本日は、早朝から白先生を訪ねてNYU College of Dentistryを訪れます。
内部を案内していただき、補綴科の白先生のチェアーでゆっくりお話をさせていただきました。
私の言葉で語るより、
白先生のブログと今年の1月より連載が開始された歯界展望での先生の記事を御紹介します。歯界展望において、日本では情報を得ずらく噂が一人歩きしやすい米国歯科医療について、補綴専門医の目線を超えた内容で記載されております。特に、これからの日本の歯科医療を担っていく若い先生には一度目を通していただきたい良質のInputとなります。米国で学びながら、そちらに偏重しないバランス感覚を感じさせられます。
もう少しお話をさせていただきたかったのですが、直後に別のMeetingが入っていたため、次は日本で・・・と約束し、NYUを後にしました。
・・・と思ったら、直後のMeeting予定がリスケになり・・・残りの時間を観光に当てることに致しました。そうなると、一人でもうろちょろしたがる私の自由気ままな性格が活きてきます。
早速、NYU近くの、Flatiron Building・・・なんでこんなの立てたのでしょう。本当に平たいです。
そして、エンパイアステートビルディングの展望台に登ります。
通常のチケットですと、展望台に登るまでに一時間近く並ぶ上に、その他いちいち行列しなければいけないため、倍の料金を支払って事前にExpress Passを購入していました。
長蛇の行列の横の特別通路を通って一直線で展望台に向かいます。他ではほとんどお金を使わない私ですが、時間が限られている場合に、時間をお金で買う投資はします。
昨日訪れた、セントラルパークが見えます。
反対側からは、ワールドトレードセンターや自由の女神が見えます。
そして、旧ワールドトレードセンターの跡地、グランド・ゼロへ
グランド・ゼロ
噴水を取り囲む手すりの石には、9.11の犠牲者の方々の名前が一人一人刻まれています。その周りで、笑顔で写真を撮る人、悲痛な面持ちで、言葉を発さずに一つの名前を指でなぞり花を手向ける人・・・この独特の空気感をそれぞれの受け止め方をしています。
崩壊したワールドトレードセンターでは、私と同じMBAホルダーが数多く働いていたことは容易に想像がつきます。その中には、凄まじく優秀で人生の成功を疑いすらしなかった人も、パフォーマンスを上げられずにいつfireされるかわからず不安を抱えてその日を迎えた人もいたでしょう。ただ、誰一人として明日があることを疑っていなかったはずです。
・・・本来であればあったはずの明日を奪われる、その無念さには祈ることしかできません。
鎮魂の思いは、国を問わず同じではないかと思います。祈ることで何かをかえられるのか、それとも何かを得られるかなどについて、私のような知識も経験もないものにはわかりません。しかし、自分のためにではなく、他者のためにそうせざる得ない時というのは確かにあります。
最近やっと自分の中で整理がついたことなので簡潔に記載します。この留学の最初の頃、親しい後輩が夭折しました。よく仕事帰りに彼とラーメンを食べに行き、色々な話をしていました。本当にいい男でした。
最後に私のオフィスで、「留学中に一度は遊び行きたいです」と話してくれた時の笑顔を、今でも鮮明に思い出します。私は無神教ですが、今でも、時として彼を思い出し祈っています。これから歳を経れば経るほど、そういう祈りは増えていくように感じています。
そのような過去を振り返る気持ちを未来に向けて押し出すように、新しいワールドトレードセンターがグランド・ゼロを見下ろしています。
生きていると、忘れてはいけないけど、前に進まなければならないことがある・・・そのことを象徴しているような場所でした。
自分のどの気持ちに起因するのかもわからず、何かにひとしきり祈った後、自由の女神に場所を移しました。
ニューヨーク港内の、リバティ島にある自由の女神までは、フェリーで10分程度の船旅です。
リバティ島に上陸し、自由の女神の周囲をぐるっと一周します。
Liberty Enlightening the Worldという正式名称を持ち、米国独立100周年にフランスから送られたこのアメリカの象徴に、いつか訪れてみたいな・・・と思っていました。
自由の女神が見つめる先には、よく写真などで見るマンハッタン島が広がっています。
これについてはそれほど、ピンとはこなかったのですが、まっ、一度見ておいて損はないものでした。マンハッタンに戻り、近くのウォール街に向かいます。ウォール街の入り口には、目のまで繰り広げられる巨額の投資の行方を睨みつけるようにCharging Bullがいます。
普段はこんな感じなのですが、今日は人が途絶えず、独りで楽しんでいる私が人にお願いして写真を撮れるような空気感ではありませんでした。
世界の金融の中心であり続けてきたウォール街
ウォール街を少し進むと、トリニティ教会が見えてきます。
ウォール街で働く、ヘッジファンドマネージャーやBankerたちは、毎日この横を通り出社しながら何を祈ったのでしょうか?
