蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

瑞鳳殿 鮮やかさ再び

2023-04-25 17:46:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023.04.25 24/26

伊達政宗霊廟「瑞鳳殿」が修復が終わり、本当にしばらくぶりに4月24日から5月7日までご開帳されている。
伊達者よろしく、きらびやかに、色鮮やかな霊廟が復活したと言う。

仙台には青葉城址はあるが、戊辰戦争で負け、薩長軍の厳しい命令で取り壊されてから、東北大学がこの地に成立し、大東亜戦争の仙台空襲に於いても、甚だしい損傷を受け、さらに青葉城址全体が連合軍の駐留するところとなり、かつての城の面影は非常に小さいものになってしまった。

その後、青葉城の復興の話は時々浮かんでは消える、泡沫(うたかた)の夢となった。
それは、不思議なことに自民党のような保守系が市長となった時には、不正があって、革新系が市長となった場合は青葉城復興とは、なかなか思い切って貰えず、時期を逸してしまったように思う。
また、かつて仙台市政を預かった旧社会党の島野武が弁護士の職を捨てて仙台復興を行い、実に名市長と言うべき実行力で今日の基礎を築いた。

本当なら、商工をさらに発展させるべき時代ではあったが、民主的な市民の元での発展をめざしたため、地方の商工の発展は阻害された面があったことは否めない。
従って、地方の財政の比率は東北地方の大きさにも左右されたものではあったが、他の地方都市のように、20パーセントを超えるような、一都市集中が無く、地方の上場企業数も地元としては悲しい状況になっている。
言わば、東京都や大阪府の衛星都市群の一角を担う、支店や支所が多くて仙台本店は少ない、経済基盤がお粗末な都市に甘んじてしまった。

ともあれ、江戸時代は伊達62万石の大大名ではあった。
江戸時代のほうが余程、日本の大都市のひとつだった。
その象徴とも言うべきものが、伊達政宗霊廟「瑞鳳殿」である。

仙台は松島の瑞巌寺を始め、輪王寺、国分寺など、名だたる歴史的寺社仏閣が存在する。
明らかに東北の中心であった証明だが、仙台が真の復興を遂げるには、首都機能の一部を仙台が負うような責任分担が果たせてこそ、地方の中心都市と言えるのだろう。

余談ではあるが、50年以上前に仙台で学生生活を送ったのだった。
真夜中のデートコースのひとつは、この瑞鳳殿であり、伊達政宗の墓碑と言うか石碑を背中に、女性と語り男性と国家論を言い合った思い出が残っている。
整備されて美しくはなったけれど、あの苔むした古(いにしえ)を彷彿とする真っ暗な世界は、未だに懐かしい。
蛇足になるが、墓場に逃れての議論は、当時は六十年安保と七十年安保の難しい時代背景で、酒場で大声で議論しようものなら、警察や公安、あるいは共産党の学生運動の輩からの身を守る術であったためと申し上げたい。