ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

答えは無数

2008-12-13 10:24:13 | Weblog
今朝の新聞を広げ、今年の漢字が『変』であることを知る

たぶん、オバマさんを代表とした『CHANGE』の意味なんだろうと
思いつつも、パッと字を目にした時の、自分の印象は


「へん・・・。」→何かがおかしい、の意。


だった。 でもなぁ~、ひとつの言葉・文字でも
読み方&意味、発信する側&受け取り手などによって

ガラリと異なってしまったりするもの、なのかもなぁ、、。


こんな話がある。


「象とは、なんぞや??」の問いに対して。

一頭の大きな象を前に、私達は、
おのおの自分の手が伸ばせることろを触って


「うちわの様なものだ(象の耳)」
「ホースの様なものだ(象の鼻)」
「壁の様なものだ(象の体)」

と言うそうな。

→誰もその全体像を、把握できないという事だ。


これは、わたし達の分別を超えたものを、
捉えきることはできない、という例えに用いられたりするんだけど。


すべては、こういうものだと思うんだなぁ、、。


自分の置かれた立場や状況、縁によって
いろんなものは、180度、それこそ「変わって」しまうものだ。

すべての是非なんてものは、、。

『善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。
そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどに
しりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、
如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、
悪しさをしりたるにてもあらめど、
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、
みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておはします』

(歎異抄・後序より抜粋)

親鸞聖人のお言葉っていうものは、
なんて力強く深くあたたかいのだろうなぁ・・・。


ひとつの物事があれば。推測できる範疇で。
角度を変えた、いろんな視点から見ていきたいと

常日頃、思うんだけれど。

「自分」を含むと、途端にいろんなものが、わからなくなる。

・・・ここに自分が存在するという事実だけで、
確かな「1」という視点から逃れることは、永遠に出来ない。


まぁ、それが大前提なんだけれど。


「自分」を省くと、途端にいろんなものが、意味を成さなくなる。

・・・すべてが他人事であるといった、客観的な立場からの
思考は、何でもありな訳で、誰にとっても何にとっても本物じゃない。

だんだん何の話をしているのか、わからなくなって来たぞ

ここから結論までの道のりは、100人いたら100通りの
みなさんの自由な妄想力に、おまかせします。

わたしの頭の中身は、どうらら「おかしい」様子であります。完。
コメント
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