目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-10-31#3

2009-11-18 09:40:53 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

October 31th, 2009 ©NWFFACIM



“Your confusion of sacrifice and love is so profound that you cannot conceive of love WITHOUT sacrifice.”

〔貴方は余りにも、愛と犠牲を取り違えてしまっているので、貴方は犠牲の無い愛について考える事が出来ません。〕

「私は妻をとても愛しています。 だから友達と余り出歩いたりはしなくなりました。 昔ほど飲み歩く事もありません。前よりも家にいる事が多くなり、家の周りであれこれする事が多くなりました。 最近は庭仕事をしたり、家の修理をするのも結構楽しいです。 結構そういう才能もあったみたいです。」  

こんな感じで愛と犠牲について同時に語ったりするのです。

貴方の使っているアイディアは、「結婚の中で犠牲が払われている、愛と犠牲が同時に成り立っている。 自分の自由を放棄しなければならない。(これは犠牲です)」などです。

“Your confusion of sacrifice and love is so profound that you cannot conceive of love WITHOUT sacrifice. And it is this that you must look upon; sacrifice is ATTACK, not love.”

〔貴方は余りにも、愛と犠牲を取り違えてしまっているので、貴方は犠牲の無い愛について考える事が出来ません。 貴方はこれを見つめる必要が有ります。 犠牲は攻撃であって、愛ではありません。〕

伴侶の為に(自分にとって)価値のあるものを犠牲にしていると考えるのは、意地悪な考えです。 それは愛ではありません。

もし本当は不平があるのに、貴方がそれらのものを犠牲にして「平和を保っている」、愛し合う家族の肖像に見える少しのの調和を作っているなら、それは意地悪な事です。 それは愛ではありません。

しかしそれでも愛はリアルなのです。 そして愛の関係が愛に相応しい場所です。 関係の中の愛が文明の礎、社会の基礎なのです。

だから、見せ掛けの愛(愛を装っているもの)と犠牲の正当化を放棄して、本当の愛を求める必要があります。 何故ならリアルな愛が、物事に新しい秩序をもたらすからです。 それは、貴方が自分の独立を放棄して父と繋がったとき、より広い秩序(宇宙的秩序/成就/救済)を発見する事と同じです。


これらの言葉は下記にも当てはまります。

“. . . it is this that you must look upon; sacrifice is ATTACK, not love. If you would accept but this ONE idea, your fear of love would vanish.”

〔貴方はこれを見据える必要が有ります。 犠牲は攻撃であって、愛ではありません。 もし貴方がこのアイディアを受け入れたなら、愛に対する貴方の恐れは消え去るでしょう。〕

そうすれば、貴方の結婚はより強くなり、コントロール(操り)は減ります。 あるいはコントロールを全て放棄できるでしょう。 そこには喜びと平和があり、隔たり無く躊躇無く犠牲無く共有された意味深さが有るでしょう。


“Guilt CANNOT last when the idea of sacrifice has been removed. For if there is sacrifice, as you are convinced, someone must pay and someone must get.”

〔犠牲のアイディアが取り除かれた時、罪は存続し続けられません。 何故なら、もし(貴方が考えている通り)犠牲が存在しているなら、誰かが失い、誰かが得る事になるからです。〕

(本当は犠牲の関係である)愛の関係は、誰かが失い(代償を払い)誰かが何かを得る関係です。

その様な関係は止める時が来ています。 その様な関係は(注目を失って、エネルギーを失って)小さくしぼんで死んでしまうべきです。 聖なる瞬間が起こるべき時が来ています。


貴方達は(特にスピリチュアルな人に顕著です)、自分の世界を見て「この世界は私の邪魔をしている」と言ってしまう傾向があります。

「この世界は私の平和を乱している。 この世界が私が真実を知る事を妨げている。」

こうして自分の世界を敵に廻してしまうのです。 貴方のスピリチュアルな成長を邪魔するものとして、世界を見てしまうのです。

だから、世界や宇宙が幻想であると言うアイディアに嵌ってしまうのは問題なのです。その様なアイディアを受け入れていると、世界から距離を置いてしまい、世界を自分のくびきとしてみてしまい、その様なアイディア(世界が自分の平和の邪魔をしている)を打ち破る事が難しくなるのです。こうして、貴方の真のヴィジョンが現すべきもの、それそのものを取り逃がしてしまうのです。

初めの内は、自意識と自己中心性への耽溺から抜け出るに従って、貴方は静かな場所に居なければいけないでしょう。 静寂を思い出す為に最初の内は、余り(貴方の世界の)刺激が無い所で過ごす必要があるかもしれません。 そうして注意(注目)の意味が解るように成らなければいけません。 何故なら静寂の中で貴方は意識であり、「静かに意識となる事が、注意の状態にある事」だからです。

