目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-08-29 #3

2009-09-07 05:44:37 | Chapter 15
2009年8月 29 日 ©NWFFACIM


さて今夜の話を終えるにあたり、Manual for Teachers の最後に記されている文を読みましょう。

一番最後に2-3ページのセクションがあり AS FOR THE REST . . .4  (その他のことについて)と題されています。 色々と語られた後に、その他のことについて?

ここに出てくる文は、我々が今読んでいる事と関係しており、とても重要です。


“There is another advantage,—and a very important one,—in referring decisions to the Holy Spirit with increasing frequency. Perhaps you have not thought of this aspect, but its centrality is obvious. To follow the Holy Spirit's guidance is to let yourself be absolved of guilt.”

〔「精霊に判断を任せる頻度を増やす事」には、もう一つの重要な利点があります。この側面について貴方は十分考えて来なかったかもしれません。しかしこの事の重要性はハッキリしています。 『精霊の導きに従う事は、貴方を罪から免除します。』〕

そして罪にはいつも、「恐れ」という相棒がいるので、「精霊の導きに従う事」は恐れからの開放をも意味します。 そして罪と恐れを長く持てば怒りが起こるので「精霊の導きに従い罪から免除される事」は、貴方が怒りが無い所に行く事、貴方が怒りを使ってもみようとはしない場所に移動する事を意味します。

これこそがAtonement(贖罪)なのです。 これがカリキュラムの中心なのです。

{これは皮肉にも}これは、コースのTeachers Manualの最後の AS FOR THE REST という小さなセクションに記載されています。

この短い文が、Atonement(贖罪)のエッセンス(肝)なのです。 これが学習するべき事なのです。


“The imagined usurping of functions not your own is the basis of fear.”

〔自分のものでない役目を(貴方が)奪ったと想像していることが、恐れのおおもとです。〕

もし貴方が、自分のものでない役目(機能)を奪ったなら、それは恐れを生み出します。

それは貴方が “Father, I’d rather see it my way.” -「父よ、私は自分のやり方で見てみます。」と言った時に始まりました。 貴方が、「父よ、私が自分のやり方でやります。」と言って、自分の役目でない事をし始めたら、どうなるでしょう? それは、恐れを生むのです。 そして罪と(その後)怒りも生まれます。 それらを使って生命を生きるように成ってしまうのです。


(Rajは下記の文は飛ばして読みませんでした。)
“The whole world you see reflects the illusion that you have done so, making fear inevitable.”

〔貴方が見る全ての世界は、「貴方がそれを行って(父から分離して)恐れを確実にした」という幻想を反映しています。〕


“To return the function to the One to Whom it belongs is thus the escape from fear.”

〔この役目を、その本来の持ち主に戻す事が、貴方を恐れから開放します。〕
そして、罪と、怒りを使う事、怒りを感じる事からも貴方を解放します。

“To return the function to the One to Whom it belongs is thus the escape from fear. And it is this that lets the memory of love return to you. “

〔この役目を、その本来の持ち主に戻す事が、貴方を恐れから開放します。 そして、これをする事が、愛の記憶を貴方に思い出させます。〕

これを理解することが大切です。
これは貴方の(全ての人の)焦点をリアリティ(現実)に合わせる様なものです。
貴方が祈るとき、これを祈らなければいけません。 貴方が「二つのステップ」をしている時、貴方はこれ(役目をその本来の持ち主に戻す事)を求めているのです。

貴方が「父よ、ここの真実は何ですか?」と訊いている時、貴方が求めているのは、これなのです。

「父よ、あの意地悪な人の行動を止めて下さい。」、「父よ、私に素晴らしい給料の良い仕事を下さい。」。 これらは、貴方が求めるべき事ではありません。

貴方が求めるべき答えは、「貴方が満たされる事」がそれら(他者の行動の操作、素晴らしい仕事)より遥かに素晴らしいので、それらに対する返答は必要がないと示す答えです。


“To return the function to the One to Whom it belongs is thus the escape from fear.”

