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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

10年そして半年

2011-09-11 20:33:16 | 雑記
一時
本日はまた真夏のように暑くなりました。

そして、本日9月11日は、アメリカ同時多発テロが起きてちょうど10年、また東日本大震災から半年という日でもあります。

2001年9月11日夜9時、私はNHK総合TVで【プロジェクトX】を観ていました。崩壊寸前だった姫路城を戦後再建、白鷺城の優美な姿を今に残した人たちのドラマに感動した後、そのまま【ニュース10】を観ていて、あの信じ難い映像を目にしたのです。
事件自体の衝撃もさることながら、長い年月と強い意志と高い技術を以て美しい建造物を後世に残そうとしたのも人間なら、思いや技術を一瞬にして容易く打ち砕いてしまうのもまた人間なのだ、と何とも言えない気持ちにとらわれました。
この二つの番組の対比は、当時けっこう話題になったと記憶しています。

天災とテロは全く別のものであることはわかっていますが、被害を受けた人たちにとって、それは等しく理不尽なる暴虐でしかありません。
自然災害は、そこに人間がいるからこそ「災害」となるのです。そしてまた、天災はすぐさま人災へと転化して、被害を拡大して行きます。

今年の大震災の後、私は『方丈記』を読み返していました。
この800年近くも前の書は、大規模な自然災害が頻発したその時代が戦乱の時代でもあり、政治的空白の中で多くの人が死に絶え、社会が荒廃して行く様を活写し、「今こそ読むべき一冊」に上げられることも多くなっています。
その中でも胸打たれたのは、無名の死者たち一人ひとりをきちんと「個人」として供養して行く或る高僧のエピソードでした。

胸に残るのは、世界一のビルを倒壊させて英雄になろうとした者ではなく、一人でも多くの人を救出しようと不眠不休で活動を続けたニューヨークの消防士さんたちであり、美しい城を甦らせ、世にとどめようとした人たちの思いであり、個々の死と向き合うことで彼らの「生」の価値を回復させようと、荒廃の地を歩き続けた人の姿です。
なすすべない暴力を前にして、人間に尊厳を取り戻すことが出来るのは、人間の意志、人間の力だけです。
今もどこかで、誰かの中にそれは存在し、働き続けている。私はそう信じます。
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