High up in the sky

赤司 征大|Masahiro Akashi
UCLA MBA留学記
WHITE CROSS株式会社 起業までの軌跡

Blue

2015-05-31 09:29:42 | 2015.4-6 春 Last Days at LA
LAは今日も青く、乾いた空気が心地よいです。






East Coastから戻って以降、雑誌に投稿させていただく記事として、これまでの2年間の学びをまとめていました。

一昨日はUCLA School of Dentistryで教育プログラムに関わられているメサディ教授と2時間ばかり話し込み、今後とも交流させていただける関係を築けました。

昨日は、USC School of Dentistryにお伺いし、親しくさせていただいている友達に案内をしていただきました。

そして、今日から3日間で、ビジネススクールでの最後のassignmentを終わらせます。

East Coast 最終日 Boston → LA

2015-05-30 07:00:06 | 2015.4-6 春 Last Days at LA
今朝は、朝からボストンコモン近くのカフェで歯学部時代の後輩の木山先生と落ち合い、モーニングを取りました。木山先生とは共有していることが多く、気兼ねなく話せます。また、努力家である彼女は、お会いさせて頂く度に着実に前に進んでおり、学ばせてもらうことが多いです。どんどん素敵な大人の女性になられており、今となっては、後輩というよりは価値観の近い友人の一人です。





昨日のHarvardの卒業式に参加し、親しい友人達の卒業を祝っていたとのことでした。

モーニングを楽しんだ後に、Bostonを案内してもらいます。

ボストンコモンにあるGeorge Washingtonの像。・・・仙台城址の伊達政宗像にそっくりに見えます。


ボストンのトリニティー教会。New Yorkのものとはだいぶ印象が異なります。


ボストン公共図書館








木山先生の紹介で東北大学歯学部の大先輩に当たる大山先生にお会いさせて頂くため、先生がFaculty (教職)を務められるHarvard School of Dental Medicineに向かいました。





Domestic Japanese がHarvard でFacultyになり、その立場を維持されてこられるには、想像を絶する継続的な努力が必要なことは明白です。にもかかわらず、お会いさせていただいた大山先生は、そのような苦労をみじんも感じさせない爽やかで美しい方でした。かっこいい大人の女性とは、まさにこういう方の事を言うのでしょう。



講義に参加したり、School内を見学したりさせていただきました。歴史を感じさせられながらも、古さを感じさせられない落ち着いた空間でした。

その後、近くの美術館内にあるレストランに移動し、ランチをご馳走になりながら、大山先生、木山先生と様々な話をさせていただきました。先生方の様々なお話も聞かせていただき、私もこれからやろうとしているビジネスについてもお話をさせて頂き、楽しい時間を過ごさせていただきました。

最後に「赤司さんがやろうとしている事に、私は何をしてあげられますか?」という、嬉しいお言葉を頂けました。戦略の問題から、短期的な事ではなく、中長期的にアドバイスをいただきたいタイミングが来る事をお伝えさせていただきました。いつも記載している事ですが、日本の歯科医療は、米国の歯科医療を周到するべきではありませんが、学ぶべきポイントは特に教育制度を中心に多々あります。そこに真剣に焦点を当てて良い時期がくれば、より深いアドバイスをいただきたいと願います。そうなる環境を整備していくためにも、これから私は日本の歯科医療市場に戻り、真剣に取り組んでいきます。



名残惜しくもありますが、フライトの時間が近づいてきたため、大山先生、木山先生と別れ、ローガン国際空港に移動します。




そして今、BostonからLAに向かう飛行機の中で、この一週間を振り返っています。様々な事を考え、これまで答えが出ずにきた色々な事に答えが出た旅でした。また、これからもKeep in touch でいさせていただきたい素晴らしい方々との素晴らしい出会いがありました。

やはり私は、ずば抜けて運が良く、特に人に恵まれていると思います。

LAに戻れば、ビジネススクールでの最後の2週間か始まります。この2年間の最後の一人旅は、素晴らしいものでした。


East Coast 5日目 Boston

2015-05-29 23:41:22 | 2015.4-6 春 Last Days at LA
10時間寝た後に目覚めると、体がすごく軽くなっていました。今日はこの旅で唯一meetingを入れておらず、丸一日Boston観光です。



