北上に用事があったので、ついでに和賀・胆江・気仙地区の廃校を探索してきました。
①岩手県立江刺高等学校梁川分校

1972年閉校
校舎らしきものが建つ推定地に来てみましたが、タッチの差で解体されていました。
②北上市立相去小学校

1976年閉校【相去小+相去第二小+鬼柳小→南小】
跡地は地区センターになっていました。
敷地の一角に記念碑が残されています。
ちなみに、3校統合してできた南小ですが、のちに学区に児童数が増加に転じ、鬼柳小が分離再開校しています。
③北上市立相去第二小学校

1976年閉校【相去小+相去第二小+鬼柳小→南小】
跡地は保育園になっていましたが、記念碑がしっかり残されていました。
④北上市立相去中学校

1961年閉校【相去中+鬼柳中→南中】
地理院の過去の空中写真を頼りにたどり着いた跡地。
まったく痕跡が残っておらず、学校の雰囲気も感じられませんでした。
⑤金ケ崎町立六原小学校

1965年閉校【北方小+六原小→第一小】
閉校から60年たちますが、校門やニノキンさんが残されており、案内板にも記述がありました。
⑥金ケ崎町立二ッ森小学校

2006年閉校【第一小へ統合】
全ての建物が閉校時そのままに残されていましたが、かなり荒れてきています。
平屋のかわいい校舎とモダンな体育館のギャップが…
⑦金ケ崎町立金ケ崎中学校高野野原分校

1965年閉校【金ケ崎中+永岡中+六原中+金ケ崎中高野野原分校→金ケ崎中】
ここも閉校から60年たちますが、校門が残されていました。
割れて無くなりがちな陶製の校名板も、校名が読める状態(少し掠れていますが)で残っていました。
⑧北上市立岩沢小学校

1992年閉校【横川目小+岩沢小+仙人小+山口小→和賀西小】
北上市立...とは言いつつも、旧和賀町の学校です。北上市と和賀町、江釣子村が合併した年度に統合したようです。
RC造の校舎が残されていました。築年数は古い(おそらく1960年代)ですが、両廊下式でテラスがある独特の校舎です。
企業が利用しているらしく、遠方から拝見させていただきました。
雪が解けたら記念碑を見に行きたいところです。
⑨北上市立煤孫小学校・和賀町立岩崎第一中学校

小:2008年閉校【岩崎小+岩崎新田小+煤孫小→いわさき小】
中:1972年閉校【岩崎第一中+藤根中→和賀西中(市町村合併前:西中)】
こちらも旧和賀町の学校。
今年度に解体入札が出されており、しっかりと解体されていました。
往時の校舎はRC造2階建ての割と大きめなものでした。中学校閉校後に建てられたものです。
中学校は併設だったようです。
ちなみに、第二中は仙人小に併設されていました。
⑩江刺市立愛宕小学校二子町分校

1964年閉校【本校へ統合】
跡地には公民館が建っており、校庭は農村公園になっていました。
写真つき案内板が建っており、地区住民の学校への思い入れの強さが感じられました。
⑪水沢市立羽田小学校黒田助分校

1971年閉校【本校へ統合】
校舎、講堂共にきれいに整備されて残っていました。
地区の公民館として活用されているようです。
積雪地での外廊下式は珍しいように感じます。
⑫奥州市立伊手小学校

2023年閉校【岩谷堂小へ統合】
昨年度閉校したばかりの学校。
江刺地区では閉校した学校の備品盗難事件が起こっており、心情に配慮して遠景からの撮影にとどめました。
平成になってから建てられたきれいで立派な校舎でした。そもそも中学校まであった地区なので、建築時はまさか閉校するとは思っていなかったことでしょう。
⑬江刺市立伊手中学校

1978年閉校【藤里中+伊手中→江刺南中】
跡地は市民センターとなっており、入口に記念碑が残されていました。
中学校跡地だけあって敷地が広く、市民センターに高齢者活動センター、農村公園、少年野球ができそうなグラウンドと盛りだくさんな施設になっています。
⑭岩手県立江刺高等学校伊手分校

1971年閉校【本校へ統合】
跡地向かい側に記念碑が建っていました。この年代に閉校した高校の分校では珍しいですね。
2010年代まで校舎が残っていたようですが、解体されて荒野になり果てています。
⑮江刺市立上伊手小学校

1969年閉校【伊手小へ統合】
跡地には公民館が建っていました。
学校へ向かう階段や校舎が建っていたと思われる1段高い敷地、ニノキンさんの台座が残っており、学校の残り香は十分でした。
ちなみに、ここのニノキンさんは伊手小に移設されています。
⑯江刺市立上伊手小学校口沢分校

1965年閉校【本校へ統合】
赤金鉱山のお膝元にあった分校。
跡地は道路になっており、痕跡は皆無だったので、空中写真からおそらくこのあたりだろうという推定した場所です。
鉱山集落なのでそれなりに児童数がいそうですが、文献調査がまだなので何とも言えません。
⑰住田町立大股小・中学校

小:2002年閉校【世田米小へ統合】
中:1984年閉校【世田米中へ統合】
住田から江刺へ向かう途中、大股川沿いにあった学校。
小学校舎と体育館が残されており、公民館として活用されています。体育館の前には記念碑もありました。
小規模ながら新しくモダンな校舎でした。
中学校の閉校が小学校に比べかなり早いですが、これは生徒数の減少はもちろんですが、閉校する少し前に土砂崩れで中学校舎が被災したことが遠因のようです。
詳細は個別記事で報告します。