父が退院する前日に姪っ子がおたふくにかかり,急遽ピンチヒッターで母がお守に行かなければならなってしまった。帰宅したての父を一人にしておくわけにはいかず,なんとか職場のほうの都合をつけて(土)の夕方実家に戻ることにした。
先週までは最寄の新幹線の駅まで車で行っていたのだけど,今はいつ雪が降り出すかわからない時期なのでどうでも車でいくならスタットレスでないとまずいと認識しつつも,タイヤをまだはきかえておらず・・・すでに夕方になっており,すごく躊躇したのだけどノーマルのまま出かけた。前日峠は雪でダメだったと聞いていたけど1日晴れていてくれたおかげできっと大丈夫と信じていたとおり「行き」は幸い無事だった。
父は思ったより元気だった。
1週間前最後に病院で会ったときにはよろめいて上手く立てなかったのにバランス悪いなりにゆっくり家の中を自力で歩けるようになっていた。
不随意な左手の動きに抑制がうまくかからないようで物を安定して支持できない。
ときには左手が勝手に動いて(可動しすぎて)顔や頭に強くぶつかったりしてしまうらしい。
幸い右手が健常なのでなんとか身の回りのことは出来ていた。眼振が不随意に出て焦点がすぐに合わないせいだと思うのだけど動画や読書はだめでも静止した対象はあるていどはっきりと認識できるのだという。なんだか本にあるような所見に目をみはってしまう。
初日からこの1か月半分を取り戻すかのように父は意欲的で外食にも買い物にも行ってみたいと言い,夜は遅くまでずっといろんなことをしゃべり続けていた。
術前のように頭は重くはないそうだけど脚がものすごく重いって言っていた。
もうすこし長生きしてあれとこれをやりたいのだと繰り返し語っていた。
あと1年あれば今の目標はきっと実現できるのだと長くつけてきた帳面を見て夢を語っていた。
でも・・・1年・・・ないかもしれない
・・と思うと一見無謀なその膨大な計画を黙って聞いていられなくなってしまって
半年のうちには実現できるようにがんばらなきゃだよ・・なんてまた言ってしまった。
父は軽く聞き流しているように思ったけど
今頃一人でノートを見ながら泣いてたりしないだろうかと胸が痛む。
天気予報によると18時すぎにみぞれの心配があったので明るいうちに父をひとり置いて戻らざるを得なかった。
幸い新幹線を降りてしばらく雨だったけどあまり寒くなかったので
これなら大丈夫と思って山越えの道(近道)を登って行ったら
もう少しで峠にさしかかるところでみぞれから急に雪にかわり路面が白くなり始めたものだからみるみる凍りつく気分だった。
勾配が結構きついところだったのでノーマルなタイヤはすでにスリップしてハンドルがとられる状態となり心拍数があがって生きた心地がしなかった。あともう少しトンネルまで距離があったらノーマルでは登れなかったかもしれない。トンネルの入り口ですでに対向車線の車が路肩(斜面側)に落ちていて途方にくれたドライバーがレスキューを待っているのが横目に見えた。
トンネルを抜ければ雪はないだろうと思っていたら途中から『出口 雪』なんで掲示が何度も出てきてますます息苦しくなった。
トンネルを出てやはり吹雪いていたけどまだ路面はさほど白くなってなかった。
チェーン脱着用のスペースでしばらく後続車を見送り考え込んでいたが待てば待つほど状況は悪くなるに違いないし,おそらく自分のようにノーマルらしき車が2~3台のろのろ降りていくのを見て自分も付いていく決心をした。
とにかく長い急勾配をいかにブレーキなしで降りていけるかが重要だったので緊張して降りてきた。]
下に降りてきたら雨だった。
先日どんより鬱っぽくなっていたのはやっぱり見せかけ(本音じゃなかった)か!と思って苦笑。
家に無事についたことを父に報告した。
心配で夕飯も食べれなかったという。
明日はありがたいことに父の妹夫妻が来てくれることになっている。