早速、地下鉄で全米有数の規模を誇るボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)に行きました。この旅は、美術館巡りの旅のようです。



New Yorkにて全米最大と言われるメトロポリタンに訪れていたため、それほど期待はしていたなかったのですが・・・むしろ、MFAの方が私には刺さりました。





偶然にもレオナルド・ダ・ヴィンチ展と葛飾北斎展をしていました。





ダ・ヴィンチ直筆のノート。ノートを見ると、その人の思考のスタイルが透けて見えることがあります。考えを文字として残し、絵を描き、時には他の情報につなげている・・・表情豊かなノートでそれ自体が美しいアートのようでした。



ガラス張りの修復工房で修復士が、ルネサンス時代の絵画に再度命を吹き込んでいます。長い美術の歴史の中で、凄まじい知識と技術を持つ彼ら修復士の名が後世に残ることはなく、ただ前の時代から引き継がれた美術品に宿る美の歴史の灯火を、次の世代に引き継いて行く・・・アーチストではなく職人としての誇りに生きる彼らの存在にはただただ尊敬の念を抱きます。その一方で、近年の科学的手法を駆使して限りなくオリジナルに近づけようとした“最後の晩餐”の修復においては、数世紀に渡りオリジナルを修復してくる過程で、例えば使徒の手の描写などが大きく変化してきていたことがわかりました。それは、脈々と歴史を引き継いできた名もなき職人達から時として溢れ出た、巨匠の作品にどこか自分の求める美を重ねたアーチストしての主張であるかのように感じられます。それを、寂しさと見るか、それとも蛍のような儚い美しさとして見るか、受け止め方次第ですが、そういう息遣いを感じさせられる古い美術品は好きです。

そこが格好つけた理屈として引っかかっているのか、それとも、歴史の浅さを無意識に感じ取っているのか、アメリカンアートについては、綺麗だとは思うのですが、私には全くと言って良いくらいに刺さりません。

アメリカンアート



この2枚の絵を見ると、基礎があっての独創であることが良くわかります。ともにパブロ・ピカソの絵です。





日本の歯科医療においては良く、歯科医師の治療の質やアウトカムを深く考慮せずに、表面的に自費治療率が高まるオペレーションを単一的に導入したがることがあり、それが歯科医療に置けるマネジメントであり歯科医療というビジネスであると受け取られていることがあります。それを必要悪と表現する人すらいます。

それは違う。それでは、価値/価格で見た際に、歯科医療の平均的社会的価値を寧ろ引き下げており、マネジメントやビジネスが本来持つ力を生かせていないと感じます。あくまで部分最適化のオペレーション導入にすぎず、その浅いレベルでの話を歯科医療に置けるマネジメントやビジネスの本質であるかのように扱い、歯科市場のプレーヤー達に伝えていくことは、“形無し”の伝染であるかのように感じてしまいます。・・・とは言え、これもまた押し付けようのない一つの意見に過ぎません。部分最適化のオペレーション導入に複数の人々の生活が立脚している以上、純粋でいられるはずもなく、清濁を併せ持つことを自然と捉えるべきです。



MFAで、再度、過去に目を向けることになりました。仙台で大学時代を過ごした私は、3.11に関することを、映像/写真に至るまでずっと避け続けてきていました。全く知らなかったのですがMFAでは、かなりのスペースを3.11の写真に割かれていました。



知らずにそのフロアーに入り、ベンチに座り考えこんでいた私を見て、一人のアメリカ人の老紳士が話しかけてきてくれました。大学時代を仙台で過ごしたこと。3.11についての整理がつかず、その後、一度として仙台を訪れていないことなどを話すと、私を1枚の写真の前に連れて行ってくれました。



I heard that Japanese paperwork of a crane is the symbol of hope. I feel your deep pain, and I wish you to feel the hope in despair from this picture.

