田舎にて

日々時の過ぎ行くままに、書き綴ります。

安否確認!

2009年11月19日 | 日記
と、上京している二人の娘に時々メールを打つ。
何も無ければ、したの娘は返信をよこさない
これはいかがなものかと思うが…

昨日、帰宅ラッシュの時間に東京メトロ銀座線で事故があった
夕飯を作りながら、テレビをつけていたらそのニュースが流れたので
少し心配になり、したの娘に「安否確認」とメールを送信

しばらくして
「ご飯食べれない」「はく」
と、返信が来た

調子の良いときは音沙汰無く
調子の悪いときは
コンナ調子

心配ばかりかけて
と、言おうものなら
勝手に心配して、と、言い返されるかも知れない

様子がわからないから
電話するが出ない
つながったかと思ったら、途中できれた

しばらくして、
「今電車で帰宅中、電波届かないの」
と、またメールが来た

寝込んでいようが
吐いていようが
電車で事故にあっていようが
こちらには
もう手出しできない

考えてみれば

自分とは別の個体
自分とは別の人格なのだ

そんな当たり前のことが
「心配」という感情に支配されると
見境なくなり、相手と自分が一体になってしまう

そして、自分が倣い覚えた方法で
アーしなさい
コーしなさい
と、電話の向こうでわめき散らすのだ

相手の情況や思いもわからずに

こうなると、もう、相手のことを考えているというよりも
自分の「心配」を持ってられずに、心配であるが故の自分の考えや思いで
相手を支配してしまおうとする

そんなことやったって
具合が悪いのは相手
治るのも相手

心配は自分にとっても、相手にとってもしんどいのかもしれない

たとえそばにいても、何も出来ない
遠く離れていても、何も出来ない
出来るのは、想いをもって思う事
それは、願うということかな

一人で生活して
いろんなことを経験して
いろんな目にあって
いろんなことをオモウ

来週、19歳になる下の娘も
2☆歳になる娘も
ここまで、大きくなりました

わが身を振り返っても
この年頃はいっぱいいっぱい悩んだな~
今思えば、絶えず、具合が悪かったような気がする

あんた達
イランところは似るんじゃないよっっ

YUUはよ、治せや~