黎明の日々の光景

日々の光景の中にある美しく感じた瞬間・
きれいと感じた空間やモノ等をそのままに切り取りました。

四国中央市の純信堂とか

2014年11月11日 | 散策

平成26年11月11日(火曜日)

きょうの松山市は、晴れで午後から晴れ時々曇り
最高気温は、19.7度で最低気温は10.2度でした。

きょうは朝から仕事で四国中央市へ。午後1時半過ぎの遅い昼食後に
お昼の休憩ということでJR川之江駅東の国道11号辺りをウロウロ。

 まずは、国道沿いにある よさこい節に「坊さんかんざし買うをみた」と歌われた
 江戸時代の僧侶の純信とお馬の悲恋の物語。その純信が、国を追放されたのちに
 この地で寺子屋を開いたそうです。その後は、愛媛県の旧美川村に移り、そこで
 没したらしいが。

  

 
  

 純信堂の上に続く石段を登ってみると

 ミニ四国88ヶ所霊場の札所がありました。

 純信堂の近くにあった石碑とか

さて純信堂から さらに東に行くと 何も無かったので引き返していたら

  

 国道11号の歩道 ちょうど距離標147k600mの所に 一次改築当時の舗装工事の銘板が残っていました。

  

 で 川之江駅方向に戻っていると 急な石段の塩釜神社がありました。 
 塩釜神社があるということは昔、この付近に塩田があったと思われます。

  

 塩釜神社から西の方に 川之江城が見えていました。

 さらに国道を進んでいたら 川之江八幡神社の近くに 寛政の三博士 尾藤二洲 生誕の地 の石碑がありました。

  

 尾藤 二洲(びとう じしゅう) 江戸時代後期の儒学者 柴野栗山・古賀精里と共に寛政の三博士と呼ばれるそうです。

 

そういえば、JR川之江駅の近くにいたのに駅も電車も撮影していなかった。

 


長福寺と藤の花と瀬戸内の夕暮れと

2014年05月03日 | 散策

2014年(平成26年)5月3日(土曜日)

きょうの松山市は、晴れ。

最低気温は、14.5度で最高気温は21.6度でした。

きょうは、旧東予市の実家に行ったついでに 
白、紫、赤紫の藤の花が咲き誇る西条市北条の長福寺へ寄ってみました。

長福寺ですが、

伊予の中世の豪族である河野通有は、元寇(蒙古襲来)の弘安の役にて小船二隻で元軍に夜襲をかけ、
元の軍船に乗り込み敵兵をことごとく切り倒し敵将を生け捕る等の功績をあげて河野家の復興を果たしました。

その後、弘安の役で亡くなった叔父や多くの戦没者を弔うためために自らの館を寺としてこの長福寺を建立しました。

長福寺は、河野氏の館だった名残で北と西側に濠が、寺の周りを囲む白い土塀には、四角や三角の弓矢を
射るための矢狭間があります。

 

白壁に四角等の開口部が見えますが、これが矢狭間です。

 

  

河野通有もここに葬られたのことですが、この宝篋印塔は、通有の供養塔と言われています。

 

長福寺の梵鐘は愛媛県指定文化財です。

  

  

  

  

藤の花の周辺に金魚草も植えられていてきれいでした。

このあと 西条市喜多台の藤森荒魂神社の藤の花を見に行きましたが、前日にローカル放送のニュースでも
取り上げられていたので結構な人出で断念しました。

 

 

夕方の空 今治市にて 巻雲が広がり、太陽の右側に幻日も見えていました。

国道196号の今治市の海岸線を走っていると夕景が綺麗だったので車を止めて撮影。

夕日は眩しかったので白とびしてダメダメ状態

  

 

この後の 日没後の 残照の光景もきれいでしたが、運転中なので撮影なし。

 


伊予鉄道石手川公園駅辺りをウロウロ

2013年04月28日 | 散策

平成25年4月28日(日)