という言葉に始まり、しばらく話をしてくれました。時として、その場所の空気感や温度や光の当たり方、放つ人の佇まい、言葉の選び方・・・様々な要素が入り混じり、簡単な言葉に力を与え、刺さることがあるように思います。

MBAを卒業して、機会があれば仙台を訪れてみてもいいかな・・・と、ふと思えました。



MFAの中庭で、昼食です。気持ちの良い天気です。






昼食後、いよいよHOKUSAIです。





日本人はおろかAsianが自分しかいない環境で、多くの人々と一緒に日本の美術を鑑賞するというのは面白くもあり、嬉しくもあります。ただ、春画のコーナーの前でああでもない、こうでもないと大盛り上がりしている白人のおばあちゃん集団には、少しうけました。





気づけば、4時間近くもMFAで過ごしていました。メトロポリタンと比較して、人も少なく、静かであるというのも好印象でした。




その後、MFAの近くにある、Boston Red Soxのホームであるウェンフェイパーク球場に向かいます。この球場は、全米大リーグ最古の球場です。丁度、スタジアム見学ツアーが出発する時間でしたので、折角ですので参加してみました。







有名なグリーンモンスター



それなりに時間が過ぎ、小腹が空いてきて、なぜか無性にラーメンを食べたくなったのでささっと検索し、ノースエンドにあるRamen Restaurant まで地下鉄で移動します。









ビール&味噌ラーメンを注文します。私は普段は、ほとんどお酒は飲まないのですが、旅先でのちょっとした贅沢です。


普段飲まない → 強くない → 酔っ払う。ということで、ほぼほぼ酔っ払い、そのままBoston港に向かいます。潮風は程よい酔いざましになります。







ボストンの街並み




日が暮れてきたこともあり、地下鉄で中心街まで戻り、ボストンコモンのある公園を横切ってスターバックスでコーヒーを飲みながらブログをアップしています。今回の旅で利用したHostelは、WiFiが全く繋がらないという・・・そこについてのみ不満足ですが、これもこれで安宿の面白さです。



ボストンコモン


ビーコンヒル




明日は、たまたまBostonにこられている東北大学歯学部時代の後輩と会い、さらにHarvard School of Dental MedicineでFaculty をされている先輩をご紹介いただきます。すごく楽しみです。

この旅も残す所一日です。

East Coast 4日目 New York → Boston

2015-05-29 23:32:57 | 2015.4-6 春 Last Days at LA
早朝の3時半に起床し、Hostelをチェックアウトし、タクシーでJFKに向かいます。流石はニューヨークというべきか・・・この時間でも、タクシーが簡単につかまります。





JFKからローガン国際空港(BOS)までの間はひたすら寝ていました。ボストンに早朝に付き、MBA受験時代の仲間の大西さんとの待ち合わせ時間に合わせて、MIT Sloanの近くのKendal 駅に地下鉄で向かいます。



大西さんとは2年ぶりの再会でした。エンジニアバックグランドからMIT Sloanに進学され、Teslaなどでインターンを経験されてきたとのこと。MITという環境を活かし、限りなくエンジニアサイドにどっぷり浸かった2年間を過ごしてきたとのことでした。爽やかな方ですが、物事を分析的に見る鋭さは相変わらずで、この2年間を振り返っての話は非常に面白く、流石でした。



MIT Sloan








MBAが、Domestic American と Internationalそれぞれにどのような変化を与えるかという話で、Industry/Place/Function の3要素で、変えようと思えば3個全てを切り替えられるDomestic Americanに対して、Internationalは2つまでが限界だという話をされました。実感からも周囲を見渡しての経験則からも腑に落ちる話です。

私自身で言うなら、歯科医療/日本という軸はそのままに、Functionを大きく切り替える選択をしました。大西さんは、Place /Functionの切り替えようとしています。サンノゼのApple本社 からオファーを勝ち取った同じアパートに住むSueにしても、IndustryとロジスティックというFunctionはそのまま、Place のみを韓国からシリコンバレーに切り替えています。

それなりに長い年月を特定の産業で過ごしてくると、MBAでの2年間、アカデミア/インターンなどでの学びを自分のもともといた産業にアダプトさせて考えることが多く、自然と自分の過ごしてきた日々を振り返り、この先の発展性を考えます。その流れの中で、例えば、私が歯科医療に再度、Passionを感じたのはいたって自然のことでした。




次に訪れたのは、エンジニアリングの世界最高峰、MIT Media Labです。大西さんに案内され、ガラス張りの扉をくぐったその時・・・なんと、石井裕先生とすれ違いました。日本でMITが取り上げられる際には、必ず焦点が当てられる石井先生は、まさに映像で見てきた常に何かに凄まじいレベルで集中している印象の人そのままで、とても話しかけられる雰囲気ではありませんでした。



