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羅漢さんの托鉢日記

私の勤める、葬儀社羅漢では、お客様お一人お一人を訪問する、営業方法をとっています。これを托鉢と称します。  

戦国時代の糸島―序章、怡土(いと)城と高祖城―

2008-11-16 10:10:06 | 戦国時代の糸島



ここに糸島新聞社発行の一冊の小説がある。
20年7月1日初版の『怡土・高祖城落城記』
著者は岩森道子さん。
帯に、“行間の随所にうかがえる平和へのメッセージは、読むものに共感を与えてやまない“
と紹介されてある。
もうひとつの悲話―原田の姫―で紹介した、高祖城最後の城主原田信種の長女、輝姫を語り手として、
高祖城の繁栄から落城までがつづられている。

現在、前原市高祖にその跡はある。(怡土城跡)
怡土城と高祖城はよく混同されることもあるようですが、
『戦国糸島史』(糸島新聞社発行、中野正巳著)によれば、
天平勝宝八年(786年)唐から帰った吉備真備(きびのまきび)が、孝謙天皇の命令により工をおこし、
九年かかって築いた太宰府の外城である。
怡土城は全く大陸式のもので、今の高来寺、千里、飯氏、徳永、女原,上の原、谷など九ヵ村におよび、
その周囲を土塁で囲み、山頂にその本丸がある。
時代はくだり、筑紫より高祖に移った、原田種直(平家の悲話―唐原の里―で登場する武将)から四代目の
種継が、建長元年(1249年)にいたり、荒れはてた怡土城の一部を利用して築いたのが高祖城である。

この糸島の地を托鉢するとき、時折、戦国史ゆかりの場所に出会う。
戦国糸島の主役,原田氏の興亡を追いながら、紹介していけたらと思います。

「 原田氏のおこり」についてはこちらです。

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