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考えてみようコラム:自己満足的対応から観えてくるもの

2013-03-26 16:00:00 | 考えてみよう:コラム


自己満足とは、自分が一日を通して満足したかしないかによるということは理解できるかと思います。

さて満足度というと、これは仕事への満足か、ケアができた満足に分けて考えてみます。
両方の考え方もあるかもしれませんが、必ずと言っていいほど、どちらかに偏っているのが現状だと思います。

「人を視ているのは、人であるということ」は、理解すべきことです。

これは、簡単なことなんですが、実際にはどうでしょうか、客観的に考えてみてください。
ミスを犯さない人はいないと思いますが、いかがでしょう。
注意して行動しようと、自分の思いはあっても、それが実行されていないのではありませんか。

人はミスを犯すもの、高齢になればなるほど、ミスは多くなり、事故も多くなっていきます。
本人の失態という事故、最悪の場合を考えていれば、その事故を防ぐ対策は出来ますよね。

さて、そこで、対策は出来たとしても、その後はいかがでしょう。

その失態や事故は防ぐことが出来るでしょうか、繰り返される事故が多くありませんか?
些細なミス(事故)で、ケア(介護・援助)する側や本人も理解し、事故の原因を家族も理解できれば良いと思いますが、原因となる状況を冷静な判断と、理解することは不可能のようです。
原因は、いったいどこにあり、責任は、いったいどこにあるのか、特に報告書など、隠ぺいやねつ造という事も考えられるからです。
(あくまでも、ミスはなくならないという考えからの観点です)

事故が続く、些細なことと考えてしまうと、別のどこかで、必ず事故が起きていることに、気づいたことがありました。
これは、一つの対策案で満足してしまっていて「ただ立案した」だけということなのではないかと思います。

同じように事故を起こす方は、必ず、存在していることを忘れてしまうのではないのでしょうか。
また、その「対策の今後」(可能性)についてのことなど理解できない、理解せずに「わかりました」という方が、多いからだと思います。
自分自身について、しっかりと考えられれば、良く理解できるかもしれません。
相手があったり助けられたりする中で、自分自身でも「これから注意しよう」なんてことも考えることが出来ると思います。

しかし、自分自身を考えられない方もいるのです。

何らかの障害を持った、成人から高齢者も前に述べた「注意(危機感)」ということが欠けていくのです。
ならば、それを助けていくのが、本来のケアというものではないでしょうか。
もしも、生きている人間を「物と扱う」とするならば、事故はもっと多く、大きな事故と成りうるのではないでしょうか。

「見守り強化」「声かけをして理解を得る」と、事故への解決策で話し合うときに、良くいわれる言葉です。

現実的かつ的確に判断をし行動できれば、少しは事故対策が出来るでしょう。

しかし、見守り強化や声かけと理解を得ることを、言葉の意味は理解しているも、行動に移すことができない方もいるのです。

仕事への満足か、ケアができた満足か……
残念なことに、自己満足とは「職に就き給料をもらえればいい」という方もいるという事なのでしょう。

ネガティブな社会になりませんように。

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