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防波堤から見た空です。
今回の旅のもう一つの目的は、東日本大震災を我が目で確かめる・・と言う事もありました。
夫は復興に係わる仕事をしていたので、震災直後から、そしてつい2年ほど前まで通った地でもあります。
今日は、あれから5年半後の被災地の様子を少しでも御紹介したいと思います。
瑞穂の黄金色を楽しんでいて、ウトウトしかけた時、夫に「仮設住宅」と声をかけれらました。
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町外れに並んでいました。
そして車の左手に・・・
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車の走っている道路から見上げるほどに土を盛っています。
ここに新しい住宅地を造る予定だそうです。
ここには何が出来るんだろう・・・
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改めて言っておきますが、あの震災から五年半後です。
このアパートは、最上階だけ助かりました。
津波によって破壊されたベランダを見て下さい。
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この松だけが残りました。
陸前高田市気仙町の「奇跡の一本松」です。
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釜石市はあの地震と津波で1040人もの犠牲を出しました。
その中でも最も大きな被害を受けた鶴住居街。
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もう一度言います。
あの震災から五年半経っています。
あちこちにある標識。
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だんだん胸が苦しくなって来ました。
夫は、二年前からの復興の進み具合を目で見て確かめる・・・という名目があります。
でも、私は所謂観光。
つい最近多くの人の命が失われた場所を訪れるという行動は、人として許されるのだろうかと。
道の駅でアンケート調査の人に呼び止められました。
「叉来たいと思いますか。」
何となく後ろめたさがあって思わず逡巡した私に「埃っぽくて厭ですか?」
復興の為の工事の埃っぽさなんて、私は本当に微塵も意識していませんでした。
でも、これが、ここでこれから生きる人の意識なんだなぁって・・・・
これから魅力ある観光地として生きて行く為に、自分達の日常にとっては必要な工事も、もしかすると観光客にとってはマイナス要因かも・・・
という思考が、もう前を向いているなあと。
被害者意識から脱却しなければ生きていけない。
何だか、私の中途半端なセンチメンタルを否定されたような強さを感じました。
人は弱いけれど強い。
明日は大きな被害を受けた釜石市。
でも、余りにも美しかった海辺の風景を。
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