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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000017-mai-int<キプロス>大統領にフリストフィアス氏 決選投票で勝利
2月25日10時16分配信毎日新聞
【ローマ海保真人】地中海キプロス島南のキプロス共和国(ギリシャ系)の大統領選挙の決選投票は24日実施され、即日開票の結果、左派・労働人民進歩党党首のフリストフィアス国会議長(61)が勝利した。フリストフィアス氏は分断中の
「北キプロス・トルコ共和国(トルコのみ承認)」との対話を求めており、
中断されている再統合交渉が再び動き出す見通しとなった。:2月25日10時16分
前の記事:ラルフ・ネーダー氏、米大統領選に出馬表明(ロイター) - 10時17分
次の記事:新議長に実弟ラウル氏 キューバ新体制が発足(産経新聞) - 9時56分関連記事29件
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000002-jij-int
衝突で約160人死亡か=トルコ反政府組織、クルド人に決起訴え-イラク北部
2月25日1時1分配信時事通信
【エルサレム24日時事】トルコ軍は24日、声明を出し、イラク北部で過去3日間に実行した掃討作戦により、同地を拠点とするトルコの反政府武装組織、クルド労働者党(PKK)のメンバー112人が死亡したと発表した。一方、ロイター通信によると、PKKはトルコ兵47人を殺害したとしている。
同軍はトルコとの国境付近のイラク山岳地帯で作戦を続行、24日だけでPKKのメンバー33人を殺害したとしている。一方、PKKはトルコ軍の攻撃ヘリコプターを撃墜したと主張。同軍は「原因は不明」としながらも、墜落の事実を認めた。
トルコからの報道によれば、PKK幹部のエルダル司令官は24日、親PKKのフィラト通信を通じ、トルコ国内のクルド住民に対し、「(トルコ軍が)われわれの壊滅を望むなら、若者たちは(トルコの)都市に人々が住めないようにする必要がある」と決起を呼び掛けた。
【関連用語】 「クルド労働者党」
【関連記事】衝突で100人超死亡か=反政府組織、クルド人に決起訴え-イラク北部
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最終更新:2月25日1時5分
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PKK戦闘員112人を殺害(産経新聞) - 2月25日 8時 1分
<トルコ>掃討作戦でPKK側の死者、112人に(毎日新聞) - 2月25日 1時25分
衝突で約160人死亡か=トルコ反政府組織、クルド人に決起訴え-イラク北部(時事通信) - 2月25日 1時 1分
関連記事16件
コメントを書く | コメントを表示しない2:2008年2月25日 7時51分
7点
おおむね1の人の意見に同意だけど、
もう少し踏み込んで考える必要があるのでは。
クルド人が自分たちで各国に分散したのではなく、
かつてヨーロッパ列強がこの地域を分けたために、クルド人居住区域が分割されてしまった。
この点で、ヨーロッパには後ろめたい思いがあるし、
ここで「人権」という剣を振りかざすと、
そ ♪
の ♪♪♪
刃が
自 ???????
分に向かうのが目に見えているので、
そ ♪♪♪
うもいかない
の ♪
でし ♪♪♪
ょう。各国でクルド人が虐げられているのが事実としても、それを非難すると、「じゃあ
そ ♪♪♪♪♪♪♪
の ♪♪♪
クルド人問題を生み出したのは誰?
俺らの国を勝手に分けたのは誰?」
と問い返されて終わって
しま ♪
う。欧米
の ♪♪♪
自 ???????
分勝手な理屈、と見えなくはないけど、少なくとも現代の欧米が主張している人権問題は妥当なところだと思う。
ただ、クルド人問題については、過去の足かせがあって、理屈どおりにはいかない、というところだと思う。
1:2008年2月25日 7時12分
2点
トルコ・イラク・イランに居住地が分割されて、各国で少数民族となっているクルド人の独立運動。
コソボ自治州の独立を認めるアメリカ合衆国やEU諸国は、なぜ同様にクルド人の独立を支援しないのか?
