10時間寝た後に目覚めると、体がすごく軽くなっていました。今日はこの旅で唯一meetingを入れておらず、丸一日Boston観光です。
早速、地下鉄で全米有数の規模を誇るボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)に行きました。この旅は、美術館巡りの旅のようです。
New Yorkにて全米最大と言われるメトロポリタンに訪れていたため、それほど期待はしていたなかったのですが・・・むしろ、MFAの方が私には刺さりました。
偶然にもレオナルド・ダ・ヴィンチ展と葛飾北斎展をしていました。
ダ・ヴィンチ直筆のノート。ノートを見ると、その人の思考のスタイルが透けて見えることがあります。考えを文字として残し、絵を描き、時には他の情報につなげている・・・表情豊かなノートでそれ自体が美しいアートのようでした。
ガラス張りの修復工房で修復士が、ルネサンス時代の絵画に再度命を吹き込んでいます。長い美術の歴史の中で、凄まじい知識と技術を持つ彼ら修復士の名が後世に残ることはなく、ただ前の時代から引き継がれた美術品に宿る美の歴史の灯火を、次の世代に引き継いて行く・・・アーチストではなく職人としての誇りに生きる彼らの存在にはただただ尊敬の念を抱きます。その一方で、近年の科学的手法を駆使して限りなくオリジナルに近づけようとした“最後の晩餐”の修復においては、数世紀に渡りオリジナルを修復してくる過程で、例えば使徒の手の描写などが大きく変化してきていたことがわかりました。それは、脈々と歴史を引き継いできた名もなき職人達から時として溢れ出た、巨匠の作品にどこか自分の求める美を重ねたアーチストしての主張であるかのように感じられます。それを、寂しさと見るか、それとも蛍のような儚い美しさとして見るか、受け止め方次第ですが、そういう息遣いを感じさせられる古い美術品は好きです。
そこが格好つけた理屈として引っかかっているのか、それとも、歴史の浅さを無意識に感じ取っているのか、アメリカンアートについては、綺麗だとは思うのですが、私には全くと言って良いくらいに刺さりません。
アメリカンアート
この2枚の絵を見ると、基礎があっての独創であることが良くわかります。ともにパブロ・ピカソの絵です。
日本の歯科医療においては良く、歯科医師の治療の質やアウトカムを深く考慮せずに、表面的に自費治療率が高まるオペレーションを単一的に導入したがることがあり、それが歯科医療に置けるマネジメントであり歯科医療というビジネスであると受け取られていることがあります。それを必要悪と表現する人すらいます。
それは違う。それでは、価値/価格で見た際に、歯科医療の平均的社会的価値を寧ろ引き下げており、マネジメントやビジネスが本来持つ力を生かせていないと感じます。あくまで部分最適化のオペレーション導入にすぎず、その浅いレベルでの話を歯科医療に置けるマネジメントやビジネスの本質であるかのように扱い、歯科市場のプレーヤー達に伝えていくことは、“形無し”の伝染であるかのように感じてしまいます。・・・とは言え、これもまた押し付けようのない一つの意見に過ぎません。部分最適化のオペレーション導入に複数の人々の生活が立脚している以上、純粋でいられるはずもなく、清濁を併せ持つことを自然と捉えるべきです。
MFAで、再度、過去に目を向けることになりました。仙台で大学時代を過ごした私は、3.11に関することを、映像/写真に至るまでずっと避け続けてきていました。全く知らなかったのですがMFAでは、かなりのスペースを3.11の写真に割かれていました。
知らずにそのフロアーに入り、ベンチに座り考えこんでいた私を見て、一人のアメリカ人の老紳士が話しかけてきてくれました。大学時代を仙台で過ごしたこと。3.11についての整理がつかず、その後、一度として仙台を訪れていないことなどを話すと、私を1枚の写真の前に連れて行ってくれました。
I heard that Japanese paperwork of a crane is the symbol of hope. I feel your deep pain, and I wish you to feel the hope in despair from this picture.
