なんか、年末って言うか大晦日なんですね。
今年は・・・本当に色々ありました。
精神的にもかなり参っちゃったし、肉体的にもね、ホント大変でした。
2月だか3月だかにスケートして思いっきり転んだら、それまでいたかった右肩の痛みが左肩にうつって・・・。
さらに、3月には、左の顎というか、左の下の歯が割れた・・・らしく、もう本当に痛くて痛くて。
かなり辛かったです。
なんとか、注射とかもう凄いクスリもんでなんとか、’本当に何とかなって、そのままハワイへ。
娘は中学生になり。
朝が早い早い。
もう親子ともども大変で。
と、同時に、わんこの世話が本当にきつくてきつくて。
ワンコ以外でも大変なことが続いてるのに、ワンコの介護は想像以上に大変で。
6月始めに、もう私が限界で。
体は痛いし、朝は早いし、慢性的に寝不足で。
ワンコが朝4時頃から泣き始め、もうノイローゼだったと思う。
一日ほぼ泣いていて。涙が止まらない。
もう逃げ出したかった。
そんなことが続いて、もう私が死ぬかワンコが死ぬか・・ぐらいに思い詰めて。
さすがに夫がヤバイと思ったらしい。
子供たちも、当時のことをぼそっと行ったんだけど「あの時、ママが自殺するんじゃないかって毎日恐かった」って・・・言われた。
相当病んでたんですね。
で、6月の始めに、ワンコをトレーナーさんに預けた。
5年生きる仮定で、食費、色々なお金を言われて。
私はもう考える力もないぐらい本当にダメダメになってて。
パパが結局、お金を払って引き取ってもらった。
罪悪感がぬぐえないのに、生活は一気に楽になった。
大型犬の元気な下半身不随の世話は、想像以上に大変なのに。
でも、分かってくれない。
友人が私に意見してきた。
当然のことを言うんだけど、私の気持ちや精神的な物に配慮がない。
本当に辛くて、本当に泣いてばっかりだった。
子供の前でも泣いちゃってた。
もう本当に心身共に限界で。
これじゃダメだって思ってた。
私がダメになったら、子供がダメになるって思った。
だから、ワンコをどうにかしないともう無理だって。
友人に何を言われても、人からどう思われようと、私は自分をまず守らないともう本当に無理なんだ。
だから、何を言われても私は自分を守る。
子供を守るために。
で、友人とはもう連絡しない仲になった。
向こうがどう思ってるのか知らないけど、完全無視されて。
それでも私は自分が生きることを選んだのだ。
友人もトレーナーも、私がイライラしているから犬がそれを察知して、更に病気になって・・・とか、なんかね、本当に言いたいこと言われた。
私はトレーナーに預けたら、ワンコが死んじゃうって思ってた。
なぜなら、彼らはそんなに面倒見てくれないのは知ってたから。
預けると病気になって帰って来て、下半身を引きずってるからすぐに尿路感染を起こすのだ。
なのに、床連れが出来ても、ほおっておくし、尿路感染にもなかなか気づいて上げてくれない。
それでも、ワタシのせいにされたんだよね。
お母さんがそんな精神状態だから悪いって・・・。
本当は私はもう彼らと手を切りたかった。
が、ワンコをずっと見ているのも不可能で。
だから、ワンコを死なせようとした。安楽死で。
そのくらい思い詰めていたんだよん。
でも、夫が「ママ、本当に病んでる。僕が何とかするから、もう犬に関して何もしなくて良いから」って・・・、結局、トレーナーとはなしを付けて預かって貰うことになった。
泣いたよ。
本当に泣いたよ。
泣いて泣いて、もう罪悪感で死にそうになった。
何をしてもどうにもならない気持ちで。
いてもたってもいられない感じで。
で、夏になり、子供の事をおろそかにしてしまってたんだよね。
娘がリストカット始めてた。
本当にびっくりしたよ。
その頃、私は左腕が痛くて眠れないぐらいになって。
痛くて痛くて。
夏頃、息子が野球で骨折して。
娘は成績がどんどん落ちる。
親子でもうね、本当にどん底なかんじ。
パパは帰ってこないし。
本当に落ちてた。みんなで。
これじゃダメだ、これじゃダメ、何とかしなきゃ。
もうその気持ちだけ。
娘のリスカの原因を探って、先生や習い事の先生達と相談したり、協力してもらったり。
本当に動いた。
息子は野球もスポ少も本当に頑張って、頑張って。
年末に向かい、娘は明るくなった。
成績はまだ悪かったけど、徐々に良くなってきていた。
一緒に勉強してみたり、声かけを沢山したり、楽しませたり。
積極的に私も子供たちに関わりを持ち、本当に頑張ってた。
私の体の痛みはピークで、当然医者に行っても治らず。
そんななか、12月に息子が大けが。
入院手術。
もうね、今年は大変なんてもんじゃないほど大変だったんです。
いろんな事が起こりすぎた。
人生が変わるぐらい色々経験した気がする。
ちゃんと勉強して人生が良くなれば良いのだけど・・・。
本当に本当に今年は辛かった。
それと同時に、本当に頑張った。
色々考えた・・・そんな年でした。
来年はどうなるんでしょう。
本当にね、なんとか頑張りたいなって思うわけです。