きょうの松山市は、晴れ。きょうの空も白っぽく霞んでいます。

松山市のきょうの最低気温は9.3度で 最高気温は21.7度でした。

午後から自転車で伊予鉄道の石手川公園駅辺りをウロウロして来ました。

  

6、7年ぶりに ここを通りました。まだ現存していてよかった。(伊予鉄道 立花駅の 西側)

  

松山市立花5丁目 現在は、重松倉庫㈱さん ノコギリ屋根煉瓦造り倉庫 元々なたね油とかの製油所だったらしいが。

  

松山市河原町 石手川に架かる立花橋 昭和3年9月架設  (伊予鉄道 石手川橋梁の上流側(東側)にあります。) 

ここは旧国道33号(現在の国道33号は、天山の交差点で右に曲がって国道11号に合流してその先は国道11号の重復路線)

  

伊予鉄道横河原線 石手川橋梁                 石手川公園駅

 

松山市立花町4丁目 石手川公園駅  

610系電車(自社発注車) 現在、郡中線では通常運行されていないのでつい撮影。

  

  

  

  

3000系電車(元京王) 石手川公園駅に 停車中 下から撮影

  

石手川公園駅 停車中の610系電車

  

松山市駅に向かって 発車しました。               公園側から見た石手川橋梁と3000系電車 

伊予鉄高島屋 屋上の観覧車 くるりん 黄色いゴンドラは 26日から登場した「バリィさんくるりん」

32基あるゴンドラの2基が、バリィさんのラッピングが施された「バリィさんくるりん」のゴンドラになったそうです。

  

松山市柳井町二丁目 石手川鉄橋・石手川駅 北側(市駅側)の

伊予鉄横河原線の跨道橋の煉瓦橋(伊予鉄道のHPには明治25(1892)年頃架橋されたものと考えられると記載されている。)

一方通行のこの道を西に進むと 県立中央病院の横に出ます。

  

内部はこんな感じ                           天井には擦り傷がいっぱい。

かなり長々となりましたが、ここまでご覧下さり、ありがとうございました。

 

 

 


八幡浜市の明治橋とか

2012年10月28日 | 散策

平成24年10月28日(日)

きょうの松山市は、午前中は曇り時々晴れ。

松山市の最低気温は、17.0度で。最高気温は23.4度でした。

松山市の朝の空 青空が見えてきて晴れてきたかと思ったら今にも降りそうな真っ暗な空になったりと不安定な天気

 

上空を飛行機雲を描いて通過中の飛行機

機体下部が妙に黄色い機体 拡大してみると ANAの ピカチュウジェット でした。

午後から大洲市のコスモス畑へ行ってみた

  

まだまだコスモスは咲き誇っていました。

ついでに 八幡浜市まで行って 

鉄筋コンクリートの下路式アーチ橋の現役最古として土木学会に選奨土木遺産に認定された明治橋を撮影。

  

八幡浜市大正町にある明治橋

橋のたもとにある説明版

 

反対側から見た明治橋

  

千丈川に架かる橋で 親柱の銘板には架橋年月が昭和5年3月

昭和に架橋なのに明治橋?昭和なら昭和橋となると思いますが、

この橋は二代目で 初代の木製トラス橋が明治37年に架設されたので「明治橋」となっています。

  

 

 


松山空港辺りをウロウロ

2012年09月04日 | 散策

平成24年9月4日(火)

きょうの松山市は晴れ。空は昨日の澄んだ空と違って霞んだ白っぽい青空でした。

松山市のきょうの最高気温は、31.8度、最低気温は午前6時前に22.7度で涼しい朝。

夕方仕事が終わってから松山空港辺りを自転車でウロウロ

まずは、松山空港の一般駐輪場

この先が一般利用者の自転車置き場

相変わらずの状況 でも もしかしたら 空港の従業員がとめているかもしれない。

制限エリアの近くなのでこんなところに設置するというのが、セキュリティ的に危機管理意識に欠如している印象もあるが。

でこの駐輪場(※よく駐輪場にバイクを置いているけれど駐輪場の本来の意味は自転車置き場です。念のため。)を設置するのに 松山空港利用者利便向上協議会 松山空港駐輪場設置WG(メンバーは国土交通省の旧運輸省系の機関と愛媛県、松山市やその他もろもろの機関・民間企業等)で検討した結果がこれなので、トホホの状況。