という言葉に始まり、しばらく話をしてくれました。時として、その場所の空気感や温度や光の当たり方、放つ人の佇まい、言葉の選び方・・・様々な要素が入り混じり、簡単な言葉に力を与え、刺さることがあるように思います。
MBAを卒業して、機会があれば仙台を訪れてみてもいいかな・・・と、ふと思えました。
MFAの中庭で、昼食です。気持ちの良い天気です。
昼食後、いよいよHOKUSAIです。
日本人はおろかAsianが自分しかいない環境で、多くの人々と一緒に日本の美術を鑑賞するというのは面白くもあり、嬉しくもあります。ただ、春画のコーナーの前でああでもない、こうでもないと大盛り上がりしている白人のおばあちゃん集団には、少しうけました。
気づけば、4時間近くもMFAで過ごしていました。メトロポリタンと比較して、人も少なく、静かであるというのも好印象でした。
その後、MFAの近くにある、Boston Red Soxのホームであるウェンフェイパーク球場に向かいます。この球場は、全米大リーグ最古の球場です。丁度、スタジアム見学ツアーが出発する時間でしたので、折角ですので参加してみました。
有名なグリーンモンスター
それなりに時間が過ぎ、小腹が空いてきて、なぜか無性にラーメンを食べたくなったのでささっと検索し、ノースエンドにあるRamen Restaurant まで地下鉄で移動します。
ビール&味噌ラーメンを注文します。私は普段は、ほとんどお酒は飲まないのですが、旅先でのちょっとした贅沢です。
普段飲まない → 強くない → 酔っ払う。ということで、ほぼほぼ酔っ払い、そのままBoston港に向かいます。潮風は程よい酔いざましになります。
ボストンの街並み
日が暮れてきたこともあり、地下鉄で中心街まで戻り、ボストンコモンのある公園を横切ってスターバックスでコーヒーを飲みながらブログをアップしています。今回の旅で利用したHostelは、WiFiが全く繋がらないという・・・そこについてのみ不満足ですが、これもこれで安宿の面白さです。
ボストンコモン
ビーコンヒル
明日は、たまたまBostonにこられている東北大学歯学部時代の後輩と会い、さらにHarvard School of Dental MedicineでFaculty をされている先輩をご紹介いただきます。すごく楽しみです。
この旅も残す所一日です。
早速、地下鉄で全米有数の規模を誇るボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)に行きました。この旅は、美術館巡りの旅のようです。
New Yorkにて全米最大と言われるメトロポリタンに訪れていたため、それほど期待はしていたなかったのですが・・・むしろ、MFAの方が私には刺さりました。
偶然にもレオナルド・ダ・ヴィンチ展と葛飾北斎展をしていました。
ダ・ヴィンチ直筆のノート。ノートを見ると、その人の思考のスタイルが透けて見えることがあります。考えを文字として残し、絵を描き、時には他の情報につなげている・・・表情豊かなノートでそれ自体が美しいアートのようでした。
ガラス張りの修復工房で修復士が、ルネサンス時代の絵画に再度命を吹き込んでいます。長い美術の歴史の中で、凄まじい知識と技術を持つ彼ら修復士の名が後世に残ることはなく、ただ前の時代から引き継がれた美術品に宿る美の歴史の灯火を、次の世代に引き継いて行く・・・アーチストではなく職人としての誇りに生きる彼らの存在にはただただ尊敬の念を抱きます。その一方で、近年の科学的手法を駆使して限りなくオリジナルに近づけようとした“最後の晩餐”の修復においては、数世紀に渡りオリジナルを修復してくる過程で、例えば使徒の手の描写などが大きく変化してきていたことがわかりました。それは、脈々と歴史を引き継いできた名もなき職人達から時として溢れ出た、巨匠の作品にどこか自分の求める美を重ねたアーチストしての主張であるかのように感じられます。それを、寂しさと見るか、それとも蛍のような儚い美しさとして見るか、受け止め方次第ですが、そういう息遣いを感じさせられる古い美術品は好きです。
そこが格好つけた理屈として引っかかっているのか、それとも、歴史の浅さを無意識に感じ取っているのか、アメリカンアートについては、綺麗だとは思うのですが、私には全くと言って良いくらいに刺さりません。
アメリカンアート