少しでも放射線が効いてくれることを祈りたい。
先週までは最寄の新幹線の駅まで車で行っていたのだけど,今はいつ雪が降り出すかわからない時期なのでどうでも車でいくならスタットレスでないとまずいと認識しつつも,タイヤをまだはきかえておらず・・・すでに夕方になっており,すごく躊躇したのだけどノーマルのまま出かけた。前日峠は雪でダメだったと聞いていたけど1日晴れていてくれたおかげできっと大丈夫と信じていたとおり「行き」は幸い無事だった。
父は思ったより元気だった。
1週間前最後に病院で会ったときにはよろめいて上手く立てなかったのにバランス悪いなりにゆっくり家の中を自力で歩けるようになっていた。
不随意な左手の動きに抑制がうまくかからないようで物を安定して支持できない。
ときには左手が勝手に動いて(可動しすぎて)顔や頭に強くぶつかったりしてしまうらしい。
幸い右手が健常なのでなんとか身の回りのことは出来ていた。眼振が不随意に出て焦点がすぐに合わないせいだと思うのだけど動画や読書はだめでも静止した対象はあるていどはっきりと認識できるのだという。なんだか本にあるような所見に目をみはってしまう。
初日からこの1か月半分を取り戻すかのように父は意欲的で外食にも買い物にも行ってみたいと言い,夜は遅くまでずっといろんなことをしゃべり続けていた。
術前のように頭は重くはないそうだけど脚がものすごく重いって言っていた。
もうすこし長生きしてあれとこれをやりたいのだと繰り返し語っていた。
あと1年あれば今の目標はきっと実現できるのだと長くつけてきた帳面を見て夢を語っていた。
でも・・・1年・・・ないかもしれない
・・と思うと一見無謀なその膨大な計画を黙って聞いていられなくなってしまって
半年のうちには実現できるようにがんばらなきゃだよ・・なんてまた言ってしまった。
父は軽く聞き流しているように思ったけど
今頃一人でノートを見ながら泣いてたりしないだろうかと胸が痛む。
天気予報によると18時すぎにみぞれの心配があったので明るいうちに父をひとり置いて戻らざるを得なかった。
幸い新幹線を降りてしばらく雨だったけどあまり寒くなかったので
これなら大丈夫と思って山越えの道(近道)を登って行ったら
もう少しで峠にさしかかるところでみぞれから急に雪にかわり路面が白くなり始めたものだからみるみる凍りつく気分だった。
勾配が結構きついところだったのでノーマルなタイヤはすでにスリップしてハンドルがとられる状態となり心拍数があがって生きた心地がしなかった。あともう少しトンネルまで距離があったらノーマルでは登れなかったかもしれない。トンネルの入り口ですでに対向車線の車が路肩(斜面側)に落ちていて途方にくれたドライバーがレスキューを待っているのが横目に見えた。
トンネルを抜ければ雪はないだろうと思っていたら途中から『出口 雪』なんで掲示が何度も出てきてますます息苦しくなった。
トンネルを出てやはり吹雪いていたけどまだ路面はさほど白くなってなかった。
チェーン脱着用のスペースでしばらく後続車を見送り考え込んでいたが待てば待つほど状況は悪くなるに違いないし,おそらく自分のようにノーマルらしき車が2~3台のろのろ降りていくのを見て自分も付いていく決心をした。
とにかく長い急勾配をいかにブレーキなしで降りていけるかが重要だったので緊張して降りてきた。]
下に降りてきたら雨だった。
先日どんより鬱っぽくなっていたのはやっぱり見せかけ(本音じゃなかった)か!と思って苦笑。
家に無事についたことを父に報告した。
心配で夕飯も食べれなかったという。
明日はありがたいことに父の妹夫妻が来てくれることになっている。
少しでも放射線が効いてくれることを祈りたい。
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