  

その近くの滑走路東側 レンタカー店横の公園の先に 見たことある車が広い空地の隅にポツンと

 滑走路陸側端の主要地方道伊予松山港線付近で見かけた移動販売のクレープ屋さんの車

 どうもここで営業しているようです。

 

さて 主要地方道伊予松山港線 東側の 改造されていた掩体壕のその後はどうなったか。

  

前より住宅地化していました。

  

2004年6月29日撮影                       2012年1月3日撮影

なんということでしょう あの掩体壕が こんなに大変身という状況でした。

ところでこの辺りは、松山ICから松山中央公園横を通って一般国道56号の松山市余戸までの間に 「松山外環状道路 インター線」が施工されていますが、その延伸が松山空港まで計画されており「松山外環状道路 空港線」という道路事業で この辺りまで高架道路で施工されて新空港線と接続します。

したがってこの辺りは、その事業のために都市計画法の有償譲渡等の制限がかかっているので その告知の看板があります。

心配なのは この近くの農業倉庫となっている 最後のまともな掩体壕 が この空港線の道路区域とならないか心配です。

出来れば買収して高架下にそのままで戦争遺跡として保存してもらいたいと思います。

 

 

9月20日は「空の日」ですが、やる気のない松山空港の空の日のイベント予定は、http://www.soranohi.net/event/tyugoku.shtml#matuyama

「24年は実施なし」だそうです。

なお、高松空港はイベント盛りだくさん で 高知空港は未だに「未定」

徳島空港は「24年は実施なし」


長楽寺と鍵谷カナ頌功堂とか

2012年03月18日 | 散策

平成24年3月18日(日曜日)

今日の松山市は、朝から雨で午前9時頃から曇りで午後4時頃よりやっと晴れたが午後6時頃には再び曇り空。

松山市のきょうの最高気温は13.4度で最低気温は11.4度でした。

久しぶりにスーパーうごもり西垣生店に行ったついでに 松山市西垣生町の伊予十二薬師霊場の長楽寺と鍵谷カナ頌功堂(こうしょうどう)辺りをウロウロ。

    

愛媛県道20号沿い 垣生小学校南側 に ある 「鍵谷カナ頌功堂」 

昭和4年(1929年)に、伊予織物同業組合が伊予絣の創始者 鍵谷カナの功績を讃えて建立したそうです。

 

 その前を矢印方向 南に進むと

  

伊予十二薬師霊場の長楽寺 の 竜宮城のような白い密乗門が見えてきます。

   

    密乗門の手前の右手には大日堂 

   

長楽寺の創建は、 奈良時代の天平宝字4年(760年)だそうです。 

   

長楽寺の密乗門をくぐって すぐの左手に 

伊予絣の創始者  鍵谷 カナ  (天明2年(1782)~元治元年(1864))の 墓所があります。

 

    


頭王神社と黄色い蒸気機関車

2012年03月17日 | 散策

平成24年3月17日(土曜日)

きょうの松山市は6時頃は小雨が降っていましたが、その後はくもりで10時頃より雲間から日が射してきて、お昼頃にはうす曇りの晴れ。でも15時前には再び曇り空。ということで夕景は見えなかった。松山市の最高気温は17.2度で最低気温は8.2度でした。

お昼頃に病院に行く妻の車に便乗して病院のある松前町恵久美辺りをウロウロ。

住宅地の中に頭王神社というのがあったので行ってみました。

  

家と家の間のせまい参道を進んだ奥に社殿があります。

 

