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岩手人の廃校探訪記

岩手県の懐かしの学校の記憶を貴方へ…

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2025-04-16 12:33:42 | 旅の記録
いつもご覧いただきありがとうございます。

この度、goo blogがサービス終了するとのことで、ライブドアブログに移転しました。
こちらで書いた記事も引っ越しが完了しておりますので、今後は下記リンクのサイトをご覧いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

いわて想い出の学び舎

いわて想い出の学び舎

岩手県の懐かしの学校の記憶を貴方へ… 広大な県土を持つ岩手県には、多くの学校がありました。しかし、時代の変化に伴い、先人たちが多大な苦労をされて「我がムラ」に建て...

いわて想い出の学び舎

 

20250330単独探索

2025-04-08 22:00:03 | 旅の記録
天気が良かったので、上閉伊地区を探索してきました。


大槌町立金沢小学校中山分校
1970年閉校【本校へ統合】
校舎が残っており、公民館として利用されているようです。

大槌町立金沢小・中学校
小:2009年閉校【大槌小へ統合】、中:1974年閉校【大槌中へ統合】
一通りの施設が残っていました。
岩手県では大変珍しい外廊下式の校舎です。

大槌町立金沢小・中学校長井分校
小:1980年閉校【小鎚小へ統合】、中:1974年閉校【大槌中へ統合】
校舎は解体されていましたが、記念碑や遊具が残されていました。

大槌町立大槌北小学校渋梨分校
1984年閉校【本校へ統合】
校舎は解体されていましたが、校門と記念碑が残されていました。

大槌町立小鎚小学校
2010年閉校【大槌小へ統合】
木造の校舎や講堂、プールが残されていました。

釜石市立大松小学校
2007年閉校【甲子小へ統合】
一通りの施設が残されていました。
近くにある釜石西中跡にも立ち寄りましたが、太陽光発電所になっており近寄れる雰囲気ではありませんでした。

釜石市立唐丹小学校荒川分校
1981年閉校【本校へ統合】
当時の講堂が残されていました。

釜石市立大石小学校
2001年閉校【大槌小へ統合】
校舎は解体され、跡地には公民館や住宅が建てられていましたが、校門や記念碑が残されていました。
校歌の碑の前には、なんと校歌が流れるボタンが!

三陸町立吉浜小学校千歳分校
1967年閉校【本校へ統合】
閉校からかなりの年月が経ちますが、校舎はそのまま公民館として利用されていました。

詳細は個別記事にて。

20250322-23単独探索

2025-03-28 20:17:58 | 旅の記録
北上に用事があったので、ついでに和賀・胆江・気仙地区の廃校を探索してきました。

①岩手県立江刺高等学校梁川分校

1972年閉校
校舎らしきものが建つ推定地に来てみましたが、タッチの差で解体されていました。

②北上市立相去小学校

1976年閉校【相去小+相去第二小+鬼柳小→南小】
跡地は地区センターになっていました。
敷地の一角に記念碑が残されています。
ちなみに、3校統合してできた南小ですが、のちに学区に児童数が増加に転じ、鬼柳小が分離再開校しています。

③北上市立相去第二小学校

1976年閉校【相去小+相去第二小+鬼柳小→南小】
跡地は保育園になっていましたが、記念碑がしっかり残されていました。

④北上市立相去中学校

1961年閉校【相去中+鬼柳中→南中】
地理院の過去の空中写真を頼りにたどり着いた跡地。
まったく痕跡が残っておらず、学校の雰囲気も感じられませんでした。

⑤金ケ崎町立六原小学校

1965年閉校【北方小+六原小→第一小】
閉校から60年たちますが、校門やニノキンさんが残されており、案内板にも記述がありました。

⑥金ケ崎町立二ッ森小学校

2006年閉校【第一小へ統合】
全ての建物が閉校時そのままに残されていましたが、かなり荒れてきています。
平屋のかわいい校舎とモダンな体育館のギャップが…

⑦金ケ崎町立金ケ崎中学校高野野原分校

1965年閉校【金ケ崎中+永岡中+六原中+金ケ崎中高野野原分校→金ケ崎中】
ここも閉校から60年たちますが、校門が残されていました。
割れて無くなりがちな陶製の校名板も、校名が読める状態(少し掠れていますが)で残っていました。

