城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

涌谷城@宮城県

2023-10-29 13:00:00 | その他城
2023年10月29日

東北城巡り三城目は、宮城県遠田郡涌谷町にある涌谷城です。

涌谷城は岩出山城と港でもある石巻の中間に位置しています。

仙台城からは高速道路で約1時間ほど。

ちなみに涌谷と書いてワクヤと読みます。

涌谷城は室町時代から戦国時代にかけて、大崎氏が支配しており涌谷氏が築いた城とされています。

小田原合戦に参陣しなかった大崎氏と涌谷氏は滅亡。

葛西・大崎一向一揆を平定した伊達政宗が、米沢城から岩出山城に移封されたことで、この一帯は伊達家が支配することになりました。

その後、亘理氏が居城し伊達一門に入ったことで、亘理伊達家が誕生し仙台藩の要害として涌谷城は明治まで残り続けました。



江合川沿いに涌谷城はあり、川沿いは模擬の土塀があり城に近づくにつれて雰囲気を出してます。



長い模擬土塀の先には天守閣と櫓が見えてきます。
この天守閣は模擬天守で、実際に涌谷城には天守閣がありませんでした。



天守の脇を車で通り、先に涌谷神社があり車を無料で停めることができます。



涌谷城は細長い平城。丘のような高台に城があったのですが、現在は神社と公園として整備されている為、土塁の遺構などは見受けることはできません。



模擬天守の中は現在、資料館となっています。
この辺りは二の丸や邸宅風建築が並んでいたようです。

明治維新で奥羽越列藩同盟軍だった仙台藩は、敗戦して減封。
明治に入ってこの涌谷城は土浦藩のものとなり最終的には廃藩置県と共に取り壊されました。

模擬天守の中で御城印が貰えるので、資料館の観覧と併せて入場です。



こちらは衣類や道具などを入れる長持。
ばっちり伊達家の家紋が金色に輝いています。

伊達家の「竹と雀」の仙台笹と、三引両。
三引両は政宗以前から代々伊達家に伝わる家紋です。



陣羽織と駕籠。



中は狭いながらも、畳が敷かれ一つの部屋のようです。



当時の火縄銃。



当時の器も多く展示されています。



こちらにも、しっかりと伊達家の家紋が輝いています。



涌谷伊達家が所用していた刀。



こちらも涌谷伊達家によって所用されてきた甲冑。
黒漆塗りの五枚銅具足。



2003年に宮城県北部連続地震が発生し、県北エリアは被害がありました。

その際、この涌谷城も石垣の崩落と歪みが発生。
伝統工法で復旧したそうです。



最上階からのショット。
今は住宅地も多いですが、昔は川と広大な平野が広がっていたと思います。



模擬天守の前には、太鼓堂が現存しています。

一国一城令が発令された後も、仙台藩は要害という名前で幾つも城を持っていました。

しかし、あくまで城ではなく要害だった為、太鼓櫓ではなく太鼓堂という名前だったとも言われています。



仙台藩は仙台城、白石城、若林城の三城に加えて、涌谷城も含めた21もの要害を持っていました。

しかし、62万石の巨大な藩でありながら現存の建築物が残っていません。



これほど素朴な櫓であっても、仙台藩の貴重な現存建築物なのです。
以前は中にも入れたようですが、中に入ることはできません。

伊達家一門の証として、鯱が屋根に掲げられています。



こちらが地震で崩落した石垣。
復旧の際は櫓を一時的に移動させて修復したようです。



変わった形状の石垣です。
残念ながらこの一部の石垣の他は、石垣の遺構も残っていません。

それ故に貴重な石垣となります。





櫓とは逆側の二の丸跡の先には、涌谷神社があります。

階段で上がって行くのですが、二の丸から一段高いこの神社が本丸跡となります。





ちゃんとお参りして、涌谷城を後にしました。

仙台市中心部からは少し遠く、遺構が少なくても貴重な太鼓堂は必見かもしれません。

また、歴史などの観光産業に消極的な仙台市に比べて、何とかこの涌谷の地の歴史を知ってもらおうとする地域努力を感じて良かったです。

実は宮城県の人でも涌谷城を知らない方が多くいます。

しかし、そこには仙台藩の確かな足跡が残っていました。



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