民族自決を言うのなら、クルドも独立させるべく支援すべきでしょう。
国境侵犯しての弾圧など認めてはいけないはず。
欧米の自分勝手な理屈に
迎合しないで考え行動 ♪♪♪
しない
とい ♪
けないと思います。
3:2008年2月25日 10時15分
0点
冷戦が終わってから、イデオロギーの時代に変わって民族主義の時代に入り込んだ。
「民主主義」と「人権」はいつでも妥当だと思うけど、ただこれを「売りさばく」とき、
欧米の自己利益によって生まれた差別的な使用は、民族問題を複雑化及び氾濫させるだけだ。私は中国人で、
中国にも民族問題が段々敏感になっている。
普通の日本人の方々にとって国内民族主義ってなかなか分かりにくいもんだと思う。
ちなみに、1さんと2さんのお言葉が賛成です。- 1時20分関連記事3件
次の記事:<イラク>巡礼者狙い自爆テロ 40人死亡、60人負傷(毎日新聞) - 0時53分関連記事3件
http://homepage1.nifty.com/mstak/Tour/turkey2.html
トルコ紀行付2 トルコとその周辺(アナトリア半島、小アジア)の歴史
様HPより一部抜粋
トルコの東、ロシア国境のアララト山にはノアの箱船伝説もあり、トルコの歴史は古い。
1000年の都としてあまりにも有名な東ローマ帝国の首都だったイスタンブールだけでなく、トルコには、
ギリシャ、ローマの遺跡も多く、コンヤを首都としたセルジュク・トルコに始まるイスラム世界、それを継承し
東ローマ帝国を倒して一次大戦に敗戦するまで
400年もの間、周辺にも強大を誇ったオスマン・トルコと、実に変化に富む歴史を持つ。
古代のメソポタミア文明諸国、
初めて鉄器文明を開いたというヒッタイト帝国、
トロイ戦争、
ギリシャ植民都市(イオニア)、
アケメネス王朝ペルシャ、
アレキサンダー大王、
ベルガモン王国、
シルクロード、
パウロの伝道、
マリアの晩年の地、
ローマ帝国、
東ローマ帝国、
ササン朝ペルシャ、
サラセン帝国( イスラム) 、
セルジュック・トルコ、
十字軍、
オスマン・トルコ、
ナポレオンのエジプト遠征、
ロシアとのクリミア戦争、
ギリシャ独立戦争、
一次大戦でドイツに加担して敗戦し、
ギリシャなどに占領され、抹消されかかったトルコの独立を維持し、
イスラムからの近代化をはかった英雄、ケマル・パシャ(アタチュルク)による近代化........ 。
ヨーロッパ、オリエントにまたがるまさに、東西文明の結接点。
( 以下、文中の1-350 というのは、『世界の歴史』中公文庫 1974年初版)の巻数と頁数)
… 中略 …
4. セルジュック・トルコ
5世紀頃、モンゴリア高原に興った
おそるべき遊牧民の一つが
トルコ系
( トッケツ)
である。
9世紀なかば、
サラセン帝国カリフ朝衰退、
トルコ系ガズニ王朝( 今のアフガニスタン) が、
西トルキスタンから北インドまで勢力をふるう。
北方より、セルジュック・トルコが興り、
11世紀には、ペルシャ全土を占領。
コンヤ( トルコ) に都をおく。
西では、十字軍、東では、キタイ族との
戦闘で国力消耗。
スルタン= サンジャールは、イスラムが生んだ偉大な君主とされているが、
1157年その死とともに崩壊。
やがて、かって
キョウド、
トルコ系( トッケツ) の興ったモンゴリア高原に
蒙古族が興る。(5-270)
5. オスマン・トルコ
チムールがサマルカンドに都し、
14世紀末バクダード占領。
オスマン・トルコは、アルタイ山脈にいたが、
モンゴル人に追われ、チンギス・ハーンの西征にあって、
小アジアに逃げ込む。
14世紀末、バイヤードという有能な指導者が出て、十字軍と戦い、バルカン半島に侵入したが,
チムールの小アジア侵入で引き返し、アンカラ近くで敗退、捕虜になる。(5-382)
1453 年、スルタン= ムハメッド二世、コンスタンチノープル占領、
1475年、クリミア半島併合、一時的には
イタリアの一部も占領。