⑧北上市立岩沢小学校

1992年閉校【横川目小+岩沢小+仙人小+山口小→和賀西小】
北上市立...とは言いつつも、旧和賀町の学校です。北上市と和賀町、江釣子村が合併した年度に統合したようです。
RC造の校舎が残されていました。築年数は古い(おそらく1960年代)ですが、両廊下式でテラスがある独特の校舎です。
企業が利用しているらしく、遠方から拝見させていただきました。
雪が解けたら記念碑を見に行きたいところです。

⑨北上市立煤孫小学校・和賀町立岩崎第一中学校

小:2008年閉校【岩崎小+岩崎新田小+煤孫小→いわさき小】
中:1972年閉校【岩崎第一中+藤根中→和賀西中(市町村合併前:西中)】
こちらも旧和賀町の学校。
今年度に解体入札が出されており、しっかりと解体されていました。
往時の校舎はRC造2階建ての割と大きめなものでした。中学校閉校後に建てられたものです。
中学校は併設だったようです。
ちなみに、第二中は仙人小に併設されていました。

⑩江刺市立愛宕小学校二子町分校

1964年閉校【本校へ統合】
跡地には公民館が建っており、校庭は農村公園になっていました。
写真つき案内板が建っており、地区住民の学校への思い入れの強さが感じられました。

⑪水沢市立羽田小学校黒田助分校

1971年閉校【本校へ統合】
校舎、講堂共にきれいに整備されて残っていました。
地区の公民館として活用されているようです。
積雪地での外廊下式は珍しいように感じます。

⑫奥州市立伊手小学校

2023年閉校【岩谷堂小へ統合】
昨年度閉校したばかりの学校。
江刺地区では閉校した学校の備品盗難事件が起こっており、心情に配慮して遠景からの撮影にとどめました。
平成になってから建てられたきれいで立派な校舎でした。そもそも中学校まであった地区なので、建築時はまさか閉校するとは思っていなかったことでしょう。

⑬江刺市立伊手中学校

1978年閉校【藤里中+伊手中→江刺南中】
跡地は市民センターとなっており、入口に記念碑が残されていました。
中学校跡地だけあって敷地が広く、市民センターに高齢者活動センター、農村公園、少年野球ができそうなグラウンドと盛りだくさんな施設になっています。

⑭岩手県立江刺高等学校伊手分校

1971年閉校【本校へ統合】
跡地向かい側に記念碑が建っていました。この年代に閉校した高校の分校では珍しいですね。
2010年代まで校舎が残っていたようですが、解体されて荒野になり果てています。

⑮江刺市立上伊手小学校

1969年閉校【伊手小へ統合】
跡地には公民館が建っていました。
学校へ向かう階段や校舎が建っていたと思われる1段高い敷地、ニノキンさんの台座が残っており、学校の残り香は十分でした。
ちなみに、ここのニノキンさんは伊手小に移設されています。

⑯江刺市立上伊手小学校口沢分校

1965年閉校【本校へ統合】
赤金鉱山のお膝元にあった分校。
跡地は道路になっており、痕跡は皆無だったので、空中写真からおそらくこのあたりだろうという推定した場所です。
鉱山集落なのでそれなりに児童数がいそうですが、文献調査がまだなので何とも言えません。

⑰住田町立大股小・中学校

小:2002年閉校【世田米小へ統合】
中:1984年閉校【世田米中へ統合】
住田から江刺へ向かう途中、大股川沿いにあった学校。
小学校舎と体育館が残されており、公民館として活用されています。体育館の前には記念碑もありました。
小規模ながら新しくモダンな校舎でした。
中学校の閉校が小学校に比べかなり早いですが、これは生徒数の減少はもちろんですが、閉校する少し前に土砂崩れで中学校舎が被災したことが遠因のようです。

詳細は個別記事で報告します。

20250316合同探索

2025-03-25 21:43:00 | 旅の記録
HEYANEKOさんから再びお誘いがあり、三陸の廃村廃校を合同探索してきました。
三陸へ生活拠点を移した強みを生かした旅になりました。
また、前日には盛町の酒場にて語らい、親睦を深めました。

