目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-06-07 #3

2009-06-28 15:49:17 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx


“Perfect faith in each one” – in each relationship – “for its ability to satisfy You completely arises only from perfect faith in Yourself.”

〔貴方の自分に対する完全な信頼だけが、(各関係に対する)完全な信頼を立ち上がらせ、それらの関係が貴方を完全に満たす事を可能にします。〕

だから先週貴方がどう自分のマインドを使ったかが問題なのです。 貴方は自分を完全に信頼していましたか? それとも、自分を疑ってしまったでしょうか? そして自分に対して論争をふり掛けたでしょうか? 自分の頭を小突いてしまいましたか。 出来の悪い映画を見なかったにも関らず、自分の頭にネガティブな映像を映して、自分を憂鬱にしてしまったでしょうか? そして、あれこれと憤慨する満足感を満喫しましたか?

貴方は自分を完璧に信頼する事はまだ出来ていないかもしれません。しかし、自分を疑う事は止められるはずです。 貴方は、「何も上手く行きっこない!」と言うのを止める事が出来ます。 「経済が悪いから、この状況から抜け出す事は不可能だ!」と言い続けるのを止める事が可能でしょう?

以前、アフリカに派遣された二人の靴セールスマンの話をしましたね。一人は一足も売る事が出来ず、もう一人は物凄い数の靴を売り上げたのです。 どうしてですかと尋ねられた二人は、共に同じ答えを言ったのです。 「ここでは誰も靴を履いていないから」。

自分や他人を責めている事に気付いた時、そして好ましくない環境に対する自分のネガティブな感情を正当化するのを止めた時、例えば好きなポエムを朗読して、貴方が頭の中のお喋りを止めて静かになったなら、静かな平和が見つけられるでしょう。


貴方が平静であるとき、あるいは自分のマインドを「上手く」使って憂鬱から抜け出したなら、その時貴方は「父よ」と言えるでしょう。

その時、貴方は父と向き合うことが出来ます。貴方は「二つのステップ」の第一ステップをする事が出来ます。 「父よここの真理は何ですか? 私は真実が知りたいのです。」と尋ねるのです。 そして第二のステップは、静まって聞くこと、静かに耳を澄ませることです。 自分の中にがらんどうのスペースを保つのです。 自分の中に、父が入ってこれるスペースを十分に取るのです。 自分の中を、お喋りで満タンにする事をやめるのです。

この様にして、自分の中に入っていけば、必要な励ましが見つかるでしょう。 貴方は、父を自分の中に見る事が出来るでしょう。自分の中に精霊が見つけられるでしょう。 自分のガイドが見つかるでしょう。 貴方はそこに(自分の中に)貴方は励ます私を(イエス)見つけるでしょう。

ええ。貴方は時々、私に不満をぶつけ「ホントかよ!!それなら、これは/あれはどうなのヨ?」と言い、思考にまた囚われてしまっています。そして、自分のマインドを静かに保つ事が出来なくなってしまっています。 なぜなら、貴方は自分の言葉を聞くことに夢中になってしまい、私の声は聞こえなくなってしまうからです。

私は、貴方の注意が戻るまで待ちます。 そして、私は貴方を再度安心させます。 精霊は貴方を再度安心させます。 父は貴方を再度安心させます。 何故でしょう? それは、貴方がどれだけ不満に思っていても、神を捨てる事は出来ないからです。 貴方は、リアリティを変える事は出来ません。

だから、貴方の全体性は、貴方の安全は、貴方の変容は、貴方の目の前にいて、貴方に受け入れられるのを待っています。 これは絶対的に確かな事です。 これは原初から貴方のものだったのです。

“Perfect faith in each one, for its ability to satisfy You completely, arises only from perfect faith in Yourself. And this You cannot have while guilt remains.”

〔貴方の自分に対する完全な信頼だけが、(各関係に対する)完全な信頼を立ち上がらせ、それらの関係が貴方を完全に満たす事を可能にします。〕 

自分に対する完全な信頼 = 自分に対する疑いの不在です。 

〔罪が残っている限り、これを得る事は不可能です。〕

罪が残っている限り、貴方は静寂に成る事ができません。 これはつまり、罪とは貴方が常時作り出していると言う事を示しています。 罪は実在しないのです。 貴方が罪を作り続けるのを止めた途端、それは無くなってしまいます。 それは、貴方がマインドを忙しく使って罪を作り続ける事を止めたからです。 貴方のマインドが静かになり、罪が消えた途端、関係が貴方を完全に満たす事が始まるのです。


読み続けましょう。

“Perfect faith in each one, for its ability to satisfy You completely, arises only from perfect faith in Yourself. And this You cannot have while guilt remains.  And there will be guilt as long as You accept the possibility and cherish it, that You can make a Brother what He is not, because You would have Him so.”