  頭王(ずおう)神社 

  859年~876年の頃に ここから西方向に約1kmほど離れた所にある玉生八幡神社の奉幣使(ほうへいし‥身分の高い人の代わりに神宮に神への捧げものを届ける使者。)をしていた頭王弥五郎(かぐみやごろうの)はこの辺りを領地としており、領地内の住民に善政を行い、住民から大変慕われていた。その後の940年に国司がこの頭王弥五郎の霊を奉祀してその館跡のこの場所に頭王神社を作ったらしい。

 859年~876年というと平安時代で藤原氏が台頭してきた時代。 940年も平安時代で平将門の乱の平将門が討ち死にした年です。その前年の939年は宇和島市沖の日振島(ひぶりしま)で藤原純友が反乱を起こした。

 

ついでにウロウロして国道56号近くにある むかいだ小児科さんの 駐車場にある 黄色のかわいい蒸気機関車

むかいだ小児科さんのHPによれば 1919年アメリカ製の蒸気機関車でフィリピンで使用されていたものとか。

独特の煙突の形状は煙突からの火の粉で山林火災を防ぐためらしい。

メーカーの銘板が見えないが、その頃のアメリカ製というと日本でも輸入され使用されていた ボールドウィン製 蒸気機関車?

ちなみにこの蒸気機関車は10年ほど前に松山市保免西の県道(190号久米垣生線)沿いにあった学習塾の前に置かれていました。(今は亡き人気のパン屋のロシナンテの斜め前。ロシナンテ跡地は幸福の科学になっています。)


劈巌透水

2011年11月06日 | 散策

平成23年11月6日(日曜日

きょうの松山市は、雨時々曇りの一日でした。

きょうは西条市の実家へ行ってきましたが、途中で旧丹原町来見の劈巌透水へ行ってみました。

  

国道11号から道前渓温泉へ行く県道327号へ曲がって小さな来見橋を渡ると左に石碑等が見えます。

  

劈巌透水の石碑 と 説明板

江戸時代の来見村の庄屋「越智喜三左衛門(おちきさざえもん)」が自宅や田畑の私財を売り払い、自らもノミを握って槌を振るい中央構造線の大断層の岩石をくりぬいて水の通り道の隧道や水路をつくりました。それが「劈巌透水」です。

 

案内板に従って下に降りてみました。

  

  

雨で岩等が滑るため、ここにあるはずの 劈巌透水路(3番隧道出口)と劈巌透水路(4番隧道入口)は分かりませんでした。

下流方向を撮影 来見橋と水管橋(管径が大きいので工業用水管?)その先に見える水色のが水道の水管橋のようです。 

ところでいつも高速バスの坊ちゃんエクスプレスの車窓から見ていると見えていた気になる橋がありました。

それがこの来見橋です。

  

橋の舗装面                          

  

左岸側の橋梁の親柱 竣工年月日等の銘板は見当たりませんでした。

右岸側の親柱

橋の下部・側面 水道管が添架されています。

   

橋上から見た下流側            橋上より真下を見る。

 

     

      松山自動車道の橋梁 

 

 


伊予市灘町辺り

2011年11月05日 | 散策

平成23年11月5日(土曜日)

今日の松山市は、未明から雨で夕方頃は曇り時々小雨

最高気温は、21.9で最低気温は18.7度でした。

雨が小降りとなった午後に伊予市の灘町辺りを散策

 

  

伊予市灘町 を ウロウロ まずは 宮内邸            建物の中央に飾り破風 

寛永13年(1636年)に上灘村(旧双海町)の宮内兄弟が大洲藩に米湊村の海岸付近の松林等の荒れ地(当時は、牛飼いヶ原と呼ばれていたらしい。)を開墾したいと申し出て、大洲藩に許可をもらって開墾して出来た町が「灘町」だそうです。宮内家の屋号「灘屋」が町の名前になったそうです。

 

宮内邸の説明板

宮内邸の左には「うだつ」もあります。

宮内家は町年寄として町を治めたりしました。また、幕府の巡検使や伊能忠敬の測量隊の宿泊場所であった「本陣」でもありました。

さて その先を進むと

旧国道56号時代?の 道路案内標識

でこの標識板のすぐ下に 栄養寺 の参道があります。

 

