実際にも船を最大限に利用して行動半径を広げた人。龍馬と河田小龍との出会いは、龍馬20歳の時といわれている。ジョン万次郎と龍馬は、出会ったのか。

龍馬が上海へ行った、とかと同じ類の話かもしれないが、ジョン万と龍馬の出会いは、あったか、なかったか、も興味深い。ジョン万が土佐に帰国したころの土佐人・そのころ18歳の龍馬などは、世界の最新情報をジョン万本人やその周辺の人々から入手できる恵まれた環境にあった。ジョン万の影響があって、龍馬は「世界の海援隊」を考えたかもしれない。


龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.158 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

根木勢介さんの「龍馬十景」 ②

2009-04-07 07:07:31 | 龍馬なんでも情報
竹林・・・土佐の仲間
根 木 勢 介


「雨後の筍」とは、次々に続いて出てくることのたとえ。筍は、地下茎より芽を出し仲間を増やす。

モウソウチクの地下茎の長さは、一万平方メートルあたり十一万平方メートルにもなるそう。

龍馬につながる「土佐の地下茎」は長大で、多彩な人物が幕末から明治にかけてそれこそ、雨後の筍のように輩出した。竜馬の土佐の仲間は、しかし、竹の子のまえ、つまり志し半ばで死んで行った者が多い。



土佐での竜馬の最大の理解者は、「飛潜誰か織るあらん。偏に龍名に恥じず。」の武市半平太でなかったか。「土佐にあだたぬ」脱藩までの龍馬については、資料が少なく余り語られないが、土佐勤王党に土佐での筆頭署名した意味を考えると既に土佐では「声望」ある存在だったのでは、と私は思う。

筍、竹が伸びるためには降水量、土壌水分が重要だが、明治以降の土佐は、水分が足りないせいか「筍」の不作が続いている。

龍馬のハタチごろには、「坊さんかんざし」で有名な五台山竹林寺の僧純信とお馬の事件が起きた。当時、すでに「おかしなことよな播磨屋橋で」という俗謡が流行していたらしい。後に、いろは丸事件で龍馬が考えたと言われる俗謡は、この事件がヒントなのだろうか。

龍馬が遊んだ浦戸湾や五台山を自宅マンションから眺めながら龍馬の青春を考えている。
   龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.157 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

根木勢介さんの「龍馬十景」 ①

2009-04-05 23:23:21 | 龍馬なんでも情報
イチョウの木・・・福井の人々

                                  根 木 勢 介


生きている化石と言われるイチョウの精子を発見(明治29年)した平瀬作五郎は、越前福井の人。

イチョウは雌雄を持っている植物で有名。「種子の中の海」での精子と卵子の出会い・邂逅は、一年の内、9月某日の一日にだけ行われ、大変神秘的だと言われている。



脱藩浪人龍馬と松平春嶽の出会い・邂逅も「身分を考えれば」イチョウの場合と同じように神秘的・奇跡的に思われる。

おそらく有力者の紹介状などなかっただろう。当時では常識はずれの「意表をついた」龍馬の訪問。まことに武市半平太の龍馬評「肝胆もとより雄大、奇機おのずから湧出す」だ。松平春嶽の進取の気性が面会を許したのだろう。

土佐出身者で何度も松平春嶽と会っているのは、ただ一人龍馬だけだ。一介の浪士の龍馬と何度も会ったのはなぜか。



平瀬作五郎の父・儀作は、松平侯の家臣。肥後から招聘された「横井小楠」の世話役だった。小楠と親しかった龍馬と面識があっただろう。

長崎でも越前福井藩の交易などの仕事もしている。当然、亀山社中時代の龍馬との交流もあったと思われる。

龍馬と越前福井の人々との交流も大変多い。

有名なところでは、松平春嶽/越前福井の顧問横井小楠/由利公正、など。龍馬の人生に大きな影響を与えている。土佐研究家の広谷喜十郎氏は、「越前福井は、龍馬の心の故郷」ではないかと言われる。

                          龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.156 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