それは富なのか・・・もっと違った幸せなのか・・・”ウォール街で魅力的な人に出会ったことがない”という有名な投資家の言葉を思い出します。それでも、私の親しい友人も、卒後はウォール街での成功を目指しています。何が正しいのか、なんてわからないことばかりです。
楽しみにしていたニューヨーク証券取引所は、改築の折、星条旗が精悍にはためく姿を見ることはできませんでした。
そこから少し歩き、ブルックリンブリッジです。
マンハッタン南端を楽しんだ後、地下鉄で一気に北上し、コロンビア大学を訪れます。1754年に創立された全米で5番目に古いコロンビアは、アイビー・リーグの一校で、世界的な研究大学としてノーベル賞受賞者を数多く輩出するなど全世界から多くの優秀な研究者、留学生が集まってます。
ちょうど卒業式と重なり、テントなどが貼られており、壮観とまではいきませんが、歴史の重みを感じさせられる建築好きにはたまらない美しいキャンパスでした。
ロウ・プラザの中央の階段の中ほどに大学のシンボルの一つであり、ローマの女神ミネルヴァをモチーフとしたAlma Mater像が鎮座しています。私には、自由の女神よりこちらの方が美しく、素晴らしく思えました。
ロウ・プラザの裏には、昨日お会いした白石さんの母校であるGraduate School of Businessがあります。
私はバックグランドや方向性に合わないために、MBA受験時代、コロンビアには全く興味がありませんでしたが、毎年ウォール街などに数多くの人材を排出するファイナンススクールとして有名な、世界的名門校です。
ロウ・プラザの前の石段に座り、夕日が沈むまで随分長い間、考え事をしていました。そして、この2年の間に、いつか結論が出たら記載しよう・・・できたらいいなと思っていたことに答えを出しました。
これまで3年近くに渡り明るく描き続けてきた全てひっくり返すようですが、私はこの2年間、心に引っかかる釈然としない気持ちを抱き続けていました。それは、自分がUCLAに進学したことについてでした。実は私の中でUCLAは3番目に行きたい学校でした。
MBA受験を本格化させて以降、私は自分はHarvardかStanfordに行くと信じようとしていました。(信じないことはまず現実化できませんので)結果、その2校に行けなかった事が、自分の中で引っかかり続けていました・・・この事はこの2年間で、初めて口にします。
MBA受験の結果は誰にも予想できません。その時々の日本経済の状況や各スクールが取りたい学生層などにも左右され運もあります。とはいえ、結局は、HarvardについてはToefl109点のrequirementに対して残り1点を諦めたこと、Stanfordについては私のアプリケーションが魅力的に映らなかったことが原因です。
何事も、第一志望にいける事は幸せな事です。MBA受験では思い通りにいかない結果に直面する人も数多くいる事と思います。どこか諦めて受験しなかったことをひきづる人もいると思います。
私の場合は、そこにおいては思い通りにいかなかったと感じていましたが、その後の2年間、三番目に行きたかった環境に身を置き、卒業前の現時点でMBAの先に、起業家として勝ち取りたい未来が鮮明に見えています。
最良の次の目標に至らせてくれた、UCLAとこの2年間に満足しています。ここに来て引っかかり続けていたものが、ふっと抜け落ちて行きました。
MBA受験を通じて縁もゆかりもなかったコロンビア大学で、この2年間に最良の結論をつけられた事はとても不思議で、とても嬉しい事でした。今は、UCLAのMBAということを、なんの陰りもなく誇りに思えています。人は思い通りにいかなかった時にこそ、どうあるべきかが問われます。その先にあるのは、思い通りにいった以上のことであることも十分にあり得ます。(まっ、思い通りにいっていたら、そっちはそっちで楽しいでしょうが)
今回の旅は、この結論を得るためにあったのかな・・・とか思います。
素晴らしい時間を過ごしたのちに、不思議な幸福感を感じながらホステルに戻ります。明日は、深夜3時半からボストンに向け移動を開始します。ニューヨークでの最後の夜は、明日に備えて早めに寝ることにします。