監督・脚本: 周防正行
出演: 上白石萌音 、長谷川博己 、富司純子 、田畑智子 、草刈民代 、渡辺えり 、竹中直人 、高嶋政宏 、濱田岳 、中村久美
試写会場: 東宝本社試写室
公式サイトはこちら。
舞妓がひとりしかいなくなってしまった京都の小さな花街・下八軒の老舗お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が現れる。最初は断られた春子だが、そこに居合わせた語学学者の「センセ」こと京野が、鹿児島弁と津軽弁の混ざった春子に興味を示し、彼女が万寿楽にいられるよう取り計らう。かくして万寿楽の仕込み(見習い)になった春子だったが、花街の厳しいしきたりや稽古、慣れない言葉づかいに悪戦苦闘。そしてある日、突然声が出なくなってしまい……。(映画.comより)
一足お先に試写に行ってきました。
これはどうやら『マイ・フェア・レディ』を下敷きにしているようなんですけど私は未見。観てなくても十分楽しめますが一応どんなもんか調べておいてもいいかも。
マイ・フェア・レディ (映画) wiki
あらすじだけ読むとかなり共通点ありますね。
言語学が専門のヒギンズ教授 ⇔ 語学学者の「センセ」こと京野
下町生まれの粗野で下品な言葉遣い(コックニー英語)の花売り娘イライザ ⇔ 鹿児島弁と津軽弁の混ざった春子
レディに仕立て上げる ⇔ どうしても舞妓になりたい
大体のところはこれをモチーフにしたと思うんですが、その内容ですね。内容に関しては、これはもう完全に日本的。
花街そのものが縮小して、芸者さんの数は減るところが多い今、舞妓さんの数も減っている訳で、昔ながらのお茶屋に住み込む奉公スタイルの修行が今時の人には受け入れ難い部分があるのは致し方なく。
学業やら若い時代のあれこれの自由を犠牲にしてまで年季奉公する人がいるとしたら、それはよっぽど舞妓になりたいという信念がある訳だけど、それでも多くの人が厳しさに耐えられなくなって辞めていく。春子が「ブログで百春さんのことを読んで、どうしても舞妓になりたいから置いてくれ」といきなり言われても、果たしてそんな理由で来る人間が続くかどうかなんてわからない。
舞妓 wiki
京都の文化として「一見さんお断り」というのがあるが、これは客に対してだけではなく、内に対してもなんですね。京都に入ってくる人間に関しては、身元が分からない人間は入れない。どこのどなたさんのご紹介?ということが最優先、それは京都の文化を守るためでもあるんですね。
本来なら門前払いの所を、「津軽弁と鹿児島弁を完璧に操る」ことが功を奏して話が進むあたりが『マイ・フェア・レディ』と日本文化をつなぐポイントになっている。ここに着目した時点でたぶんこの映画の成功は見えていたんじゃないだろうか。方や「レディ」、そして「舞妓」、厳然たる作法が存在する世界の中で一人前になっていく過程を見せていくこと。
人はたぶん、何かが成長する話を見るのが好きなんだろうし、日本人は古くから丁稚奉公などもそうだけど「厳しい修行を経て一人前になる話」が筋の通ったことだと考える国民性があるのではないか。舞妓もその最たるものだろうし、今であればさしづめAKB48あたりか(そういえば本作にもAKB関連のメンバーが2名出演しているが)。何にもわからない素人さんが、こんなに立派になって・・・という大団円が大好きな国民性に訴えるには最高のテーマかもしれない。
だから当然として修業は過酷。生活面でのしきたりに加えて、芸事も仕上げないといけない。さらに春子を困らせたのはお茶屋とかお稽古時だけではなく、何気ない普段の生活の中でも常に人に見られていることではなかったか。まるで生まれ育った土地の言葉や風習が悪いものであるかのように指摘される、常に常に直される、注意される生活が続いたら、それは辞めたくなるのも無理はない。それでも春子が舞妓に、しかも「万寿楽」というお茶屋にあくまでもこだわった理由があり、それが物語の布石となっている。