この2枚の絵を見ると、基礎があっての独創であることが良くわかります。ともにパブロ・ピカソの絵です。
日本の歯科医療においては良く、歯科医師の治療の質やアウトカムを深く考慮せずに、表面的に自費治療率が高まるオペレーションを単一的に導入したがることがあり、それが歯科医療に置けるマネジメントであり歯科医療というビジネスであると受け取られていることがあります。それを必要悪と表現する人すらいます。
それは違う。それでは、価値/価格で見た際に、歯科医療の平均的社会的価値を寧ろ引き下げており、マネジメントやビジネスが本来持つ力を生かせていないと感じます。あくまで部分最適化のオペレーション導入にすぎず、その浅いレベルでの話を歯科医療に置けるマネジメントやビジネスの本質であるかのように扱い、歯科市場のプレーヤー達に伝えていくことは、“形無し”の伝染であるかのように感じてしまいます。・・・とは言え、これもまた押し付けようのない一つの意見に過ぎません。部分最適化のオペレーション導入に複数の人々の生活が立脚している以上、純粋でいられるはずもなく、清濁を併せ持つことを自然と捉えるべきです。
MFAで、再度、過去に目を向けることになりました。仙台で大学時代を過ごした私は、3.11に関することを、映像/写真に至るまでずっと避け続けてきていました。全く知らなかったのですがMFAでは、かなりのスペースを3.11の写真に割かれていました。
知らずにそのフロアーに入り、ベンチに座り考えこんでいた私を見て、一人のアメリカ人の老紳士が話しかけてきてくれました。大学時代を仙台で過ごしたこと。3.11についての整理がつかず、その後、一度として仙台を訪れていないことなどを話すと、私を1枚の写真の前に連れて行ってくれました。
I heard that Japanese paperwork of a crane is the symbol of hope. I feel your deep pain, and I wish you to feel the hope in despair from this picture.
という言葉に始まり、しばらく話をしてくれました。時として、その場所の空気感や温度や光の当たり方、放つ人の佇まい、言葉の選び方・・・様々な要素が入り混じり、簡単な言葉に力を与え、刺さることがあるように思います。
MBAを卒業して、機会があれば仙台を訪れてみてもいいかな・・・と、ふと思えました。
MFAの中庭で、昼食です。気持ちの良い天気です。
昼食後、いよいよHOKUSAIです。
日本人はおろかAsianが自分しかいない環境で、多くの人々と一緒に日本の美術を鑑賞するというのは面白くもあり、嬉しくもあります。ただ、春画のコーナーの前でああでもない、こうでもないと大盛り上がりしている白人のおばあちゃん集団には、少しうけました。
気づけば、4時間近くもMFAで過ごしていました。メトロポリタンと比較して、人も少なく、静かであるというのも好印象でした。
その後、MFAの近くにある、Boston Red Soxのホームであるウェンフェイパーク球場に向かいます。この球場は、全米大リーグ最古の球場です。丁度、スタジアム見学ツアーが出発する時間でしたので、折角ですので参加してみました。
有名なグリーンモンスター
それなりに時間が過ぎ、小腹が空いてきて、なぜか無性にラーメンを食べたくなったのでささっと検索し、ノースエンドにあるRamen Restaurant まで地下鉄で移動します。
ビール&味噌ラーメンを注文します。私は普段は、ほとんどお酒は飲まないのですが、旅先でのちょっとした贅沢です。
普段飲まない → 強くない → 酔っ払う。ということで、ほぼほぼ酔っ払い、そのままBoston港に向かいます。潮風は程よい酔いざましになります。
ボストンの街並み
日が暮れてきたこともあり、地下鉄で中心街まで戻り、ボストンコモンのある公園を横切ってスターバックスでコーヒーを飲みながらブログをアップしています。今回の旅で利用したHostelは、WiFiが全く繋がらないという・・・そこについてのみ不満足ですが、これもこれで安宿の面白さです。
ボストンコモン
ビーコンヒル
明日は、たまたまBostonにこられている東北大学歯学部時代の後輩と会い、さらにHarvard School of Dental MedicineでFaculty をされている先輩をご紹介いただきます。すごく楽しみです。
この旅も残す所一日です。