〔貴方の自分に対する完全な信頼だけが、(各関係に対する)完全な信頼を立ち上がらせ、それらの関係が貴方を完全に満たす事を可能にします。罪が残っている限り、これを得る事は不可能です。貴方が兄弟を偽の姿に変えることが出来ると思っている限り、貴方が兄弟を偽の姿に変えたいと思っている限り、罪は消えません。〕

貴方は自分の不運を兄弟の所為にしたいと考えています。 貴方が全体性(健全)を体験出来ないのは、大会社の社長の{不正の}所為だと、貴方は思いたがっています。


貴方は誰か他者をスケープゴート(生贄)にしたいと思っています。 貴方の欠乏は他者の所為だと思いたいのです。 貴方は自分が独善的に行動する理由を他者に押し付けたがっています。 
「変えたいと思っている」これがキーフレーズです。 〔貴方が兄弟を偽の姿に変えたいと思っている限り、罪は消えません。〕


いいですか? 貴方の全体性(健全)を成り立たせている唯一のもの、それは貴方と父の直接の関係です。 父こそ、貴方の生得権(Birthright)の源です。 


貴方が、兄弟を偽の姿(貴方の良きものを盗んだ犯人)にしようとする事を放棄した途端、自分と自分の根源の関係を破ることが出来るものは存在しない事に貴方は気付きます。 すると、貴方は父に向き合い「父よ、私の真実は何ですか? 私は自分の健全(Wholeness)を体験したいのです。 私の健全が他者の行動には左右されない事を知りたいのです。」と言う事が容易に出来るように成ります。

「私は自分の健全(全体性)を自分に明白に示したいのです。何故なら、貴方はそれを私から遠ざけなかったからです。 私の兄弟姉妹もその実例を見る必要があるでしょう。 それを見れば、彼らが貴方に向き合い、自分の独りよがりな憤慨を放棄し、聖なる瞬間の為にスペースを作る、励みとなるでしょう。」

読み続けましょう。

“You have so little faith in Yourself, because You are unwilling to accept the fact that Perfect Love is in You.”

〔貴方は、パーフェクトな愛が自分の内にある事を受け入れたがらないので、自分を少ししか信頼していません。〕

誰も貴方に ‐ パーフェクトな愛が貴方の中にある事を‐ 教えなかったので、それが自分の中にあるという事を、貴方は簡単に否定できるのです。

皆がそのようなものは無いと貴方に教え、その様なものはないと貴方もそう考えたので、 人間の陰険な賢いエゴにならなければいけないと考え、自分の現在の行動は正当化できると貴方は主張したでしょう。 

しかし今、貴方は真理を知ったので、その様な行動を続ける必要はありません。 貴方は、自分を疑い続ける必要はないのです。

しかし、自分の中に愛がある事を発見する為には、貴方は不信心{疑い}を止めなければいけません。 そして、不信心を捨てた後に残ったスペースの中で、神に訊いて真理を知りたいと求め、自分の中に真理を迎え入れる必要があります。

“You have so little faith in Yourself because You’re unwilling to accept the fact that Perfect Love is in You, and so You seek without for what You cannot find without.”

〔パーフェクトな愛が貴方の内にある事を受け入れたがらないので、貴方は自分を少ししか信頼していません。そして貴方は自分の外には見つけられないものを、自分の外に求めます。〕

“I offer You My Perfect Faith in You”

〔私は、貴方に対する私の完全な信頼(信心)を貴方に捧げます。〕 

こんなシンプルな事なのです。

私の完全な信頼を捧げます貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に、貴方に。

私は全く疑いも抱いていません。 


“I offer You My Perfect Faith in You, in place of all Your doubt. But forget not that My faith must be as perfect in all Your Brothers as it is in You, or it would be limit- a limited gift to You.”

〔貴方の全ての疑いの代わりに、貴方に対する私の完全な信頼(信心)を捧げます。 しかし、忘れないでください。 貴方に対する私の信頼(Faith)は、貴方の兄弟に対する私の信頼と同等にパーフェクトなのです。 もしそうでなければ、私の信頼(信心)は限定されたものになってしまいます。 私の貴方へのギフトは限定されたものに成ってしまいます。〕

こう付け加えましょう。 「{もしそうでなければ、}それは(私のギフトは)喜ばしくない関係に発展してしまいます。つまり、特別の関係になってしまいます。」

私はその様な事を貴方に対しては行いません。 貴方も、その様な事を自分の兄弟姉妹に対して行わないよう、学んで下さい。


“In the Holy Instant We share Our faith in God’s Son.”