物語としても面白いけど、細かい部分でその面白さを盛り上げているのが、習得するのには厄介な京都の文化そのものだったりする。例えば春子の芸事のお師匠さんたちとして出てくる、割と名の知れた俳優たちのほんの数秒のシーンでも、彼らは芸事の師匠になり切っていて、この数秒のためにもしかしたら師匠役たちも相当稽古を積んだんじゃなかろうかという気もしてくる。そしてその鬼の師匠たちの中でも最高なのが中村久美さん。彼女の「鬼っぷり」は本当に見事で(笑)、たぶんこんな感じの踊りの先生はいるようにも思う(実際の日舞の先生の方が厳しいとは思いますが)。一切女優顔を見せないで、京の芸事のために徹するのが最高ですね。
ただ、言語学的な面から考えると少々弱かったようにも思う。言語としての京ことばの説明はしっかりしているし、春子が変わっていく過程もわかるけど、そこに教授が絡んでいるようで、観終わった後の印象が案外薄いんですよね。本格的な恋バナじゃなかったり、舞妓話の方が盛りだくさんなので、それで薄まったかもしれないのはあるかも。
お茶屋文化の存続という点では、百春の問題や、彼女がブログで舞妓生活を紹介していることなどに挙げられる。ネットで舞妓を募集することに反対する人は多いのかもしれないが、存続できなければどうにもならなくて、これも時代の流れなのだろう。三十路目前で仕方なく舞妓をしていた百春が芸妓になった姿の艶やかさも注目で、これもある意味成長物語の1つだろう。
そして百春の更に先輩の里春はさすが草刈さんとでも言うべきで、一体彼女はこの映画のためにどれだけの振付をしなければならなかったか。ご苦労も多かったと思いますが、これだけの踊りを見せられるのはさすがバレエで鍛えただけあってプロですね。草刈さん劇場かもしれないくらい見せてくれています。
そして富司純子さんの、厳しさと同時に持ち合わせている、包み込むような温かさもまた本作の魅力で、自身も梨園での生活を経験されているからこそのもの。富司さんの若い時代の役を大原櫻子さんがやっていて、ここに彼女を持ってくるあたりが細かい部分に気を遣ってるんですね。ちゃんと歌える人を抜擢するのは正解。
オーディションで選ばれた主演の上白石萌音ちゃんは、趣味が「歌うこと 踊ること」だけあってしっかりと歌えていて、恐らくはバレエなどで基礎として踊れる人なのだろう、劇中のダンスシーンも的確にこなしていたように思う。まだ16歳ということで舞妓さんと同世代、役を自分のものにしていく作業はさながら舞妓修行に近いものがあったのではないだろうか。
1人の人間が何かを成し遂げて成長していく、そこを『マイ・フェア・レディ』のオマージュに絡めて、その物語の裏側にある真相や舞妓存続の危機などへ展開させるのが上手い作り。最後のダンスシーンなんかは富司さんや中村さんなんかはイライザっぽくて見ていて楽しそうでしたね。教授との恋というよりは成長物語の方に主軸を置いていたけど、これは春子の設定からしてもそれでよかったんじゃないかと思う。変に恋バナにしてしまうよりは、舞妓としての話にしていった方がたぶん日本人には響くような気がする。構想から20年かかっただけあってよく練られているし、何よりも観ていて楽しい気分になる映画って最近あまりないので。存分に楽しんでください。
★★★★ 4/5点
あんまり細かいこと考えなければとっても楽しめると思います。
私はとっても楽しかったなあ。
知らなかった!でも、題名もそう言われると似てますね(*^-^)ノ
主役の上白石さんが、オーディションに歌った『オン・マイ・オウン』(←レミゼ)
の画像を聴いたら、とても観に行きたくなりました。
最近、シリアスものより、堅苦しくなく楽しめる映画を求めているので
ぜひ!映画館で観たいなぁ。
日本人なんだから、ミュージカル発祥ではない訳で、
舞妓の話、京都の話がちゃんと描けてればそれでいいんじゃないかなと。
ましてこれは映画だしね。完璧なミュージカル映画が観たいのなら、他の作品でもやってるから(笑)
それも日本人の感覚として、この映画の味わいになっているような気がしましたよ。
そもそもこれって日本の文化を描いたものですし。。。
ただミュージカルシーンの見せ方に問題が…。
周防監督にはミュージカルを撮るセンスがないのかも。
これだけ豪華なら「映画観たなー」って感じするし。
ひとりよがりな邦画が多い中、時間をかけて練り上げられただけのことがありました。