岩手人の廃校探訪記

岩手県の懐かしの学校の記憶を貴方へ…
(合併した市町村の表記は閉校当時のものにしています。)

浄法寺町立川又小中学校

2020-09-17 15:11:29 | 岩手県二戸地区
浄法寺町立川又小中学校
(小)2005年閉校→浄法寺小学校
(中)1995年閉校→浄法寺中学校

2017年10月29日訪問

この日はさらに足を伸ばして旧浄法寺町川又まで行きました。
川又小学校は旧浄法寺町の小学校本校の中でも、最も山側にあった学校です。
ここよりもさらに進んだ場所に、下沢分校という分校を持っていました。
学校設備はほとんどすべて現存していました。
左側の三階建ての校舎が川又小学校、右側の二階建てモルタル校舎が川又中学校です。


中学校の玄関。
10年の差か、草に覆われてきています。


中学校のさらに右側には、体育館があります。
中学校舎のほうが建築年が古く、かつては木造時代の小学校舎の裏に同じく木造の体育館があったようです。
(小学校舎の位置自体は変わっていません)


こちらが門柱。
門柱が建てられた時には、すでに下沢分校は閉校していたようです。




プールも残っていました。
が、エメラルドグリーンの水で満たされていました…


小学校舎の前には、記念碑がまとめて建てられていました。




閉校時児童数3名
この校舎に3人は…ちょっと寂しいですね。
ちなみに中学校の閉校時生徒数は23名でした。

田子町立上郷小学校水亦分校

2020-09-16 17:03:47 | 青森県三八地区
田子町立上郷小学校水亦分校
1985年閉校→上郷小学校

2017年10月29日訪問

今回は寄り道して、お隣青森県の田子町から。
水亦分校は、二戸市と田子町の境近くにあった分校です。
1961年開校なので、二十数年しか存在しなかったという比較的短命な分校です。
訪問時は、地域の方が刈り取った稲を校庭で干していました。
校舎、教員住宅ともに現存していました。
校舎は木造平屋のコンパクトなものでした。


こちらが教員住宅


校門。
門柱には陶製の校章が。



閉校記念碑もしっかりと残されていました。
分校には記念碑を立てるところがあまり多くないので、新鮮でした。

二戸市立川代小学校

2020-09-16 16:46:13 | 岩手県二戸地区
二戸市立川代小学校
1998年閉校→二戸西小学校

2017年10月29日訪問

今回で二戸西シリーズ最後の投稿です。
川代小学校の跡地は公民館となっていました。
校舎は2000年代前半まで残っていたそうです。
基本は木造平屋で、正面玄関を挟んだ片側が二階建ての校舎だったようです。
二階部分は増築で、基礎に使う石を目の前を流れる十文字川から児童も手伝いながら採石したそうです。



こちらは校庭から校舎へのアプローチ階段。


校舎があった場所には記念碑が建てられていました。



門柱はかなりひび割れてきており、校名が分からなくなるのも時間の問題です。
裏側は…何の記念でしょうか??



閉校時児童数23名

二戸市立根森小学校

2020-09-14 10:25:10 | 岩手県二戸地区
二戸市立根森小学校
1998年閉校→二戸西小学校

2017年10月29日訪問

根森地区は斗米地区北西部にある集落です。
小学校は県道からそれたわき道にあります。
かつてはこれよりも山奥に、小端分校という分校を持っていました。

こちらが入り口。
素直に「二戸市立」ではなく、岩手縣・・・とあります。
この門を制作した当時は、おそらく「岩手縣二戸郡福岡町立」だったのではないでしょうか。


体育館が残されていました。
校舎は体育館の右側にありました。



校舎が建っていた場所は植樹されていました。
私が幼い時にも一度来たことがありましたが、その時は木造平屋の小さな校舎が残っていました。


こちらは閉校記念碑。
校歌が刻んでありますが、苔むして読みづらくなってしまっています。



掲揚塔も草木に覆われています。


記念碑のわきになぜ門柱が…?
と思ったら、校舎新築十周年のものでした。


閉校時児童数19名
分校もあったと考えると、寂しい児童数ですね…

二戸市立玉木小学校

2020-09-05 14:43:49 | 岩手県二戸地区
二戸市立玉木小学校
1998年閉校→二戸西小学校

2017年10月29日訪問

前回に引き続き上斗米地区の学校です。
上斗米地区最北の玉木小学校。
跡地は元の持ち主に返還されたようで、農地として利用されていましたが、現在は荒れ果てています。
学校であった痕跡は、入り口の木製門柱と崩れかけの教員住宅、そして閉校記念碑だけです。
こちらが入り口。
木製ですがいまだ健在です。


訪問の前月に大雨があり、学校へ上がる道も少し崩れてしまっていました。


玉木小学校教員住宅。
道を上がった左手にあります。
校舎は右手にありましたが、農地に転用するにあたって早々に解体されたようです。


道の正面にあるのが閉校記念碑。
校歌に一か所ミスがあるのですが、ご愛嬌。
八百余名という卒業生の数からみても、児童数は常に多くなかったようです。



ちなみにこちらが1970年代の地図。
木造校舎が確認できます。


地図引用
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/ymap4.html?data=history

閉校時児童数16名
上斗米地区では最少でした。