多様な世界、印度について白・黒と考えた。

2022-08-14 13:38:30 | よのなか

本日、豪徳寺に行く用事があり

ランチにはちぃっと早い11過ぎで用事が終わった。

当然、昼から呑みますギアに入っているわたしゆえ、

ネットで調べ済みの11時に開店予定の意中の蕎麦屋に足を運ぶと、

なんと準備中で、

暑いなか、迷える羊ならぬ禁断症状がでる迷える酔っぱらいとしては、

開店中の店を30歩範囲で射程に入れ、

開店している店の前でアルコールがあるのかどうか、

メニューを物色していると店内から少し哀しげな若き30代の印度人店員が、

店のドアを開けわたしを誘った。

 

どうぞ、と誘われるままに店内に入る。

 

従たるランチメニューは

タンドリーチキン付き2種カレーと店頭メニューから決まっている。

さて、主たるランチメニューのアルコールは生ビールのみ。

他にアルコールはと尋ねると、アルコールメニューが出て来た。

ホッピーがあるではありませんか!


そもそも、週末昼飲みはホッピーですよ。

 

メニューには、

ポッピーセット(白•黒)500円

中(焼酎)350円

外(ホッピー白・黒)300円

まぁ、リーズナブルじゃないですか。

 

「ホッピー黒」と頼むと、

ホッピー黒と、氷も入ってないジョッキを哀しげな若き印度人が持って来た。

おお、おおっ、ホッピー黒とはこういうこと、なんだ。

自分の油断を恥じた。

 

すみません、丁重に謝罪し「ホッピーセット」と言い直して頼んだ。

哀しげな若き印度人は、ホッピー白を手にしてテーブルに置いた。

おお、おおおおっ、ホッピーセットって、白と黒のセットなのか!?

自分の油断を恥じた。

ここは、片言しか通じぬ日本の豪徳寺の印度なんだと悟った。

 

やさしく、日本では、普通、ポッピーのセットとは、

ポッピーの外(そと)と中(なか)でセットと言っているのだが、

ここではセットは、白と黒なんだね、と。

哀しげな若き印度人は、セット(白•黒)のメニューに書いてある箇所を指差した。

おおおおおおっ、ゴメンなさい、わたしの読解力のなさを恥じ呪った。

 

では、中(焼酎)のメニューを指差すと、

哀しげな若き印度人は、それはないと言う。

 

そして、

 

グラス

ジンロ  350円

いいちこ 350円

二階堂  350円

 

とメニューに書いてある箇所を指し、

これならあるよ、と言う。

 

ポッピーは白黒、両方揃ったが、

いいじゃないか、これで。

外と中でポッピーが呑める。

 

ジンロを頼むと、

なんとビアジョッキに氷となみなみとジンロの入った

いわゆる、わたしが言いたかった350円の中(なか)が豪華に運ばれた。

 

ここで、めでたし、めでたし、で終わりで良いのだが、

 

厨房で調理していたと思われる中年の店長らしきなる人物が

わたしの傍でわたしを睨んでる。

 

印度の方なので、いや実は、印度かパキスタンか、ネパールなのか、

はてさて、国籍を確認をしたわけでなく定かではないのだが、

店長なのかさえ確認してないのでわからないまま、

その方の人相ゆえ睨んでるいるのかどうかさえもわからず、

すべてわたしの主観的解釈なのだが、

この店では、ポッピーのセットとは白黒のセットなのかと、

呆れて笑って尋ねると、その店長らしきなる人物は無言で立ち去り、

厨房で、先ほどの哀しげな若き印度人(実は主観、未確認である)に、

笑っているよと、話しているのが耳に入った。

「いま、笑っているよ」と言いましたよね、と確認をしたわけではないので、

定かではないのだが。

確認したわけではないが印度人らしきふたりは、

別に、あの客は怒っているわけじゃない、

なぜなら、笑っているよと、言っているかのようだ。

 

豪徳寺では、この国の当たり前なんて通用はしないんだ、と。

 

ポッピーだけ白黒と2本あるので、

もう一杯は、二階堂を追加注文した。

ビアジョッキに氷となみなみと二階堂の入った

いわゆる、わたしが言いたかった350円の中(なか)が豪華に運ばれた。

 

 

 

タンドリーチキンセット 1200円

ポッピーセット(白•黒)    500円

ジンロ           350円

二階堂           350円

注文は以上で      2400円

 

の計算なのだが、請求されたのは、2700円でした。

 

300円多く上乗せされた。

印度マジックか、印度ジョークか、印度ペテンか、

明細を貰い確認をしなかったわたしを恥じた。

そもそも印度人かどうかさえも確認していない。

 

しかし、さらに、わたしは、そこで、インド料理から、

印度独立の父、ガンジーへと想いを馳せた。

 

非暴力=ガンジーの方程式を単純に信じていたが、

 

実は、ガンジーの言葉には、

「わたしの信念によると、

もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、

わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。

インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、

わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。

しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、

許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。

しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、

罰をさしひかえ、許しを与えることは、

罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。」

とも語ってもいる。

 

わたしは、ガンジーのすべてを知らない、

この言葉だけ拾っただけだ。

 

この300円は、罰か、許しか、

はてさて、暴力だったのか。

 

おお、ガンジー。

 

恥いるだけのわたしも恥いらなければならない、

と思った。

 

ここは豪徳寺、印度由来の曹洞宗、

只管打坐(しかんたざ)、ただただ、ひたすらに坐禅すること。

 

気軽に足を踏み入れるのに、戸惑わざるを得ない場所なのだった。

 

大袈裟な!

 

瞑想ならぬ迷走、いや、酩酊。

 

だから、印度人かどうか確かめないと、

印度にはたどり着かないし、

印度にもさかのぼれない。

 

 

 



コメントを投稿