長野県は諏訪にやってきました。

サンリツ服部美術館

企画展「箱は語る 茶の湯情報学ことはじめ」
期間:9/25(火)~12月9日(日)
「茶道具を収めた箱には、その道具が辿ってきた歴史が刻まれています。銘の由来や以前の持ち主など、数多くの情報を箱から読み取ることができます。また、箱そのものだけではなく、仕覆や風呂敷からも大切に伝えてきた人々の想いを感じ取ることができますし、中に収められた文書からはより詳しい来歴を追うことができます。」(公式より)

唐物茄子茶入 銘 紹鴎茄子
大名物。武野紹鴎より弟子の辻玄哉に贈られた茶入。細口茄子とも呼ばれる。
辻玄哉は京の商人で連歌師でもあった人物。また利休の師ともされている。
黒楽茶碗 銘 雁取 長次郎作
利休が七哲の芝山監物にこの茶碗を贈ったところ、お礼に雁が贈られてきたところから銘が付いた。
芝山監物は豊臣秀吉の家臣ですが、伝わった事跡は少なく、所持した茶道具もうほとんど残っていません。しかしながら利休の書状では芝山監物宛のものがもっとも多く残っており、また現存する利休最後の書状は監物宛との事で2人の仲は深かったようです。
大正時代には井上世外(維新の元勲・井上馨)が所持。
所有者が代わる度に箱が作られ、展示ではどんどん大きくなっていく七つの箱がみれました。
白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作
国宝。2点しかない国宝の和物茶碗のひとつ。上部が白く下部が黒い景色を富士山に見立てたことから銘が付いた。また光悦本人が「不二山」と蓋表に書いたとされ、これが作者が箱書き付けした「共箱」の最初とされています。
竹茶杓 北向道陳作
利休の師とされる北向道陳作の茶杓。利休の前の時代の人物だが中節の一般的な竹茶杓で、幕末の茶会に使われた事が解説されていました。
和物茶碗で2つしかない国宝の不二山が観れたのが大きい。冬の富士を思わせるその姿は茶碗の域を超えています。
雁取も、利休七哲マイナー三将wのひとり芝山監物の数少ない所持品を観れて良かったです。

サンリツ服部美術館

企画展「箱は語る 茶の湯情報学ことはじめ」
期間:9/25(火)~12月9日(日)
「茶道具を収めた箱には、その道具が辿ってきた歴史が刻まれています。銘の由来や以前の持ち主など、数多くの情報を箱から読み取ることができます。また、箱そのものだけではなく、仕覆や風呂敷からも大切に伝えてきた人々の想いを感じ取ることができますし、中に収められた文書からはより詳しい来歴を追うことができます。」(公式より)

唐物茄子茶入 銘 紹鴎茄子
大名物。武野紹鴎より弟子の辻玄哉に贈られた茶入。細口茄子とも呼ばれる。
辻玄哉は京の商人で連歌師でもあった人物。また利休の師ともされている。
黒楽茶碗 銘 雁取 長次郎作
利休が七哲の芝山監物にこの茶碗を贈ったところ、お礼に雁が贈られてきたところから銘が付いた。
芝山監物は豊臣秀吉の家臣ですが、伝わった事跡は少なく、所持した茶道具もうほとんど残っていません。しかしながら利休の書状では芝山監物宛のものがもっとも多く残っており、また現存する利休最後の書状は監物宛との事で2人の仲は深かったようです。
大正時代には井上世外(維新の元勲・井上馨)が所持。
所有者が代わる度に箱が作られ、展示ではどんどん大きくなっていく七つの箱がみれました。
白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作
国宝。2点しかない国宝の和物茶碗のひとつ。上部が白く下部が黒い景色を富士山に見立てたことから銘が付いた。また光悦本人が「不二山」と蓋表に書いたとされ、これが作者が箱書き付けした「共箱」の最初とされています。
竹茶杓 北向道陳作
利休の師とされる北向道陳作の茶杓。利休の前の時代の人物だが中節の一般的な竹茶杓で、幕末の茶会に使われた事が解説されていました。
和物茶碗で2つしかない国宝の不二山が観れたのが大きい。冬の富士を思わせるその姿は茶碗の域を超えています。
雁取も、利休七哲マイナー三将wのひとり芝山監物の数少ない所持品を観れて良かったです。