スレイマン大王の時代、バルカン半島攻撃、
16世紀前半、ベルグラード、ハンガリー王ルイを破る。
ウィーンは、長期にわたる包囲にたえる。
北アフリカにも遠征。
以後、100 年はこの支配が続く。
その暴政にまず、ハンガリー人が反抗、
1644年、ゴタルゴの戦いにオーストリアに破られた機会に乗じた。
1683年、ポーランド人がボドリアから駆逐。
… 中略 …
キプロス島歴史散歩
様HPより一部抜粋
はじめに
キプロス島は
九千年の歴史を持つ島といわれる。
「この島には前史時代の集落跡も、古代ギリシアの神殿も、古代ローマの劇場も、初期キリスト教のバシリカも、ビザンティン時代の修道院も、十字軍の城も、ゴシック式の教会も、ヴェネツィアの要塞もある」
『キプロス周遊ガイド』(Touring Guide of CYPRUS)という本をぱらぱら見ていたら、こんな文言が目についた。
さらに付け加えれば、この島にはオスマン時代のモスクや浴場も、島を植民地にしていた英国人の居住区もある。
まるで世界史をぎゅっと圧縮して、小さな島に詰め込んだようではないか。
… 中略 …
〈キプロス史年表〉
後期青銅器時代 BC.1650~1050
・ミケナイ人の植民始まる。BC.1400
鉄器時代 BC.1050頃
ジオメトリック時代 BC.1050~750
・フェニキア人キティオンに植民。BC.9世紀頃。
アルカイック時代 BC.750~475
・アッシリア人侵入。BC.675~669
・エジプト人侵入。BC.560~545
・ペルシア人侵入。BC.545~332
古典時代 BC.475~325
・アレクサンドロス大王の支配下に入る。BC.336
ヘレニズム時代 BC.325~50
・プトレマイオス朝の支配下に入る。
ローマ時代 BC.50~AD.330
ビザンティン時代 330~1191
英国リチャード王の支配 1191
リュージニャン時代 1192~1489
ヴェネツィア時代 1489~1571
オスマン帝国時代 1571~1878
英国支配時代 1878~1960
キプロス共和国誕生 1960
キプロス紛争 1974
・キプロス島、南北に分裂。
“北キプロス・トルコ共和国”独立宣言 1983
キプロス共和国EU加盟 2004
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HSIUT c派 複伏福歓拝
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000017-mai-int<キプロス>大統領にフリストフィアス氏 決選投票で勝利
2月25日10時16分配信毎日新聞
【ローマ海保真人】地中海キプロス島南のキプロス共和国(ギリシャ系)の大統領選挙の決選投票は24日実施され、即日開票の結果、左派・労働人民進歩党党首のフリストフィアス国会議長(61)が勝利した。フリストフィアス氏は分断中の
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000002-jij-int
衝突で約160人死亡か=トルコ反政府組織、クルド人に決起訴え-イラク北部
2月25日1時1分配信時事通信
【エルサレム24日時事】トルコ軍は24日、声明を出し、イラク北部で過去3日間に実行した掃討作戦により、同地を拠点とするトルコの反政府武装組織、クルド労働者党(PKK)のメンバー112人が死亡したと発表した。一方、ロイター通信によると、PKKはトルコ兵47人を殺害したとしている。
同軍はトルコとの国境付近のイラク山岳地帯で作戦を続行、24日だけでPKKのメンバー33人を殺害したとしている。一方、PKKはトルコ軍の攻撃ヘリコプターを撃墜したと主張。同軍は「原因は不明」としながらも、墜落の事実を認めた。
トルコからの報道によれば、PKK幹部のエルダル司令官は24日、親PKKのフィラト通信を通じ、トルコ国内のクルド住民に対し、「(トルコ軍が)われわれの壊滅を望むなら、若者たちは(トルコの)都市に人々が住めないようにする必要がある」と決起を呼び掛けた。