大西さんによると、日本の工学部での早い段階から一つの分野に集中するスタイルとは異なり、MITの学生は幅広いエンジアリングに精通し、ワンストップでプログラミングから、実際に手を動かして何かを作ることまでできることが当たり前とのことでした。確かに、私のような起業家から見ても同じことが言えます。Web Business であるWHITE CROSSがCTOを探していた際に、上流から下流まで・・・つまり、プロマネからプログラミングまで全てできるCTOを探すのは困難を極めました。最終的に、上流業務について超一流、下流業務についても積極的にその幅を広げようとしてくれる素晴らしく優秀なCTOに出会えたことは、幸運としか言いようがありません。さらに、私と仕事のスタイルが近いうえに、気が合うという・・・本当にこの人でよかったと思える人で、共に上場を目指す仲間として、絶対の信頼を置いています。





話を戻しますと、Media Labの学生の自殺率は非常に高いとのことでした。世界中の天才と言われるエンジニア達が集まり、Valueを出せなければ生き残れない世界です・・・悲しい話ですが世界最高峰というのは、世界で最も厳しい環境であって当たり前です。

メディアラボを見学したのち、チャールズ川沿いをMITの象徴であるグレート・ドームに向かいます。





卒業式を迎え、テントが張られ始めていましたが、その荘厳な姿にMITの卒業生が誇りを重ねる気持ちがよくわかります。UCLAでは、ロイス・ホールとパウエル図書館が向かい合う姿がそれに当たると個人的に感じています。





大西さんと別れた後、Bostonでの滞在先であるHostel に向かいます。相変わらずBoston最安値で、男5人一部屋のHostelですが、まっ、なんてことないです。



朝があまりにも早かったため、 Hostelで1時間程仮眠をとりました。16時頃に目覚め、今度はHarvardに向かいます。



HarvardはMITと同じケンブリッジ区のチャーズル川沿いにあります。なんて凄まじく美しい学都でしょうか。Harvardは・・・これまで見てきたどの大学よりも、誇りと自信に満ちた大学でした。奇しくも卒業式の前日で、グリムゾンレッドの旗が数多くはためいています。これから卒業式を迎える学生が、その家族と一緒に誇らしげに写真撮影をしています。



映画Social Networkでも実は御本人ではないというネタがでてくるJohn Harvard Founder の像で、触ると何かいいことがあるらしいその左足に触れます。UCLAに誇りを持つ私としては、この時だけ宗旨替えしたようですが・・・まっ、ここまできたし、一応という感じです。



その後、学生街を抜けて、チャールズ川の対岸にあるHBSを訪れました。一昨日までは、こようかどうか迷っていたのですが、ニューヨークのコロンビア大学で、考え続けてきたことにあっさりとした結論が出ましたので気兼ねなく訪れることにしました。









MBA受験者なら誰もが見たことがある美しく威厳のある校舎の前に佇むと、これまでのUCLAでの2年間の学び/経験/友人達・・・その先に得られた未来への道を、仮にあったとしてもHBSでの2年間と交換はしたくない・・・と素直に思えました。こうして、この2年間、私を苦しめてきたWhat if…は、完全に消え去って行きました。



すでに記載したことですが、今の私は、UCLA MBAであることを誇りに思えており、そのことが何より嬉しいです。









チャールズ川を渡る橋を戻り、Harvardの学生街で夕食を済ませてHostelに戻りシャワーを浴びると、すぐに眠りに落ち東海岸での4日目は終わりました。




East Coast 3日目 New York

2015-05-26 23:29:34 | 2015.4-6 春 Last Days at LA
本日は、早朝から白先生を訪ねてNYU College of Dentistryを訪れます。



内部を案内していただき、補綴科の白先生のチェアーでゆっくりお話をさせていただきました。



私の言葉で語るより、白先生のブログと今年の1月より連載が開始された歯界展望での先生の記事を御紹介します。歯界展望において、日本では情報を得ずらく噂が一人歩きしやすい米国歯科医療について、補綴専門医の目線を超えた内容で記載されております。特に、これからの日本の歯科医療を担っていく若い先生には一度目を通していただきたい良質のInputとなります。米国で学びながら、そちらに偏重しないバランス感覚を感じさせられます。



