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【第15回東京フィルメックス】『彼女のそばで』 (2014 ) / イスラエル

2014-11-23 | 洋画(か行)


原題: Next to Her
監督: アサフ・コルマン
出演: リロン・ベン・シュルシュ 、ダナ・イヴギ
鑑賞劇場: 有楽町朝日ホール

【第15回東京フィルメックス】『彼女のそばで』ページはこちら。

ハイファの雑然としたアパートに障がいを持つ妹ギャビーと暮らすシェリ。だが、ギャビーがデイケアサービスの女性と親しい関係を築き始めたことにより、姉妹の濃密な関係は揺らぎ始める。あたかもその埋め合わせをするかのように、シェリはボーイフレンドのゾハールをアパートに同居させるが......。(第15回東京フィルメックス サイトより)


生まれつきの障害者である妹の世話をする姉・シェリ。母は世話を放棄している以上自分がやるしかない。妹・ギャビーのことは気になるが生計のためには働かなくてはならず、やむなくギャビーを1人家に置いて仕事に向かうシェリ・・・
ここまで書いただけでも、シェリの抱える苦悩が伝わるだろうか。自分のことはほとんどできずに妹の世話と仕事と家事に明け暮れる日々、どんなに彼女が疲弊しているか。それでも彼女は辛いから、疲れているからと妹の世話を(多少の苛立ちはありながらも)邪険にするわけでもなく、むしろ妹のことを案じている。時々息抜きに街で遊ぶ程度のシェリだけど、それでも妹の世話を全面的に誰かに任せたいとか、自分の事を最優先させるわけでもない。

それでもさすがに1人で家に妹を置くわけにもいかなくなり、デイケアに妹を預けるが、そこで妹が築く人間関係にシェリは思案してしまう。今まで妹の子とは私がやってきて、全てをわかっているのに、そこに他人が介入することが彼女にとっては恐れにも近い感情ではなかったか。
日中施設にいたとしても、24時間ではない以上在宅の時間が必ずあり、誰かが面倒を見ないといけない。在宅の時間はどうしたって施設よりも濃密に接することが多く、しかも肉親だと互いの距離感は最早その存在なしでは立ち行かないのかもしれない。そこまで日常でくっついてしまうと、少しでも離れた時間があったら、逆に頭から離れなくなってしまうのではないか。本当は少し距離を離して、互いが自立する時間を設けた方がいいのに、実際は障碍者の世話はまだまだ肉親頼りなのはどこの国でも同じようだ。

デイケアでのギャビーの変化もさることながら、義務感と責任に潰されそうになるシェリの日々に現れた男・ゾハールの存在が、それまでの姉と妹の関係を徐々に変えていく。ギャビーがデイケアで過ごす時間と、そこでの人間関係に、シェリは完全には立ち入れない。そしてシェリとゾハールとの関係にもギャビーは入れない。全てを共有するわけにはいかないのに、知らないと気が済まない、今まで通りじゃないと不安になる。揺れる気持ちはギャビーに混乱をもたらし、またギャビーが今までやっていた習慣的なこと、例えば家で服を脱ぎだすこともゾハールの前ではできなくなり、ギャビーもシェリとゾハールとの関係に、嫉妬めいた感情を見せ出す。

そしてギャビーにもたらされた大問題が明らかになる。真相は一体なんなのか、悪いのは誰なのか。
施設が悪いのか、はたまたゾハールなのか。そこは敢えてはっきりとはさせてはいないところに、この話の本質的な部分があるような気がする。ギャビーにも恐らくは思考はあり、ただ彼女なりにしかそれは表現できない以上、周囲に誤解させる部分もあったのかもしれない。またギャビーが24時間介護を受けている状態ではないなら、彼女を狙う者がいてもおかしくはない。ギャビーも彼女なりに心地よいことを味わいたい、楽しく過ごしたいのは当然で、それが他人によってもたらされるのならば享受してしまうのも人間であれば致し方ないのだろう。それはシェリだって止めようがなかったはずなのだ。

物語はシェリによる一方的な幕引きで終わっていく。しかしながらそれが真実かどうかはわからない。真実を敢えて白日に晒さずに人物描写で推測させる余韻がいい。
リアルでもこんな出来事はあるはずで、推測だけで終わらせないといけないことも多いのではないだろうか。シェリの解決方法は至極真っ当でもあるけど、この話の本質的な問題は何だろうか。障碍者の介護が肉親に依存し介護者がストレスを抱えてしまうこと、介護される側の欲求も正しく伝わらない場合があること、周囲の存在をどのようにすればいいのか。突き付けている問題が山積みな上に、どれも完璧に解決できないことをこの作品は語っている。


★★★★ 4/5点







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