貴方が奪った〔この役目を、その本来の持ち主に戻す事が、貴方を恐れから開放します。〕

貴方が「父よ、貴方の意志がなされますように。」と言って、そして「父よ、貴方の意志は何ですか?」と言って、その後はただ答えが得られるまで聞き続けて、そのプロセスに自分を任せ、得られた答えを尊重し、それを思い切って全面的に受け入れるのです。

貴方は答えに対する熱望を抱えたまま、訊き続けるプロセスを困難と考えるかも知れません。 だからといって、このプロセスを中断して、他の人に答えを聞いてしまってはいけません。


“To return the function to the One to Whom it belongs is thus the escape from fear. And it is this that lets the memory of love return to you.”

〔この役目を、その本来の持ち主に戻す事が、貴方を恐れから開放します。 そして、これをする事が、愛の記憶を貴方に思い出させます。〕

これをすれば、貴方本来の役目が貴方の意識に立ち上ってきます。 これをすれば、貴方の不可侵性(不死身)が実感でき、自分をプロテクトし防御する必要は感じなくなります。 そして防御を保つことをしなくなれば、貴方である愛が溢れ出て貴方を定義します。 貴方の眼の前で。


“Do not, then, think that following the Holy Spirit's guidance is necessary merely because of your own inadequacies. It is the way out of hell for you.”

〔ですから、精霊の導きに従う必要があるのは、「自分がいたらないからだ」と考えるのは止めなさい。 精霊の導きに従うことにより、貴方は地獄から出ることができます。〕 

コミュニケーションとしての聖なる瞬間。 ここで読んだとおり、聖なる瞬間がAtonement(贖罪)の本質です。 これがACIMカリキュラムの最重要事項です。

貴方は一人で聖なる瞬間の中に入って行きます、精霊がインスピレーションとして与えた貴方自身の決意と共に。

そして貴方は熱意を持って「聖なる瞬間への決意に対して」努力を続けるのです。 アトーンメント(Atonement、贖罪)とは、その様に働くのです。 その様にして貴方は、自分の正気に返るのです。

これが、本当に目覚める為にする必要がある唯一の事です。 「A Course in Miracles」という、この本がどれだけ長かったにしろ、どれだけのページ数があり、どれだけの言葉が使われていたにしろ。

貴方は「上手く行かない事」をやり続けるのは止めなければいけません。 その他の声を聞き続けるのは止めなければいけません。

貴方は自分の声を聞き続けるのは止めなければいけません。 何故なら、貴方が神に真理を示して欲しいと訊いて答えを聞くまで、貴方が精霊に真理を示して欲しいと訊くまで、貴方の本当の声は聞こえないからです。 そして貴方の求めているのは、貴方の本当の声なのです。

そして貴方が(例えどれだけ時間がかかったとしても)聞く事を決意したのは、自分の本当の声なのです。 それは、その他の声から「その正しさの」追従(確証)を得られなかったとしても、貴方が聞き続ける決意をした、自分の本当の声なのです。

神は貴方が自分の本当の姿を知るよう求め続けます。  だから、貴方の正気である精霊は、貴方がその中に入りそれに頼る意志を見せたなら、それに答えられるよう何時でも貴方と共に居ます。

精霊は貴方の正しいマインドです。 精霊が貴方の中に居るは、貴方には父がおり、孤児ではないからです。  そして貴方は精霊と繋がります。 それは避けがたく、必然なのです。 何故なら貴方は、神聖なる自分である事を止めた事はないからです。

ハード・ワークをする意志を持ちなさい。

忍耐強く、親密でプライベートな仕事をやり遂げなさい。 この仕事とは、貴方が神の中に入って自分の神聖を確認すること、神の法がなされている場所に貴方が分け入ることです。 貴方が(そこで神の法がなされているという)その確証を得られるように。

そして、自分の外を見て、自分が正しい事をやっているかどうか判断し続けることなく、これをやりなさい。

I love you very much.

私は貴方を愛しているので、「間違ったものに依存し続けるのは止めなさい」と言わない訳には行きません。

次回もまたお会いしましょう。



All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」が行う行為は全て、無料で提供されています。 これは思慮深く、無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとは、その様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。

And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.

Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。