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7点
おおむね1の人の意見に同意だけど、
もう少し踏み込んで考える必要があるのでは。
クルド人が自分たちで各国に分散したのではなく、
かつてヨーロッパ列強がこの地域を分けたために、クルド人居住区域が分割されてしまった。
この点で、ヨーロッパには後ろめたい思いがあるし、
ここで「人権」という剣を振りかざすと、
そ ♪
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俺らの国を勝手に分けたのは誰?」
と問い返されて終わって
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分勝手な理屈、と見えなくはないけど、少なくとも現代の欧米が主張している人権問題は妥当なところだと思う。
ただ、クルド人問題については、過去の足かせがあって、理屈どおりにはいかない、というところだと思う。
1:2008年2月25日 7時12分
2点
トルコ・イラク・イランに居住地が分割されて、各国で少数民族となっているクルド人の独立運動。
コソボ自治州の独立を認めるアメリカ合衆国やEU諸国は、なぜ同様にクルド人の独立を支援しないのか?
民族自決を言うのなら、クルドも独立させるべく支援すべきでしょう。
国境侵犯しての弾圧など認めてはいけないはず。
欧米の自分勝手な理屈に
迎合しないで考え行動 ♪♪♪
しない
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けないと思います。
3:2008年2月25日 10時15分
0点
冷戦が終わってから、イデオロギーの時代に変わって民族主義の時代に入り込んだ。
「民主主義」と「人権」はいつでも妥当だと思うけど、ただこれを「売りさばく」とき、
欧米の自己利益によって生まれた差別的な使用は、民族問題を複雑化及び氾濫させるだけだ。私は中国人で、
中国にも民族問題が段々敏感になっている。
普通の日本人の方々にとって国内民族主義ってなかなか分かりにくいもんだと思う。
ちなみに、1さんと2さんのお言葉が賛成です。- 1時20分関連記事3件
次の記事:<イラク>巡礼者狙い自爆テロ 40人死亡、60人負傷(毎日新聞) - 0時53分関連記事3件
http://homepage1.nifty.com/mstak/Tour/turkey2.html
トルコ紀行付2 トルコとその周辺(アナトリア半島、小アジア)の歴史
様HPより一部抜粋
トルコの東、ロシア国境のアララト山にはノアの箱船伝説もあり、トルコの歴史は古い。
1000年の都としてあまりにも有名な東ローマ帝国の首都だったイスタンブールだけでなく、トルコには、
ギリシャ、ローマの遺跡も多く、コンヤを首都としたセルジュク・トルコに始まるイスラム世界、それを継承し
東ローマ帝国を倒して一次大戦に敗戦するまで
400年もの間、周辺にも強大を誇ったオスマン・トルコと、実に変化に富む歴史を持つ。
古代のメソポタミア文明諸国、
初めて鉄器文明を開いたというヒッタイト帝国、
トロイ戦争、
ギリシャ植民都市(イオニア)、
アケメネス王朝ペルシャ、
アレキサンダー大王、
ベルガモン王国、
シルクロード、
パウロの伝道、
マリアの晩年の地、
ローマ帝国、
東ローマ帝国、
ササン朝ペルシャ、
サラセン帝国( イスラム) 、
セルジュック・トルコ、
十字軍、
オスマン・トルコ、
ナポレオンのエジプト遠征、
ロシアとのクリミア戦争、
ギリシャ独立戦争、
一次大戦でドイツに加担して敗戦し、
ギリシャなどに占領され、抹消されかかったトルコの独立を維持し、
イスラムからの近代化をはかった英雄、ケマル・パシャ(アタチュルク)による近代化........ 。
