母は入院中。
ワタシは軽い風邪と喘息中。
娘、息子、夫・・・風邪中。
もう動きが取れない。
母は・・・もう本当に心配って言うか、母のことを思うと泣けてしまってしょうがない。
母はとにかくスゴイお金持ちの娘。
銀行・・と言っても小さい信金とからしいけど、よく分からないんだけど、銀行の理事(なんか一番えらい人だったらしいけど)の娘として育っててね。
父と結婚し、父も会社を経営していて、経済的には本当に恵まれた環境だった。
母のことをいつも「上品なおかあさまねー」って言われ続けてきた。
自慢の母だった。
料理も上手で、特に洋食が得意だった。
母のビーフシチューは大好きだった。
母はゴルフもしていて、毎週のようにゴルフに行っていた。
車も2年ごとに買い替え、現在85歳の母はベンツを乗りこなし、そりゃーカッコ良かった。
父が仕事などで忙しく、晩ご飯を母と2人ですることはしょっちゅうだった。
母とは銀座に良く行き、晩ご飯は銀座で食べることが圧倒的に多かった。
デパートは銀座の松屋と新宿の伊勢丹がお気に入りで、っていうかほとんど母とはそこしか行かなかったけど。
外商っていって、ずーっと松屋と伊勢丹の外商のお得意さんだった。
外商っていつも言ってたけど、どういうことなんだろうね。
支払は月払いで・・・なんなんだろう。
買い物は全て「外商回しで」って言うと、外商の場所で荷物が全て置いてあって、それを帰りに取りに行って帰るんだけどね。
着物や宝石やなんか高級な物は外商の担当者が家に来て、売りに来るって言うか。
松屋と伊勢丹はそういう意味でなんかすごく特別扱いを受けていて、ワタシもよく分からないけど、松屋と伊勢丹は本当に担当者はいろいろな物を持って来てくれていた。
今思うと、ホントにいい客だったんだろうね、ウチは。
で、母。
オシャレだったし、服も靴もバックもそりゃ欲しい物を買ってたんでしょう。
ホントに自慢の母だった。
呆けてしまってから、母はなんかものすごく腰の低くてメチャクチャいい人になった。
以前から悪い人じゃなかった。
お手伝いさんもいたし、父の運転手もいた、犬のトレーナーもいた。
庭の手入れも庭師もいた。
そんな環境だったんだけど、母はすごく意地悪でもないし、楽しい人であったのは間違いない。
が、今、呆けて、本当にスゴクスゴク良い人なのだ。
呆けると、人を疑ったり、怒りやすくなったり・・・って人が多い中、母は本当にすごく善人になってる。
しかも、一番の驚きは、とにかく人を笑わそうとしているのだ。
誰にでも冗談を言い、呆けていて今言ったことすら忘れいているのに、父のことももう覚えていないのに。
看護士さんやstの人にも、冗談を言い続ける。
笑わそうとしてるし、実際スゴク自分自身も笑っている。
今、足が痛いんだけど、足が痛くても、泣き言や恨み辛みなんて言葉は一切出てこない。
前向きで、明るくて、楽しげで、本当に人にも感謝したり、の言葉ばかりが出てくる。
呆けても母は自慢の母だ。
呆けて、本当の自分がで来るって言うけど、母の本当の姿はこれなんだろうか。
明るくて、楽しくて、笑うことが大好きな母。
幸せな人生だったんだろうか。
ワタシが苦労させてしまったよね。
そう思うと、本当に申し訳なくて、泣けてしまってしょうがない。
自慢の母です。
ワタシは軽い風邪と喘息中。
娘、息子、夫・・・風邪中。
もう動きが取れない。
母は・・・もう本当に心配って言うか、母のことを思うと泣けてしまってしょうがない。
母はとにかくスゴイお金持ちの娘。
銀行・・と言っても小さい信金とからしいけど、よく分からないんだけど、銀行の理事(なんか一番えらい人だったらしいけど)の娘として育っててね。
父と結婚し、父も会社を経営していて、経済的には本当に恵まれた環境だった。
母のことをいつも「上品なおかあさまねー」って言われ続けてきた。
自慢の母だった。
料理も上手で、特に洋食が得意だった。
母のビーフシチューは大好きだった。
母はゴルフもしていて、毎週のようにゴルフに行っていた。
車も2年ごとに買い替え、現在85歳の母はベンツを乗りこなし、そりゃーカッコ良かった。
父が仕事などで忙しく、晩ご飯を母と2人ですることはしょっちゅうだった。
母とは銀座に良く行き、晩ご飯は銀座で食べることが圧倒的に多かった。
デパートは銀座の松屋と新宿の伊勢丹がお気に入りで、っていうかほとんど母とはそこしか行かなかったけど。
外商っていって、ずーっと松屋と伊勢丹の外商のお得意さんだった。
外商っていつも言ってたけど、どういうことなんだろうね。
支払は月払いで・・・なんなんだろう。
買い物は全て「外商回しで」って言うと、外商の場所で荷物が全て置いてあって、それを帰りに取りに行って帰るんだけどね。
着物や宝石やなんか高級な物は外商の担当者が家に来て、売りに来るって言うか。
松屋と伊勢丹はそういう意味でなんかすごく特別扱いを受けていて、ワタシもよく分からないけど、松屋と伊勢丹は本当に担当者はいろいろな物を持って来てくれていた。
今思うと、ホントにいい客だったんだろうね、ウチは。
で、母。
オシャレだったし、服も靴もバックもそりゃ欲しい物を買ってたんでしょう。
ホントに自慢の母だった。
呆けてしまってから、母はなんかものすごく腰の低くてメチャクチャいい人になった。
以前から悪い人じゃなかった。
お手伝いさんもいたし、父の運転手もいた、犬のトレーナーもいた。
庭の手入れも庭師もいた。
そんな環境だったんだけど、母はすごく意地悪でもないし、楽しい人であったのは間違いない。
が、今、呆けて、本当にスゴクスゴク良い人なのだ。
呆けると、人を疑ったり、怒りやすくなったり・・・って人が多い中、母は本当にすごく善人になってる。
しかも、一番の驚きは、とにかく人を笑わそうとしているのだ。
誰にでも冗談を言い、呆けていて今言ったことすら忘れいているのに、父のことももう覚えていないのに。
看護士さんやstの人にも、冗談を言い続ける。
笑わそうとしてるし、実際スゴク自分自身も笑っている。
今、足が痛いんだけど、足が痛くても、泣き言や恨み辛みなんて言葉は一切出てこない。
前向きで、明るくて、楽しげで、本当に人にも感謝したり、の言葉ばかりが出てくる。
呆けても母は自慢の母だ。
呆けて、本当の自分がで来るって言うけど、母の本当の姿はこれなんだろうか。
明るくて、楽しくて、笑うことが大好きな母。
幸せな人生だったんだろうか。
ワタシが苦労させてしまったよね。
そう思うと、本当に申し訳なくて、泣けてしまってしょうがない。
自慢の母です。