今年は・・・本当に色々ありました。
精神的にもかなり参っちゃったし、肉体的にもね、ホント大変でした。
2月だか3月だかにスケートして思いっきり転んだら、それまでいたかった右肩の痛みが左肩にうつって・・・。
さらに、3月には、左の顎というか、左の下の歯が割れた・・・らしく、もう本当に痛くて痛くて。
かなり辛かったです。
なんとか、注射とかもう凄いクスリもんでなんとか、’本当に何とかなって、そのままハワイへ。
娘は中学生になり。
朝が早い早い。
もう親子ともども大変で。
と、同時に、わんこの世話が本当にきつくてきつくて。
ワンコ以外でも大変なことが続いてるのに、ワンコの介護は想像以上に大変で。
6月始めに、もう私が限界で。
体は痛いし、朝は早いし、慢性的に寝不足で。
ワンコが朝4時頃から泣き始め、もうノイローゼだったと思う。
一日ほぼ泣いていて。涙が止まらない。
もう逃げ出したかった。
そんなことが続いて、もう私が死ぬかワンコが死ぬか・・ぐらいに思い詰めて。
さすがに夫がヤバイと思ったらしい。
子供たちも、当時のことをぼそっと行ったんだけど「あの時、ママが自殺するんじゃないかって毎日恐かった」って・・・言われた。
相当病んでたんですね。
で、6月の始めに、ワンコをトレーナーさんに預けた。
5年生きる仮定で、食費、色々なお金を言われて。
私はもう考える力もないぐらい本当にダメダメになってて。
パパが結局、お金を払って引き取ってもらった。
罪悪感がぬぐえないのに、生活は一気に楽になった。
大型犬の元気な下半身不随の世話は、想像以上に大変なのに。
でも、分かってくれない。
友人が私に意見してきた。
当然のことを言うんだけど、私の気持ちや精神的な物に配慮がない。
本当に辛くて、本当に泣いてばっかりだった。
子供の前でも泣いちゃってた。
もう本当に心身共に限界で。
これじゃダメだって思ってた。
私がダメになったら、子供がダメになるって思った。
だから、ワンコをどうにかしないともう無理だって。
友人に何を言われても、人からどう思われようと、私は自分をまず守らないともう本当に無理なんだ。
だから、何を言われても私は自分を守る。
子供を守るために。
で、友人とはもう連絡しない仲になった。
向こうがどう思ってるのか知らないけど、完全無視されて。
それでも私は自分が生きることを選んだのだ。
友人もトレーナーも、私がイライラしているから犬がそれを察知して、更に病気になって・・・とか、なんかね、本当に言いたいこと言われた。
私はトレーナーに預けたら、ワンコが死んじゃうって思ってた。
なぜなら、彼らはそんなに面倒見てくれないのは知ってたから。
預けると病気になって帰って来て、下半身を引きずってるからすぐに尿路感染を起こすのだ。
なのに、床連れが出来ても、ほおっておくし、尿路感染にもなかなか気づいて上げてくれない。
それでも、ワタシのせいにされたんだよね。
お母さんがそんな精神状態だから悪いって・・・。
本当は私はもう彼らと手を切りたかった。
が、ワンコをずっと見ているのも不可能で。
だから、ワンコを死なせようとした。安楽死で。
そのくらい思い詰めていたんだよん。
でも、夫が「ママ、本当に病んでる。僕が何とかするから、もう犬に関して何もしなくて良いから」って・・・、結局、トレーナーとはなしを付けて預かって貰うことになった。
泣いたよ。
本当に泣いたよ。
泣いて泣いて、もう罪悪感で死にそうになった。
何をしてもどうにもならない気持ちで。
いてもたってもいられない感じで。
で、夏になり、子供の事をおろそかにしてしまってたんだよね。
娘がリストカット始めてた。
本当にびっくりしたよ。
その頃、私は左腕が痛くて眠れないぐらいになって。
痛くて痛くて。
夏頃、息子が野球で骨折して。
娘は成績がどんどん落ちる。
親子でもうね、本当にどん底なかんじ。
パパは帰ってこないし。
本当に落ちてた。みんなで。
これじゃダメだ、これじゃダメ、何とかしなきゃ。
もうその気持ちだけ。
娘のリスカの原因を探って、先生や習い事の先生達と相談したり、協力してもらったり。
本当に動いた。
息子は野球もスポ少も本当に頑張って、頑張って。
年末に向かい、娘は明るくなった。
成績はまだ悪かったけど、徐々に良くなってきていた。
一緒に勉強してみたり、声かけを沢山したり、楽しませたり。
積極的に私も子供たちに関わりを持ち、本当に頑張ってた。
私の体の痛みはピークで、当然医者に行っても治らず。
そんななか、12月に息子が大けが。
入院手術。
もうね、今年は大変なんてもんじゃないほど大変だったんです。
いろんな事が起こりすぎた。
人生が変わるぐらい色々経験した気がする。
ちゃんと勉強して人生が良くなれば良いのだけど・・・。
本当に本当に今年は辛かった。
それと同時に、本当に頑張った。
色々考えた・・・そんな年でした。
来年はどうなるんでしょう。
本当にね、なんとか頑張りたいなって思うわけです。