ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

桜の木になる

2008-12-09 11:14:47 | Weblog
今朝しんたいさんと、対談をしました!
今回のタイトルは『あま~い渋柿の謎?』です。笑。

また女性2菩薩の部屋を、ご覧くださいませ

女性2菩薩の部屋
http://azabu-kozenji.or.jp/



たとえば、春。桜の花を咲かせるために。

桜の木は今、厳しい寒さに耐えながら
ただひたすらに、そこに、たたずんでいるんだなと。


・・・思ったりするけれど。


いや、たぶんきっと。桜の木にとったら、
花を咲かせようと思って、立っているんじゃなくて。


花が咲くような、環境の「ご縁」の元で
不思議なほどに偶然な、結果のひとつに過ぎないんじゃないかな。


いや、まだ違う。結果じゃなくて、花でさえも、

桜の木の命の。過程のひとつに過ぎない。


桜の花の美しさは、美しさを目標にしていないからこそ


美しすぎる。

過程のひとつに過ぎないからこそ、美しい。


毎年咲くように思う「必然」が「偶然」であるとも知らず、

花が咲いたときだけ、わぁわぁ言う人間を、気にかけるでもなく。


ひとつひとつを、ぜんぶぜんぶを、黙々と淡々と
抱えてこなす。

静寂と身体を、ひとつにして。



桜の木は、花が咲くから尊いんじゃなくて。

桜の木は、桜の木として、ただそこにあるから、尊い。



たとえ花を咲かせずとも。たとえ若木のまま死すとも。



あるがまま。


桜の木は、桜の木だから、尊い。


誰が、それをわからずとも。
誰も、それをわからずとも。


花見客には、なりたくない。


凛とたたずむ桜の木に、わたしはなりたい。
コメント (2)
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