もう少しお話をさせていただきたかったのですが、直後に別のMeetingが入っていたため、次は日本で・・・と約束し、NYUを後にしました。

・・・と思ったら、直後のMeeting予定がリスケになり・・・残りの時間を観光に当てることに致しました。そうなると、一人でもうろちょろしたがる私の自由気ままな性格が活きてきます。


早速、NYU近くの、Flatiron Building・・・なんでこんなの立てたのでしょう。本当に平たいです。


そして、エンパイアステートビルディングの展望台に登ります。




通常のチケットですと、展望台に登るまでに一時間近く並ぶ上に、その他いちいち行列しなければいけないため、倍の料金を支払って事前にExpress Passを購入していました。



長蛇の行列の横の特別通路を通って一直線で展望台に向かいます。他ではほとんどお金を使わない私ですが、時間が限られている場合に、時間をお金で買う投資はします。


昨日訪れた、セントラルパークが見えます。


反対側からは、ワールドトレードセンターや自由の女神が見えます。





そして、旧ワールドトレードセンターの跡地、グランド・ゼロへ


グランド・ゼロ


噴水を取り囲む手すりの石には、9.11の犠牲者の方々の名前が一人一人刻まれています。その周りで、笑顔で写真を撮る人、悲痛な面持ちで、言葉を発さずに一つの名前を指でなぞり花を手向ける人・・・この独特の空気感をそれぞれの受け止め方をしています。

崩壊したワールドトレードセンターでは、私と同じMBAホルダーが数多く働いていたことは容易に想像がつきます。その中には、凄まじく優秀で人生の成功を疑いすらしなかった人も、パフォーマンスを上げられずにいつfireされるかわからず不安を抱えてその日を迎えた人もいたでしょう。ただ、誰一人として明日があることを疑っていなかったはずです。

・・・本来であればあったはずの明日を奪われる、その無念さには祈ることしかできません。

鎮魂の思いは、国を問わず同じではないかと思います。祈ることで何かをかえられるのか、それとも何かを得られるかなどについて、私のような知識も経験もないものにはわかりません。しかし、自分のためにではなく、他者のためにそうせざる得ない時というのは確かにあります。




最近やっと自分の中で整理がついたことなので簡潔に記載します。この留学の最初の頃、親しい後輩が夭折しました。よく仕事帰りに彼とラーメンを食べに行き、色々な話をしていました。本当にいい男でした。

最後に私のオフィスで、「留学中に一度は遊び行きたいです」と話してくれた時の笑顔を、今でも鮮明に思い出します。私は無神教ですが、今でも、時として彼を思い出し祈っています。これから歳を経れば経るほど、そういう祈りは増えていくように感じています。


そのような過去を振り返る気持ちを未来に向けて押し出すように、新しいワールドトレードセンターがグランド・ゼロを見下ろしています。



生きていると、忘れてはいけないけど、前に進まなければならないことがある・・・そのことを象徴しているような場所でした。


自分のどの気持ちに起因するのかもわからず、何かにひとしきり祈った後、自由の女神に場所を移しました。





ニューヨーク港内の、リバティ島にある自由の女神までは、フェリーで10分程度の船旅です。









リバティ島に上陸し、自由の女神の周囲をぐるっと一周します。







Liberty Enlightening the Worldという正式名称を持ち、米国独立100周年にフランスから送られたこのアメリカの象徴に、いつか訪れてみたいな・・・と思っていました。

自由の女神が見つめる先には、よく写真などで見るマンハッタン島が広がっています。





これについてはそれほど、ピンとはこなかったのですが、まっ、一度見ておいて損はないものでした。マンハッタンに戻り、近くのウォール街に向かいます。ウォール街の入り口には、目のまで繰り広げられる巨額の投資の行方を睨みつけるようにCharging Bullがいます。



普段はこんな感じなのですが、今日は人が途絶えず、独りで楽しんでいる私が人にお願いして写真を撮れるような空気感ではありませんでした。





世界の金融の中心であり続けてきたウォール街


ウォール街を少し進むと、トリニティ教会が見えてきます。



ウォール街で働く、ヘッジファンドマネージャーやBankerたちは、毎日この横を通り出社しながら何を祈ったのでしょうか?