〔聖なる瞬間の中で、我々は、神の子供に対する信頼を分け合っています。〕

どの神の子に対しても、その信頼は同じです。

“In the Holy Instant We share Our faith in God's Son, because We recognize Together, that He is wholly worthy of it. And in Our appreciation of His worth, We cannot doubt His Holiness. And so We Love Him.”

〔聖なる瞬間の中で、我々{兄弟}は、神の子供に対する信頼を分け合っています。 何故なら、彼が(神の子が)完全にそれに値する事を、我々は一緒に認識するからです。 我々は彼の尊さを尊重しているので、彼の神性を疑う事は出来ません。 そして我々は彼を愛しています。〕

少し前のページで、貴方の本当の必要は一つだけだとと言いました。 その必要は、何かを「持っている、得ている」事として体験されると言いました。 それは欠乏の体験ではありません。

つまり、ここに{共同の信頼の中に}貴方は「得ている」自分を見つけるのです。


“In the Holy Instant We share Our faith in God's Son, because We recognize, “Together, that He is wholly worthy of it.”

〔聖なる瞬間の中で、我々は、神の子供に対する信頼を分け合っています。 何故なら、彼が(神の子が)完全にそれに値する事を、我々は一緒に知っているからです。〕 

それを(神の子が信頼に値する事を)我々が「一緒に」認識する事を、私は貴方に知らせているのです。 それは思考によって納得されるものではなく、一瞬にして自然に湧き上がってくる認識です。 我々はそれを(神の子が信頼に値する事を)皆で一緒に認識するのです。 

〔我々は彼の尊さを尊重しているので、彼の神性を疑う事は出来ません。〕

貴方は疑うことが出来ないだけではなく、疑う事さえしようとはしないのです。 それは疑い無い得ない事が明白なのです。

それを知る体験、その共同体験こそが貴方が「得る」ものです。 愛の現れ(Presence of Love)として存在する「必要」は、 愛を得てそれを差し伸べる(広げる)行為として体験されるのです。

何故なら、それ以外にするべきことは存在しないからです。 これが全体性(Wholeness, 健全)の体験です。

今週は、もっと{自分のマインドに対して}勤勉でいなさい。 そして、私が貴方の中で貴方を助けている事に気付いて下さい。 攻撃的に不信心(疑い)を用いる事しか出来ないと貴方が感じる瞬間、私が貴方を内側からサポートして、貴方を信心(信頼)に戻そうといる事に気付いて下さい。

疑いより真理の方が理に適っているのが貴方に瞬間的に判り、信心(信頼)の度量が貴方の中に湧き上がってくるのを、私はサポートし続けます。

出来るだけ多くの時間を、聖なる瞬間の為に使いなさい。 そして、神から離れて見える事柄は、全て修正されるべきだと悟りなさい。 貴方は(神からの分離がもはや起こっていない)修正された体験をするよう定められているのです。 

そして根気良く努力しなさい。 聖なる瞬間を呼び込み、それを育てるよう努力なさい。 疑いの使用を止め、父に向き合って、真理を知りたいと求めるのです。

独りよがりな憤慨が起こりそうになったら、それを認識し放棄しなさい。 それに注意をはらい続けるのは止めなさい。 そこから注意を逸らし、マントラを唱えるなり、早口言葉を何度も繰り返すなり、歌を歌うなりしなさい。

意味の無い言葉を繰り返すだけでも構いません。 ただ意識的に何か{憤慨から気を逸らす事}を言いなさい。 そうしている間、貴方は不信心を抱いていません。 そうしている間、貴方は疑いを使用していません。 そうしている間、貴方は問題が修正できる状況を提供しています、貴方が無知から解放される事を可能にしています。 貴方はそれを、いま体験する権利があります。


I Love You All.

来週もまたお会いしましょう。

5 コメント

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一部を修正しました。 (訳者)
2009-06-29 07:27:04
文章の一部を修正しました。

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Unknown (放蕩息子)
2009-06-30 23:48:52
文章を読ませて頂いてから、心の奥深くから湧き起こる神性に酔いしれています。
ありがとうございます。
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Unknown (訳者)
2009-07-01 08:12:53
放蕩息子さん。

ありがとうございます。

コメントもらえると、ウレシー。
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感謝 (ミラ)
2009-07-03 02:26:08
こんにちは この「目覚め」が紹介されてから、ずっと喜びと感謝で読ませてもらっています。今レッスン232です。毎日、毎瞬が、愛、愛、愛、、、ですね! 本当に有難う御座います。 どこに住んでいようとも、人類すべて兄弟!そして、今日は「信頼」の大切、と聖なる瞬間をたくさん取ることのラジさんの言葉にまたまた感動し、納得しました。 これからも宜しく  
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ありがとうございます。 (訳者)
2009-07-03 07:15:14
ミラさん、こんにちは。 

残り三分の一ですね。

私も今日レッスン232ですごす事にします。


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