りょーこのマネージャーな日々

ブログタイトル仮変更。子供達のマネージャー状態な日々をダラダラ書いてます。

カリスマウェイトレス

2005-10-06 00:17:48 | 職歴
私は大学時代いろいろバイトしたんですけど、1番長く勤めてたのが、川崎市溝の口にあるガスト。
ここのウェイトレスとして、大学最後の2年間働いてました。

みなさん想像つくと思いますが、ファミレスというのは給料の割にものすごい重労働です。
その中でも特にキツいと言われているのがガスト。

私は無愛想なので、自分がウェイトレスのバイトするなんてありえないと思ってました。
ただ、登録した家庭教師からの連絡は全然来ないし(1年後に来たけどね…)、歩いて1分程度のところに店があったので、まぁやってみるかなってかんじで。

いざ始めたらですね~、これがおもしろいんですヨ。
お客様を案内する、お冷を出す、注文をとる、飲み物を運ぶ、料理を運ぶ、下げ物をする、レジをする、後片付けをする。
これが主な仕事ですが、これをいかに素早く行うか、どういう組み立てでどういう流れで行えば効率がいいのか、常に考えてないと、ラッシュ時間は乗り切れない。
頭も使うし、歩きっぱなしで足は棒になるし、料理や下げ物を山ほど乗せてトレンチ(お盆)運ぶから腕も痛くなる。
しかもその基本作業の合間を縫って、ドリンクバーの補充をしたり、トイレや駐車場の掃除をしたり、発注をしたり、レジ点検したり、新人の面倒見たり、いろいろあるわけですよ。
この大変さに、ハマっちゃったんですよ、私。

大学3年の春から始めて、8月には1度目の昇給。2度目の昇給をしたのも確か1年かからなかったんじゃなかったっけ。
店長がすぐに私を認めてくれて、昇給してくれたし、いろいろな裏方の仕事を任せてくれるようになって、私は店長に「俺の秘書だ」と言われてました。

すかいらーくグループのファミレスでは(てか他のファミレスのことは知らないけど)、1時間に何人のお客様が入店して、それを何人のフロア(接客係)でまわしたかというのが結構重要な店舗運営ポイントなんですけど、私ひとりで相当まわしてましたよ。
ふつーひとりで20人が限界くらいだっけ?なんか詳しい数字は覚えてないけど、私はそれの倍くらいはまわしてたよ、確か40人とか。
めちゃめちゃ混む夜の20時~21時をひとりでまわしたこともあったし。
運動神経ないクセにバイトになると異常に動きが早かったし、握力ないクセに腕力はあるからトレンチの上にお客様が心配するくらい山のように下げ物積み上げてたし。

実はこの店、私が入った頃はまだすかいらーくで、数ヵ月後にガストとしてリニューアルオープンしたんだけど、その時はすごかった。
当然1日中ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。
フロアでサービス責任者やってた私は、9時間半ぶっ通しで駆けずり回り、その間の休憩は「…ご飯だけ食べさせて…」と和風ハンバーグをかきこんだ7分のみだったなんてこともあった。

お客様として柏原崇やホンジャマカの石塚ファミリーが来て、接客したこともあったし。

子供がドアの隙間に指を挟んで抜けなくなって、店長がいなかったから私が責任者として救急車呼んだり警察の事情聴取受けたりしたこともあったな。

店によく来るヤンキー達ともバトルしてたなぁ~。うちの店で未成年には絶対タバコ吸わせん!ってかんじで。
そのうち私の姿を見たら入って来なくなったし。

とにかくバイトばっかりやってた2年間だったな。稼ぎも学生じゃなかったよ。
店の人達ともめっちゃくちゃ仲良くて、しょっっっっっちゅう飲み行ったり遊びに行ったりしてた。
ホントに楽しかったなぁ~。

店長から社員になるように誘われたけど、考えた結果断りました。
親が、「大学出たのにファミレスはないでしょ」って言うもんだから。
ま、でも結局入った会社辞めて秋田に戻ってきた時、また山王のガストで半年ウェイトレスやりましたけどね。
それくらいガストの仕事は大好きでしたね。

「さすがカリスマウェイトレス…」ってのは、ある日ある人が私に言った言葉。
これお気に入り(笑)
でも実際の私はカリスマでもなんでもなかった。
確かに運営能力は高かったかもしれないけど、笑顔とか、サービスマインドとか、そーゆー最も基本的な部分は大幅に欠如してたかなって思う。

もし今度なにかバイトをしなくちゃって状況になったら、間違いなくまたファミレス、しかもガストを選ぶと思う。
でも今度はきっと、フロアじゃなくてキッチンを選ぶと思う。

接客は、ちょっと、疲れちゃったナ~…。

最新の画像もっと見る