①三陸町立吉浜小・中学校大窪分校

1962年閉校【廃止】
三陸町吉浜から西に向かった先、大窪山の麓にあった開拓集落の学校。
細い山道でしたが、舗装してあったため意外と簡単に到達。ただし天気はやや荒れでした。
山道の脇には「大窪」の名に恥じぬ深い渓谷が存在しています。
跡地には「森の学び舎」という施設が建っています。訪問時は冬季休業中でした。
この分校の生涯は大変短いものでしたが、それについては個別記事で触れたいと思います。

②釜石市立橋野小学校和山分校

1971年閉校【橋野小へ統合】
釜石市橋野町の北部、和山高原にあった学校。おそらく釜石市最北の学校でしょう。
途中までは意外ときれいな道路で順調かに思えましたが、学校のあった初神集落へ分岐するところで無念の冬季閉鎖区間。
私の車は雪国に全く向かない車種であることから、今回の訪問は断念。
来年以降のリベンジを誓いつつ、来た道を戻りました。

③田老町立田老第二小・中学校、岩手県立宮古高等学校田老鉱山分校

小:1972年閉校【廃止】
中:1972年閉校【廃止】
高:1967年閉校【廃止】
三陸道のおかげで旅程に余裕があったため訪問。
まわりに他の集落はほぼないため、この学校は田老鉱山のための学校と言えます。
立ち入り禁止区域もあるので、当たり障りのないところから散策。
今年度に大方の施設が解体されたとの情報は得ていましたが、話通りでほぼ施設がなくなっていました。
ただし、HEYANEKOさん懸案だった田老鉱山の記念碑の現存を確認できたので良かったです。
学校跡では基礎と校庭~校舎間の橋、校門の現存が確認できました。
鉱山集落だけあってかなり大きく、基礎だけでも圧倒されました。

今回も大変有意義な探索になりました。山奥に一人で行くのはなかなか勇気がいるもので…
訪問できなかった場所もできたので、またリベンジ探索に行きたいと思います。

20241102単独探索

2025-03-23 21:43:32 | 旅の記録
一戸町で廃校の解体が計画されているとの情報を得たので、帰省に合わせて探索してきました。

①一戸町立小繋小学校

集落から高台にあり、国道4号線からちょうど見えるピンクの校舎が特徴の学校です。
依然訪問したのは2017年のことでしたが、その時と比べてかなり生気を失ったような印象を受けました。
表現が正しいかわかりませんが、入口から上って校舎が目に入った瞬間、「校舎が年とったなぁ」と思ってしまいました。
小繋地区の公民館として使われてきましたが、看板が打ち捨てられていたことから、その役目も終えていたようです。

②一戸町立平糠小・中学校

小中併設校であり、堂々とした2階建ての木造校舎と、他校に比べ大きめの講堂、プールに特別教室棟、スキー部室と盛りだくさんな学校です。
しかし、こちらも前回訪問時に比べて生気を失っている印象を強く受けました。
校舎裏手に至ってはところどころ部材が朽ちており、崩壊の兆しがありました。
小中併設校は割と大規模な施設になるためメンテナンスも余計に必要になると考えられますが、再活用が意外と難しいのでしょうか。

③一戸町立根反小学校

ここは一戸町の校舎の中でも一番のお気に入りです。
訪問時には講堂部分がすでに解体されていました。
付近にいた住民の方に話を聞くと、雨漏りがひどくなってきたため、とりあえず講堂を解体したとのこと。
校舎は公民館として使ってはいますが、閉校年も割と早いので老朽化も進んでおり、いずれはすべて解体される日が来ることでしょう。

④一戸町立中里小学校

中里地区のてっぺんにあり、まさに部落のシンボル的な雰囲気を感じる学校。
前回訪問時からやや荒れ始めてはいましたが、本格的に危ない状態になってきていました。
それでも、潰れたり崩れたりしているところは少なく、意地(?)を感じました。
探索中に裏の林の方で猫が騒いでおり、クマがいるのではないかとびくびくしながら探索しました。

最後のお別れ、というわけではありませんが、結果的に見に行くことができてよかったです。
加えて、「施設があれば学校の空気感を感じることができるため、残っているうちに見に行くべき」という思いを強く抱きました。