小:2013年閉校【厳美小へ統合】
中:1974年閉校【厳美中へ統合】
・コメント
一関市西部の厳美町にあった学校。へき地等級は1級でした。
「達古袋」と書いて「たっこたい」とよみます。おそらくアイヌ語の「タプコプ(=独立した小高い丘)」が元ではないでしょうか。
小学校の閉校時児童数は26名だったようです。
中学校は厳美第二中学校として開校。途中で達古袋中学校に改称しました。
跡地には校舎や体育館など一通りの学校施設が残っています。
ここで特筆すべきは校舎でしょう。木造平屋の非常に長い一線校舎です。
廊下の長さは114mあり、時折雑巾がけレースが開催されているとのことです。
市民センター分館として利用されています。
一見するとあまりわかりませんが、防火壁から右側の方が築年数が古いそうです。
体育館は昭和50年代あたりのスタンダードな鉄骨造でした。
校舎前には閉校記念碑がありました。
小学校のものは校歌の楽譜が書かれていて、とても素敵です。

玄関

校舎全景

体育館

閉校記念碑(小)

閉校記念碑(中)
中:1974年閉校【厳美中へ統合】
・コメント
一関市西部の厳美町にあった学校。へき地等級は1級でした。
「達古袋」と書いて「たっこたい」とよみます。おそらくアイヌ語の「タプコプ(=独立した小高い丘)」が元ではないでしょうか。
小学校の閉校時児童数は26名だったようです。
中学校は厳美第二中学校として開校。途中で達古袋中学校に改称しました。
跡地には校舎や体育館など一通りの学校施設が残っています。
ここで特筆すべきは校舎でしょう。木造平屋の非常に長い一線校舎です。
廊下の長さは114mあり、時折雑巾がけレースが開催されているとのことです。
市民センター分館として利用されています。
一見するとあまりわかりませんが、防火壁から右側の方が築年数が古いそうです。
体育館は昭和50年代あたりのスタンダードな鉄骨造でした。
校舎前には閉校記念碑がありました。
小学校のものは校歌の楽譜が書かれていて、とても素敵です。

玄関

校舎全景

体育館

閉校記念碑(小)

閉校記念碑(中)