この「栄養寺」という変わった名前のお寺は宮内家の菩提寺です。宮内兄弟が寺名を付けたようですが、その由来や意味は不明。

宮内家は、元々が伊予の中世の豪族である河野氏の河野通直の子孫とのこと。

  

この「栄養寺」の名前から現在使われている「栄養」という言葉ができたそうです。

それは説明板にも書かれているように西条市の氷見から灘町に移り住んだ医師一家の子供が後の栄養学の父「佐伯 矩(さいき ただす」だったそうで佐伯氏は、当時使われていた「営養」を「栄養」にするように文部省に進言して これを認めさせて「栄養」を公用語にさせたとのことでその「栄養」は、博士が幼少時代~少年時代を過ごした灘町の栄養寺の名前に由来しているらしい。

 

 

立派な山門があります。

本堂

寺の後ろ。東側は伊予鉄の郡中線の郡中港駅になります。

栄養寺から先に進んでみます。

交差点の右にも風格のある町屋が見えてきました。なお、左折すると伊予鉄の郡中港駅やJR伊予市駅があります。

 

元々は旅籠だったという「山惣商店」 (1861年建築)で醤油と肥料類を取り扱っている商店です。

  

説明板                                    

  

「山惣商店」

その先には 花かつおの マルトモの本社 が見えます。

今回は、ここまで

 左に曲がって郡中港駅に向かいます。

元理髪店の家屋

 

郡中港駅

 

ちょうど到着した  伊予鉄道 郡中線 718-768編成  写真は768の無線アンテナ

 

 

 


松前町地蔵町辺りをウロウロ

2011年05月08日 | 散策

今日の松山市は、早朝晴れでしたが、8時頃にはだんだんと雲が広がってきて曇り空になりました。

しかし、10時頃から青空が見え始めて初夏の眩しい日射しが降り注ぎ始めました。13時前には気温も27度となりました。

曇っている間に自転車で松前町の地蔵町辺りをウロウロしました。

  

松前町の町の花は「ひまわり」です。 長尾谷川橋 親柱 と 歩道のタイル

  

橋の欄干  と   下水道のマンホール蓋

で旧国道56号から その先の脇道に進むと

   

伊予鉄道 郡中線 地蔵町駅 です。 

ここから西方向の旧国道56号方面に進むと 

ここが 1758年に松山藩主が歓請した延命地蔵尊です。地蔵町の地名の由来だそうです。

  

いつも この道路を車で通行していると このたくさんつるされた徳利が気になっていました。 奉納された多数の御神酒徳利。

 

延命地蔵尊から伊予鉄 地蔵町駅方向を撮影 ついでだから 延命地蔵尊のその先の海の方向に進んでみました。

  

ネギ坊主 昔はこの辺りは海に面した砂地だったので玉ねぎの栽培が盛んだったそうです。

 

ついでにその先の新川海岸にて

  

  

義農神社 義農作兵衛を祭る神社です。昔の松山藩の筒井村(現在の松前町)で享保の大飢饉のときに多くの人や家族が餓死する中、わずかに残された種麦を自分が餓死する最期まで食べずに守り抜いたのが作兵衛です。翌年、村の人々は作兵衛の残した種麦を一粒一粒大切に撒いたそうです。それを伝え聞いた松山藩が年貢を免除して、なんとか村人は大飢饉から生き延びたそうです。

その死後40年ほど経った時に松山藩主が作兵衛の功績を称えて碑石を建立しました。

さて義農神社の横には義農公園がありますが、ここには珍しい「いもむし型の遊具」がありました。

  

左側のは初めて見ました。 右のものは、色は違いますが紺色のものは高松市の琴電屋島駅近くの相引川緑地にありますが、他の公園ではあまり見かけたことがありません。

 

義農神社の 藤の花

  

れんげと麦畑 松前町にて

 

 

で重信川の出合橋を渡って 郡中線沿いの農道にて 真上を通過する郡中線電車

次回更新は、5月20日以降となります。