目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

10-02-13#3

2010-02-18 10:09:47 | はじめに
February 13, 2010 ©NWFFACIM

“There is no greater Love than to accept this”

〔これを受け入れるよりも偉大な愛はありません〕 受け入れるって何を? (リアリティです) 

“Reality is safe and sure, and wholly kind to Every One and Every Thing.”

〔リアリティは安全で確実で、全ての人/全てのものに対して完全に親切です。〕

これが「貴方が直面している全ての事」が貴方に示そうとしている事です。

しかし貴方の卑小な個人的な分離した自己感覚故に、「調和や平和を貴方に見えなくする」二分化(二極性/対立)の中で全てが体験されているのです。

しかし、それでも調和や平和はそこにあるのです。 貴方はそれを見る事を選択しなければいけません。 貴方の現在の定義群を確認し続ける事に固辞するのではなく。

“There is no greater Love that to accept this and be glad, for Love asks only that You be happy!”

〔これを受け入れて喜ぶ事以上に偉大な愛は存在しません。 何故なら、愛は貴方がハッピーである事だけを求めているのだから。〕

偽者のハッピーではなく、見せ掛けのハッピーではなく、貴方を動かすハッピー(幸福)です。

動いているハッピーです。深く広く、無限の光、浮き上がって喜びの涙になる。

〔何故なら、愛は貴方がハッピーである事だけを求めているのだから。〕 そよ風は貴方がハッピーである事だけを求めています。

「震えている葉」や「なびいている芝」と見えている「存在の動き」は、貴方がハッピーに成る事だけを求めている様に現れ、貴方の幸福となる全てを貴方に与えます。

“You have never given any problem to the Holy Spirit He has not solved for You. Nor will You ever do so.”

〔貴方が精霊に、それが解決できない問題を与えた事はありません。 その様な事は貴方には絶対に出来ません。〕

つまり貴方は、自分一人で問題を解決する事は出来ないのです。 しかし、これは素晴らしい事なのです。

貴方は自分だけで問題を解決出来るべきではないのです。 「存在」の全ては一体性(ひとつ)の中にあるのだから。

「存在」の全体感はブレンドする(各要素が混ざる)事の中にあります。 「存在」は家族的体験の中で、その全体を感じるのです。 貴方はそれを理解しています。


“You have never tried to solve anything Yourself and been successful.”

〔貴方が「貴方自身一人だけで何かを解決しようとして」成功した事はありません。〕

一回もありません。 これがよき知らせです。 しかしエゴにとっては悪い知らせです。 物事はその様(貴方が一人で何かを解決できる様)には働かないのです。 その様に物事が働いた事は一回もありません。 この世界はその様には出来ていません。


“Is it not time You brought these facts together, and made sense of them?”

〔貴方はこれらの事実を照らし合わせて、何故そうなのか今知るべきではないですか?〕

もう一度聞きなさい。

“You have never given any problem to the Holy Spirit He has not solved for You. Nor will You ever do so. You have never tried to solve anything Yourself, and been successful. Is it not time You brought these facts together, and made and sense of them?”

〔貴方が「貴方自身一人だけで何かを解決しようとして」成功した事はありません。 貴方にはその様な事は今後も出来ません。貴方はこれらの事実を照らし合わせて、何故そうなのか今知るべきではないですか?〕

貴方が、これらの事実を突き合わせたなら、それが意味している事は明解です。
貴方が「貴方一人だけでやろうとした事」はどれも成功しませんでした。 しかし貴方が「物事のあり方」と繋がっていた時には、何時も成功していました。 そして「物事のあり方」の中では貴方は権利を何も有してしません。

貴方が「物事のあり方」と繋がっていた時には、必ず問題が解決していました(奇跡がもたらされていました)。

だから「これらの事実を突き合わせて、何故そうなのか知りなさい」。

これはシンプルな簡単な事です。 貴方はこれらの事実を集めて、その意味を知るのです。

そうすれば貴方は「神の愛に逆らった解釈(貴方がしている様々なマインド行為)を止めるべきだ」と明確に解るように成ります。

貴方がするべき唯一の事は、それ(マインド行為=個人的思考)を止める事です。 ただ止めれば良いのです。


“This is the year for the application of the ideas which have been given You.”