それは富なのか・・・もっと違った幸せなのか・・・”ウォール街で魅力的な人に出会ったことがない”という有名な投資家の言葉を思い出します。それでも、私の親しい友人も、卒後はウォール街での成功を目指しています。何が正しいのか、なんてわからないことばかりです。


楽しみにしていたニューヨーク証券取引所は、改築の折、星条旗が精悍にはためく姿を見ることはできませんでした。




そこから少し歩き、ブルックリンブリッジです。





マンハッタン南端を楽しんだ後、地下鉄で一気に北上し、コロンビア大学を訪れます。1754年に創立された全米で5番目に古いコロンビアは、アイビー・リーグの一校で、世界的な研究大学としてノーベル賞受賞者を数多く輩出するなど全世界から多くの優秀な研究者、留学生が集まってます。

ちょうど卒業式と重なり、テントなどが貼られており、壮観とまではいきませんが、歴史の重みを感じさせられる建築好きにはたまらない美しいキャンパスでした。






ロウ・プラザの中央の階段の中ほどに大学のシンボルの一つであり、ローマの女神ミネルヴァをモチーフとしたAlma Mater像が鎮座しています。私には、自由の女神よりこちらの方が美しく、素晴らしく思えました。





ロウ・プラザの裏には、昨日お会いした白石さんの母校であるGraduate School of Businessがあります。






私はバックグランドや方向性に合わないために、MBA受験時代、コロンビアには全く興味がありませんでしたが、毎年ウォール街などに数多くの人材を排出するファイナンススクールとして有名な、世界的名門校です。








ロウ・プラザの前の石段に座り、夕日が沈むまで随分長い間、考え事をしていました。そして、この2年の間に、いつか結論が出たら記載しよう・・・できたらいいなと思っていたことに答えを出しました。

これまで3年近くに渡り明るく描き続けてきた全てひっくり返すようですが、私はこの2年間、心に引っかかる釈然としない気持ちを抱き続けていました。それは、自分がUCLAに進学したことについてでした。実は私の中でUCLAは3番目に行きたい学校でした。

MBA受験を本格化させて以降、私は自分はHarvardかStanfordに行くと信じようとしていました。(信じないことはまず現実化できませんので)結果、その2校に行けなかった事が、自分の中で引っかかり続けていました・・・この事はこの2年間で、初めて口にします。

MBA受験の結果は誰にも予想できません。その時々の日本経済の状況や各スクールが取りたい学生層などにも左右され運もあります。とはいえ、結局は、HarvardについてはToefl109点のrequirementに対して残り1点を諦めたこと、Stanfordについては私のアプリケーションが魅力的に映らなかったことが原因です。

何事も、第一志望にいける事は幸せな事です。MBA受験では思い通りにいかない結果に直面する人も数多くいる事と思います。どこか諦めて受験しなかったことをひきづる人もいると思います。


私の場合は、そこにおいては思い通りにいかなかったと感じていましたが、その後の2年間、三番目に行きたかった環境に身を置き、卒業前の現時点でMBAの先に、起業家として勝ち取りたい未来が鮮明に見えています。

最良の次の目標に至らせてくれた、UCLAとこの2年間に満足しています。ここに来て引っかかり続けていたものが、ふっと抜け落ちて行きました。

MBA受験を通じて縁もゆかりもなかったコロンビア大学で、この2年間に最良の結論をつけられた事はとても不思議で、とても嬉しい事でした。今は、UCLAのMBAということを、なんの陰りもなく誇りに思えています。人は思い通りにいかなかった時にこそ、どうあるべきかが問われます。その先にあるのは、思い通りにいった以上のことであることも十分にあり得ます。(まっ、思い通りにいっていたら、そっちはそっちで楽しいでしょうが)

今回の旅は、この結論を得るためにあったのかな・・・とか思います。


素晴らしい時間を過ごしたのちに、不思議な幸福感を感じながらホステルに戻ります。明日は、深夜3時半からボストンに向け移動を開始します。ニューヨークでの最後の夜は、明日に備えて早めに寝ることにします。