ヨーロッパ、オリエントにまたがるまさに、東西文明の結接点。
( 以下、文中の1-350 というのは、『世界の歴史』中公文庫 1974年初版)の巻数と頁数)
… 中略 …
4. セルジュック・トルコ
5世紀頃、モンゴリア高原に興った
おそるべき遊牧民の一つが
トルコ系
( トッケツ)
である。
9世紀なかば、
サラセン帝国カリフ朝衰退、
トルコ系ガズニ王朝( 今のアフガニスタン) が、
西トルキスタンから北インドまで勢力をふるう。
北方より、セルジュック・トルコが興り、
11世紀には、ペルシャ全土を占領。
コンヤ( トルコ) に都をおく。
西では、十字軍、東では、キタイ族との
戦闘で国力消耗。
スルタン= サンジャールは、イスラムが生んだ偉大な君主とされているが、
1157年その死とともに崩壊。
やがて、かって
キョウド、
トルコ系( トッケツ) の興ったモンゴリア高原に
蒙古族が興る。(5-270)
5. オスマン・トルコ
チムールがサマルカンドに都し、
14世紀末バクダード占領。
オスマン・トルコは、アルタイ山脈にいたが、
モンゴル人に追われ、チンギス・ハーンの西征にあって、
小アジアに逃げ込む。
14世紀末、バイヤードという有能な指導者が出て、十字軍と戦い、バルカン半島に侵入したが,
チムールの小アジア侵入で引き返し、アンカラ近くで敗退、捕虜になる。(5-382)
1453 年、スルタン= ムハメッド二世、コンスタンチノープル占領、
1475年、クリミア半島併合、一時的には
イタリアの一部も占領。
スレイマン大王の時代、バルカン半島攻撃、
16世紀前半、ベルグラード、ハンガリー王ルイを破る。
ウィーンは、長期にわたる包囲にたえる。
北アフリカにも遠征。
以後、100 年はこの支配が続く。
その暴政にまず、ハンガリー人が反抗、
1644年、ゴタルゴの戦いにオーストリアに破られた機会に乗じた。
1683年、ポーランド人がボドリアから駆逐。
… 中略 …
キプロス島歴史散歩
様HPより一部抜粋
はじめに
キプロス島は
九千年の歴史を持つ島といわれる。
「この島には前史時代の集落跡も、古代ギリシアの神殿も、古代ローマの劇場も、初期キリスト教のバシリカも、ビザンティン時代の修道院も、十字軍の城も、ゴシック式の教会も、ヴェネツィアの要塞もある」
『キプロス周遊ガイド』(Touring Guide of CYPRUS)という本をぱらぱら見ていたら、こんな文言が目についた。
さらに付け加えれば、この島にはオスマン時代のモスクや浴場も、島を植民地にしていた英国人の居住区もある。
まるで世界史をぎゅっと圧縮して、小さな島に詰め込んだようではないか。
… 中略 …
〈キプロス史年表〉
後期青銅器時代 BC.1650~1050
・ミケナイ人の植民始まる。BC.1400
鉄器時代 BC.1050頃
ジオメトリック時代 BC.1050~750
・フェニキア人キティオンに植民。BC.9世紀頃。
アルカイック時代 BC.750~475
・アッシリア人侵入。BC.675~669
・エジプト人侵入。BC.560~545
・ペルシア人侵入。BC.545~332
古典時代 BC.475~325
・アレクサンドロス大王の支配下に入る。BC.336
ヘレニズム時代 BC.325~50
・プトレマイオス朝の支配下に入る。
ローマ時代 BC.50~AD.330
ビザンティン時代 330~1191
英国リチャード王の支配 1191
リュージニャン時代 1192~1489
ヴェネツィア時代 1489~1571
オスマン帝国時代 1571~1878
英国支配時代 1878~1960
キプロス共和国誕生 1960
キプロス紛争 1974
・キプロス島、南北に分裂。
“北キプロス・トルコ共和国”独立宣言 1983
キプロス共和国EU加盟 2004
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