〔今年は、貴方に与えられているアイディアを適用するべき年です。〕

注意してください。 これは「今年貴方が何かを成し遂げるだろう」とは言っていません。 貴方が「ACIM」を元に何かを達成する訳ではありません。

「貴方に与えられているアイディア」とは何でしょうか? それは「黙る事」です。

「静かになって私が神だと知りなさい。」

貴方は行動する前に躊躇しなさい、そして貴方自身(の理解)を超えて伸び出し「父よ!」と言うのです。 これが独立を放棄するという事です。  

「父よ、ここの真理はなんですか? 私は何をすれば良いでしょうか? お父さん、私は何を知るべきですか?」「父よ、どの様な行動を取れば良いですか?」 これらのアイディアを適用するべきなのです。
{「立ち止まって「父よ」と訊ねる事」、これが貴方の行なうべき「アイディア」です。}

貴方はこれらのアイディアをテーブルや「鉢植えの椰子の木」(その他)に適用しようとするのではないのです。

貴方は内的行動をする事によって、これらのアイディアを適用し、真理が体験出来る様に成るのです。

もしポールがこの時間に、彼の持っている全ての悩み(「自分は心配していて当然だ」という正当化)が自分の注意に全く値しないと考えていなかったなら、それを彼が認めてその様な(マインド上の)行為を放棄しなかったら、彼は私を聞く事は出来ません。

これが意味する事は「もし貴方が真理を知りたいと思うなら、真理を貴方から隠しているものを放棄しなければならない」です。 「真理を貴方から隠しているもの」とは、 貴方の意識を捉えているもの、貴方を夢中にさせているものです。 例えば、貴方の(ストレスを生む)感情や対立など。 それらには全く実用的な価値がありません。

ポールは私がこう言うのを聞いていますが、しかしセッションが終ってしまえば、彼はかなり高い確率で、自分の心配をもう一度拾い上げ、自分を慰める自己正当化に浸ってしまいます。 そうすると彼も「私が今夜言っている様な事態」に直面するのです。

彼はそうする事を止めるべきです。 何故なら彼も(貴方と同様に)真理を知りたいと望んでいるのだから。

何故なら、彼は本当に正気に返りたいと思っており、罪/病/死はもう体験したくないと考えているから。 

だから、
“This is the year for the application of the ideas which have been given You, for the ideas are mighty forces to be used”.

〔今年は、貴方に与えられているアイディアを適用するべき年です。 アイディアは使われるべき強力な力です。〕

我々は救世軍(十字軍)の事は言っていません。 これは、世界の中で物事を達成する為の偉大な力ではありません。

アイディアとは「静かになって神が全てだと知る事」です。

「躊躇して、独立行動/思考を放棄し、現在の貴方の孤児的マインドの外にあるものと繋がる」というアイディアが、リアリティを意識体験する事へのシフトをもたらします。 すると貴方の行動が変化して、防御的/強要的/強制的ではなくなり、「風の動きに対する気付き」に譲る様に成ります。 こうして貴方は神の意志を反映する様になります。

すると我々は「これが強力な力だ。 何故なら、これによって全ての幻想が消滅するから。 罪/病/死/怒り/恐れ/妬み/憎しみなどの全てが消滅するから。」と言うのです。

(この)アイディアは強力な力です。 これは何かに対抗する力ではありません。 これは幻想を吹き消してしまい、これ以上貴方をごまかせなくする真理の現れです。 これが強力な力です。


“The idea are mighty forces to used and not held idly by.”

〔アイディアは使われるべき強力な力で、それは放っておくべきものではありません。〕

アイディアは実施されるべき、実践するべきなのです。
チャンスを捕まえて、このアイディアを実行しなさい、何処でも。 スパーマーケットで、高速道路で。

チャンスを捕まえて「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、ここが天国なのは知っています、私はそれをもっと見たいのです、怒り続けて『天国の体験をブロックするもの』で自分のマインドを埋め尽くすのではなく。」と言うのです。


“They have already proved their power sufficiently for You to place Your faith in them, and not in Your denial.”

〔それらは(アイディアは)、自身の力を十分に立証しています。 だから貴方は(それらを否定するのではなく)それらに信心を与える事が出来ます。〕

貴方達は全員信心を持っています。 それが何処から来ているか言う事は出来ないかもしれませんが、しかしそれは貴方の中に存在しています。 それは、貴方が完全には証人を排除出来なかったからです。 


“They have already proven their power sufficiently for You to place Your faith in them, and not in their denial.”

〔それらは(アイディアは)、自身の力を十分に立証しています。 だから貴方は(それらを否定するのではなく)それらに信心を与える事が出来ます。〕

ここで注意して下さい。 次の様な言葉が出てくるかもしれないから。

「私なら、それらを否定する事が出来るよ。 否定できるとも。 この様な事は受け入れられない。 『リアリティは安全で確実で全ての人に対して完全に親切』? その様なアイディアに私の完全な信頼を与える事は出来ない。」

こうして貴方は否定したのです。 神の愛に逆らって解釈したのです。 こうして、貴方は「自分とリアリティの間にはだかるブラインド」に成っており、リアリティが体験できなくなっているのです。 

“This year invest in Truth and let It work in Peace.”