初めの内はこれをしなければならないので、貴方は自分のスピリチュアルな求道と自分の環境の間に人工的な境界線を引いてしまっているように感じるかもしれません。

貴方は、スピリチュアルな目的を成し遂げる為に「自分を世界の中から引き抜かなければ成らない」と考えてしまうかもしれません。

しかし事実は、貴方のヴィジョン、貴方のスピリチュアルなヴィジョンは、全てに対するヴィジョンであるべきなのです。 誤った定義に色付けされていない、感情や怒りや恐れや罪に色図消されていない、世界や宇宙に対するヴィジョンを貴方は持つべきなのです。 {貴方は、その様なヴィジョンを自分が持っていると気付くべきなのです。}

そして「貴方のクリアな内的ヴィジョン」と「貴方が見ている全てのもの」が途切れなく続いていることを貴方が発見する時が来ます。 そこでは貴方の世界を貴方が抱擁しているのです。

貴方は自分の世界を物質的なものとして見る事を止めて、スピリチュアルなものとして見はじめなければいけません。 分離を見る事を止めなければ貴方は「自分の正しいマインドで意識するべきもの」を、犠牲にしてしまいます。 解りますか?


“. . . if there is sacrifice, as you are convinced, someone must pay and someone must get. And the only question which remains to be decided is HOW MUCH is the price for getting WHAT. “

〔もし(貴方が考えている通り)犠牲が存在しているなら、誰かが失い、誰かが得る事になるからです。 そのとき残されている唯一の質問は「何を得る為に幾らの値段を払うか?」だけです。〕

「人質に取られている」とは、この事ではないでしょうか? この事の何処に、リアリティへの/真理への/愛への意識的気付きがあるのでしょうか?  これはビジネスと呼ばれているものですね。


“And the only question which remains to be decided is HOW MUCH is the price for getting WHAT.”

〔そのとき残されている唯一の質問は「何を得る為に幾らの値段を払うか?」だけです。〕

これは精神的に複雑に見えるかもしれません。あるいは人によってはとても簡単に思えるでしょう。 いずれにしろ上の文章を自分の状況に当て嵌めてみると、余りハッピーな感情はいだけないでしょう。

だから(これは複雑な事ではないのですが)貴方はこれには余り気付いていたくないのです。

この状況(何を得る為に幾らの値段を払うか?)が貴方の自由と「持って生まれた権利」に対して不当な要求を突きつけていますが、貴方はこの気付きに対して居心地悪く思っており、簡単にはこれを認めたがりません。

もしこれ(犠牲/取引/ビジネスに対する葛藤)を認めることが出来れば、これを放棄する事は簡単に出来ます。  これは(犠牲は)本来魅力的ではないものなので、(犠牲の魅力は)自然と消えて無くなります。

そして、貴方が何かに価値を見出さなくなれば、貴方はそれを求めなくなり、それは貴方に取り付かなくなります。

さて私は貴方に何をしてもらいたいと言っているのでしょうか?

私が貴方にしてもらいたいのは、貴方が自分自身と一番シンプルに繋がる事です。出来るだけ真摯に(正直に)自分自身と繋がる事です。

何故なら貴方の中のシンプルなものが、貴方に聖なる瞬間を与えるからです。
罪や恐れに脅かされ、それらに打ち勝とうとしていない時、(貴方のアイデンティティ<主体性>を決定している父の存在を認める事無く)何者かに成ろうとしていない時、自分の中で見つけるシンプルな常識が貴方に聖なる瞬間を与えます。


この本(ACIM)を読んで、知的に複雑に考えすぎてしまわないで下さい。 貴方はシンプルに成って、物事がクリアに見えている場所から聖なる常識(と言ってみましょうか?)を意識的に使いなさい。

それは貴方の常識(Common sense)なのです。 それが貴方の成り立ちです。
それが貴方が今までずーと感じて来た事です。 しかし貴方はそれを今まで使ってきませんでした。

このようにして、この本を読み進め、聖なる瞬間について考え続けてください。 このように貴方の兄弟姉妹と一緒にいてください。このようにして自分自身と一緒にいて下さい。そして「聖なる瞬間が持てるようになるにはどうしたら良いだろう?」と聞き続けてください。

貴方の中にはその能力(Capacity, 度量)が既にある事を覚えていてください。
それは貴方の中に既にあるシンプルな常識なのです。 貴方は既に素晴らしい存在なのです。 貴方は既に神の子供なのです。 貴方はいま既に神聖なのです。 いまここで、貴方は自分の神聖を体験するべきなのです。

貴方が「この世界」/「この宇宙」と呼んでいる、この場所が(貴方が体験するべき)天国であり創造なのです。 それをシンプルに体験するのが貴方の持って生まれた権利です。


I love you all.

次回お会いできるのを楽しみにしています。


A Course In Miracles (reference pages)8
Chapter 15 – Section – THE TIME OF CHRIST
1 Sparkly Book – p.372, Par.1, Last Sen. / JCIM – p.156, Par.2 Last Sen. / CIMS – p. 313, Par. 94,
Last Sentence.
Chapter 15 – Section – THE TIME OF REBIRTH
First Edition – p. 302, Par.3 / Second Edition – p. 325, Par.4


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行為は全て、無料で提供されています。 これは思慮深く、無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとは、その様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。



A Course in Miracles Study Group with Raj, October 31st 2009
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”

Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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