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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

母を訪ねて3千里、マルコのお母さんはなんでそんな遠くに行ったの?

2004年12月16日 15時33分00秒 | 名作シリーズ
 母をたずねて三千里は、1886年、デ・アミーチスの作品。イタリアのジェノバの少年マルコが、手稼ぎに行った母を追ってアルゼンチンへ旅をするという物語だ。三千里というのは、イタリアとアルゼンチンの距離である。
 さて、なぜマルコの母は遠いアルゼンチンに渡ったのかというと、何のことはない、19世紀のヨーロッパでは移民は一般的な出来事だったのだ。移民と縁の薄い日本に住んでいる僕らには実感がわかないが、19世紀のヨーロッパではあたりまえのように移民が行われていた。それは主に、ヨーロッパから南北アメリカやオーストラリアへの移動だった。
 移民がさかんになった背景には、農業革命と産業革命がある。
 農業革命は、コロンブスによる新大陸の発見以降、段階的に進行したもので、新大陸からの安価な穀物の流入が農産物の価格を下落させ、小規模経営の農家が没落して農業の大規模化・効率化がすすんだことをいう。ヨーロッパの食糧事情は大幅に改善され、人口が飛躍的に増えた。マルサスが著書「人口論」でこの人口増加に警鐘を鳴らしたことはよく知られている。
 産業革命は説明の必要はないだろう。ここでは、蒸気船と蒸気機関車の登場を取り上げる。19世紀にはいると、1807年にフルトンの発明になる汽船が登場し、1825年にはスティーヴンソンの発明による蒸気機関車が登場した。蒸気船と蒸気機関車の登場は、人類の移動能力を質量ともに大幅に高め、距離に対する考え方を革命的に変えた。それまでは一週間かかった距離を、1日あれば移動できるようになったのだ。
 つまり、農業革命よって人口があふれかえっていたヨーロッパに、産業革命によってもたらされた高速・大量交通機関が、移民というはけ口をつくりだしたのである。
こうして移民の時代が幕を開けた。19世紀は移民の世紀だ。
 新大陸の側にも移民を呼び込む事情があった。新大陸には仕事があったのだ。産業革命をなしとげつつあるヨーロッパに対しての原料供給地の役割を担うようになった新大陸では、大量の労働力が求められており、それが移民を呼び込む役割を果たしていた。
 マルコと母親は、そうゆう時代を生きた。移民という歴史が、マルコと母親のように家族を引き離すような悲劇をほかにも数多く生み出したことは、想像に難くない。

1 コメント

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なるほど。 (kiku0205)
2004-12-30 01:22:07
テンプレート変えましたね。



更新されているたびに見させて頂いています。

次を楽しみにしています。
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