〔今年は真理に投資して。それを平和の内に働かせなさい。〕

「貴方が一瞬(聖なる瞬間)の中に引き入れる平和」の中で、真理を働かせなさい。

“Have faith in what has faith in You.”

〔「貴方を信じているもの」に信心を与えなさい。〕

「貴方を信じている人が誰もいない」と信じ切ってしまう瞬間があるかもしれません。 「神でさえ私を信じないだろう」と考えてしまう事があるかも知れません。

貴方がとても残虐に行動したので、神でさへ貴方を信じる事はできないと。

こうして、貴方はまた「神の愛に逆らって解釈して」しまいます。 そして貴方は貴方自身を信じてしまいます。

それを止めなければいけません。 私は(貴方自身の解釈を)止めなさいと言っているのです。

それは、神の静かな小さな声を聞く事を否定する、瞬間的知覚の変容を否定する、狂気の(痴呆の)沙汰です。

“Think what You have really seen and heard and recognize It.”

〔貴方が本当に見て聞いた事を考えてみて、それを認識しなさい。〕

つまり「リアリティを直ちに否定し続ける行為は止めなさい」と言う事です。

貴方が信心と希望を完全に亡くしてしまって、リアリティを否定している場面がある事は、私も知っています。

その場面では、貴方はその様なドラマを演じていたのです。 しかし、遅かれ早かれ貴方はそれ(ドラマと「リアリティの否定」)を放棄して、自分の信心をもう一度取り戻します。 少なくとも次のドラマが始まるまでは。

「貴方が実際に見て聞いた事を考えなさい。」 貴方が本当に知っている、貴方が本当に体験した真理を考えなさい。 そしてそれを認識しなさい。  つまり、それを否定するのは止めなさい。 これが「認識しなさい」の意味です。 

貴方が自分の神聖を認識するように、それを(貴方が実際に見て聞いた事を)認識しなさい。 それを割り引かず、それを矮小化せずに、ありのままに認識しなさい。

“Can You be alone with witnesses like these?”

〔この様な証人が居る時、貴方が孤独でありえるでしょうか?〕

貴方達は誰も、他者の行動によって侮辱されたり傷付けられる様な時間は持っていません。
そして貴方達は誰も、他者を自分の正しさや神の如き意志で修正する様な時間を持っては居ません。
聖なる瞬間を持つ以外の時間的余裕など貴方には有りません。 (自分の外側から)他者に干渉する余裕など貴方には無いのです。

そして貴方に腹を立てている他者に反応する様な時間も存在していません。 何故なら、腹を立てる事が「貴方が自分のマインドを使って自分を狂気の内に保っている方法」だからです。

貴方の平和を選べば、貴方は「貴方に腹を立てている人」へ違った対応が出来る様になります。

しかしその様な変化は「貴方が優雅な芝や震える葉を変えようと努力したから」起こる訳ではありません。

それは、貴方が「もの」と自己同一する事から、「そよ風」との自己同一、神が創造に成っている「愛の動き」との自己同一へとシフトした事によって起こる変化です。 

だから奇跡的な一週間を楽しんでください。 

次に貴方と一緒に過ごせる事を楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 

A Course in Miracles Study Group with Raj, Feb 13th 2010
The Northwest Foundation for "A Course in Miracles"

Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


2 コメント

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ありがとう (taka-ki)
2010-03-04 13:50:23
毎回rajの言葉に気付かされることが多く更新を楽しみにしています。翻訳も大変でしょうが日本語で奇跡講座の解説を見れる事にいつも感謝しています。このブログを見ている皆さんも聖なる瞬間を目指す兄弟と私は思ってますよ。頑張るという表現は違うかもしれないですが、頑張りましょう(^_^;)ゆっくりでいいので更新を続けてくださるようお願いします。
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taka-ki さん (岡上)
2010-03-04 17:13:26
こんにちは。
コメントありがとうございます。

現在もう一つのウェブで行っているRajの翻訳に専念しています。
http://rajpur.blog13.fc2.com/

理由は(少なくとも私にとっては)これが今必要とされている事だからです。 

RAJのACIM Studyはここ二週間お休みだったので、こちらのウエブの記事も最新のものです。

しかし最低あと数ヶ月は、もう一つのウェブを優先しますので、ご了承下さい。
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