黎明の日々の光景

日々の光景の中にある美しく感じた瞬間・
きれいと感じた空間やモノ等をそのままに切り取りました。

松前町地蔵町辺りをウロウロ

2011年05月08日 | 散策

今日の松山市は、早朝晴れでしたが、8時頃にはだんだんと雲が広がってきて曇り空になりました。

しかし、10時頃から青空が見え始めて初夏の眩しい日射しが降り注ぎ始めました。13時前には気温も27度となりました。

曇っている間に自転車で松前町の地蔵町辺りをウロウロしました。

  

松前町の町の花は「ひまわり」です。 長尾谷川橋 親柱 と 歩道のタイル

  

橋の欄干  と   下水道のマンホール蓋

で旧国道56号から その先の脇道に進むと

   

伊予鉄道 郡中線 地蔵町駅 です。 

ここから西方向の旧国道56号方面に進むと 

ここが 1758年に松山藩主が歓請した延命地蔵尊です。地蔵町の地名の由来だそうです。

  

いつも この道路を車で通行していると このたくさんつるされた徳利が気になっていました。 奉納された多数の御神酒徳利。

 

延命地蔵尊から伊予鉄 地蔵町駅方向を撮影 ついでだから 延命地蔵尊のその先の海の方向に進んでみました。

  

ネギ坊主 昔はこの辺りは海に面した砂地だったので玉ねぎの栽培が盛んだったそうです。

 

ついでにその先の新川海岸にて

  

  

義農神社 義農作兵衛を祭る神社です。昔の松山藩の筒井村(現在の松前町)で享保の大飢饉のときに多くの人や家族が餓死する中、わずかに残された種麦を自分が餓死する最期まで食べずに守り抜いたのが作兵衛です。翌年、村の人々は作兵衛の残した種麦を一粒一粒大切に撒いたそうです。それを伝え聞いた松山藩が年貢を免除して、なんとか村人は大飢饉から生き延びたそうです。

その死後40年ほど経った時に松山藩主が作兵衛の功績を称えて碑石を建立しました。

さて義農神社の横には義農公園がありますが、ここには珍しい「いもむし型の遊具」がありました。

  

左側のは初めて見ました。 右のものは、色は違いますが紺色のものは高松市の琴電屋島駅近くの相引川緑地にありますが、他の公園ではあまり見かけたことがありません。

 

義農神社の 藤の花

  

れんげと麦畑 松前町にて

 

 

で重信川の出合橋を渡って 郡中線沿いの農道にて 真上を通過する郡中線電車

次回更新は、5月20日以降となります。



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