Four Season Colors

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終わりを決めるのは誰?

2024-03-18 | 雑文
卒業の季節となり、街なかでもそれらしい風
景を目にすることがある。

人生も後半戦ともなると、そうした場面に遭
遇すれば、自分には一切関係なくても、なぜ
かなにか感慨深い気持ちになったり。

主に学校なんかは、始まったときから終わり
が見えていて、生活環境なんかもガラッと変
わり、とてもわかりやすい。

しかし、物事はそうしたわかりやすい物ばか
りではないから、何かと終わりがよくわから
ない、むつかしい物もある。

それこそ学校にいる頃のような時代には、本
気で対象の永遠を望んだりして、終わりなん
て切なさそのものでしかなかった。

生活環境や人間関係はもとより、漫画やゲー
ムのような趣味においても、終わりは感動に
もなるが、継続の望みを妨げはしない。

好きな物は、続けば続くだけ、長ければ長い
だけ好ましかったすべてが、いつからか、終
わり「も」求めるようになる。

それでも、良心的に、程よく終わってくれる
物はよかったりするが、さまざまに複雑に、
終わりの見えない物がある。

また、恐らく終わりなのだろうけれど、明確
に終わりを得ることができずに、宙ぶらりん
に残っているものもある。

そうした物事に対して、終わりを決めること
ができるのは、他でもない自分自身である。

本当に大した対象ではないのだけれど、一般
的には、客観的には終わっていない物につい
て、自分で終わりを判断したことがある。

このことについては、自分の人生の中では、
ここで、これで終わり。

一つ目の終わりを決めてから、終わりを決め
る主体は自分であることを理解してから、そ
れはずいぶん軽くなったように思う。

自分の人生の終わりが見え始めている人には、
終わりの見えない好きな物は、意外としんど
かったりする。

いつまでも追わなくていい、決着は自分でつ
ければいいという事実は、とても重要な気づ
きとなって今に至る。

とかなんとか偉そうなことを言うけれど、そ
の踏ん切りがつかずにズルズルと切れない物
の、まだ多いこと多いこと。