ダンナが昨日から福島へ向けて出発しました。
おとといの夕方、ダンナから電話で急遽翌日から福島へ行くことを伝えられました。
あまりに突然だったのでなんの準備も出来てなく、子供たちが寝静まってから慌てて夜に営業しているお店へ必需品を買い求めに行きましたが、水も非常食もほとんど手に入りませんでした。
福島の情報が全くない状態で、電気や水道の状況もわかっていなかったのですが、ちょうど水道から放射性物質が検出されたと報道があったばかりで、きっとミネラルウォーターは現地では手に入らないだろうと思って、名古屋にいる間にどうしても水だけは持って行ってほしくて、お店を何件かまわりやっと買えた状況でした。
携帯の充電池も我が家になくて、スーパーやコンビニも全て売り切れ・・・真夜中に友達の家に借りに行きました。
友達と旦那さんが心配して、防水スプレーとか貴重な缶詰も分けてくれて涙が出そうでした。
会社からはレインコートと帽子、マスクを持って行くように伝達があり、いつもの出張とはまるで違う荷物の内容に不安を感じました。
ダンナが今回入る予定なのは福島市で、地図で見てみると原発より40~50キロの距離のようです。
昨日の朝はリーコとさーちゃんと元気に送り出しました。
昨日は名古屋で残っている仕事をこなしてから、東京で集合だったそうです。
全国から集まった応援の社員20名程と共に今日の朝、新幹線で新潟に行き、ディーゼル車数台で郡山に到着したそうです。
一日がかりの移動で、さらに明日の朝には郡山から福島市に向かうそうです。
今回、応援の社員は郡山と福島市に入り、ダンナは福島市に入る予定です。
今日は郡山に残る社員の方と一緒に夕飯を食べに行ったようですが、街は閑散としていてコンビニには飲み物やお惣菜類は全くなく、もし福島市も同じような状況で夕飯が食べられるお店がなかったら持参していった非常食で過ごすようになるみたい・・・
ホテルには泊まれているので、朝食はホテルで食べられるようです。
今日も夕方に東北地方で強い余震があり、自分が東北にいる事を実感したそうです。
知り合いの社員の方が福島支社にいるのですが、その方に放射線の不安があるかと聞いたら、自分は独り身だしあまり考えないようにしている・・と仰っていました。
被災された方は、この2週間ずっとこの余震を常に感じながら過ごされているのかと思うと胸が締め付けられる思いです。
仕事は建物の中での仕事ではなく、現場(外)での仕事が主になるようで、どれくらいの放射線なのかも心配です。(福島市3/25の放射能測定値・・4.15マイクロシーベルト/時間(平常値は0.04マイクロシーベルト/時間))
まだ郡山に夕方着いたばかりで状況はよくわからないようですが、被災された方々は余震や放射線が気になる中そこで日常を送っているのです。
今回、ダンナの出張が決まってから改めて現地の原発の状況や被災地の方々の事をより強く思うようになりました。
私たちは、昨日送り出すまでは慌しく準備したりでバタバタと過ごしましたが、ダンナが出発してからはとにかく無事に帰ってきてくれる事を祈るだけです。
冷静さを装っていても昨日一日は気付くと震えている自分がいました。
リーコは早速パパがいない事をしきりに聞いてきて、
「パパはあと何回寝たら帰ってくるの?何月になったら帰ってくるの?」
と質問攻めです。
子供なりにいつもと違う空気を感じるようです。
名古屋で過ごす私たちは元気に、笑顔一杯でいつもと変わらぬ毎日を過ごすだけです。
パパ、頑張ってね!
おとといの夕方、ダンナから電話で急遽翌日から福島へ行くことを伝えられました。
あまりに突然だったのでなんの準備も出来てなく、子供たちが寝静まってから慌てて夜に営業しているお店へ必需品を買い求めに行きましたが、水も非常食もほとんど手に入りませんでした。
福島の情報が全くない状態で、電気や水道の状況もわかっていなかったのですが、ちょうど水道から放射性物質が検出されたと報道があったばかりで、きっとミネラルウォーターは現地では手に入らないだろうと思って、名古屋にいる間にどうしても水だけは持って行ってほしくて、お店を何件かまわりやっと買えた状況でした。
携帯の充電池も我が家になくて、スーパーやコンビニも全て売り切れ・・・真夜中に友達の家に借りに行きました。
友達と旦那さんが心配して、防水スプレーとか貴重な缶詰も分けてくれて涙が出そうでした。
会社からはレインコートと帽子、マスクを持って行くように伝達があり、いつもの出張とはまるで違う荷物の内容に不安を感じました。
ダンナが今回入る予定なのは福島市で、地図で見てみると原発より40~50キロの距離のようです。
昨日の朝はリーコとさーちゃんと元気に送り出しました。
昨日は名古屋で残っている仕事をこなしてから、東京で集合だったそうです。
全国から集まった応援の社員20名程と共に今日の朝、新幹線で新潟に行き、ディーゼル車数台で郡山に到着したそうです。
一日がかりの移動で、さらに明日の朝には郡山から福島市に向かうそうです。
今回、応援の社員は郡山と福島市に入り、ダンナは福島市に入る予定です。
今日は郡山に残る社員の方と一緒に夕飯を食べに行ったようですが、街は閑散としていてコンビニには飲み物やお惣菜類は全くなく、もし福島市も同じような状況で夕飯が食べられるお店がなかったら持参していった非常食で過ごすようになるみたい・・・
ホテルには泊まれているので、朝食はホテルで食べられるようです。
今日も夕方に東北地方で強い余震があり、自分が東北にいる事を実感したそうです。
知り合いの社員の方が福島支社にいるのですが、その方に放射線の不安があるかと聞いたら、自分は独り身だしあまり考えないようにしている・・と仰っていました。
被災された方は、この2週間ずっとこの余震を常に感じながら過ごされているのかと思うと胸が締め付けられる思いです。
仕事は建物の中での仕事ではなく、現場(外)での仕事が主になるようで、どれくらいの放射線なのかも心配です。(福島市3/25の放射能測定値・・4.15マイクロシーベルト/時間(平常値は0.04マイクロシーベルト/時間))
まだ郡山に夕方着いたばかりで状況はよくわからないようですが、被災された方々は余震や放射線が気になる中そこで日常を送っているのです。
今回、ダンナの出張が決まってから改めて現地の原発の状況や被災地の方々の事をより強く思うようになりました。
私たちは、昨日送り出すまでは慌しく準備したりでバタバタと過ごしましたが、ダンナが出発してからはとにかく無事に帰ってきてくれる事を祈るだけです。
冷静さを装っていても昨日一日は気付くと震えている自分がいました。
リーコは早速パパがいない事をしきりに聞いてきて、
「パパはあと何回寝たら帰ってくるの?何月になったら帰ってくるの?」
と質問攻めです。
子供なりにいつもと違う空気を感じるようです。
名古屋で過ごす私たちは元気に、笑顔一杯でいつもと変わらぬ毎日を過ごすだけです。
パパ、頑張ってね!