2011年11月3日(木)山形→石巻→山形
今日は父の希望で石巻に行って来ました
昨夜、仙台空港でレンタカーを借りる際
お店の人に「海側は行かれますか?」と聞かれ
父が以前仕事で行っていた石巻に行きたいと言っていたので
「石巻に行く予定です」と答えたら
「くれぐれもパンクには気をつけて下さい」と言われた
地震で道に段差が出来ているのと
道の清掃まで手が回らず釘などが落ちていて
貸し出した車が1日に1台はパンクして戻ってくるとの事
普段 何も考えずに走っている道が
まだ安心して走れない事にまずショックを受けた
お昼前に山形を出発し
山形道→東北道→仙台南部道路→仙台東部道路→三陸道
石巻に入ったのがお昼過ぎ
まずは昼ごはんにしようと道の駅へ
道の駅 上品の郷
じょうひん× じょうぼん○
地元の野菜の直売やレストラン、温泉まである
とっても綺麗な道の駅です
入口前のベンチで家族で ずんだアイスを食べていたら
目の前で涙ながらの再会があった
戦争映画を見ている様だった
「あんた無事だったんだね」
「私は無事だったけど家が流されて母が亡くなった」
「うちは孫が亡くなって」
「もうこれからどうしたらいいかわからないよ」
「誰が亡くなった」「まだ見つかってない」
そんな会話がまた別なところから聞こえてきた
石巻市の東日本大震災による死者は3,000人以上
そして今も2,000人以上の方が行方不明になっている
車を走らせていたら
着いた日和山公園
日和山公園から見下ろした
石巻の海側
何も言葉が出ない
悲しくて悲しすぎて ただ涙が溢れてくる
脇で他県から視察に来たと思われる人たちが
現地の方に話を聞いていた
いたる所に瓦礫を集めた山があります
あそこ(海岸沿い)に見える車は流された車が集められている
建物は残ったが使われていない石巻病院
財政困難で復興の見込みがたっていない
復興に向けた明るい話は一つも聞けなかった
海・川沿いは
地震か津波で壊れた家が数多く
人の気配が感じられなかった
治安維持の為パトカーが走っているのが目立った
帰りは三陸道 利府JCTから仙台北部道路に入り
東北道→山形道で山形に帰った
帰りの車の中は終始無言だった
すべての事に意味・理由がある
どんな意味があるのだろう
私がここに来た事も
これから考えなければ 行動しなければいけない
私に出来る事 小さな事から始めよう