†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

今を大事に

2006-09-02 23:38:16 | Diary

テーマ:今を大事に生きる。

これは、私が2005年12月23日に書いた「タイムマシン」というメモである。
そこには記されていないが、ある言葉を・・・
「一年前の自分の考えは、その時真面目だったとしても実に馬鹿らしく見えるものである。」
これは、「一年前の自分の悩みなど馬鹿らしく見えるだろう。」という名言を拡張したものだ。
色々と考えさせられる。貴方は何を考えさせられるだろうか。
言葉そのままの意味もあるだろうが、他にも色々な意味がありそうだ。
ともかく、私の書いた以下のメモを読んでくれ。

2005/12/23
タイムマシンについて興味を持って調べた結果を記す次第。
なお、私はタイムマシン否定派である事を先に述べておく。
(存在しない方が良いと考えている。)

題名を見て飛びついた方もいる事だろう。
しかし、この文章は素人の私のものである事をご理解いただきたい。
私には専門的な物理学の知識など無い。
(かなり、簡単な解釈となっているが、理解しやすさを優先した結果である。)
(又、全て文章だが、実際の理論は方程式に満ち満ちている。)

まず、タイムマシンとは何かを考えよう。
無論「過去、未来へと自由に行き来が出来る機械」の事である。
当然、未だ発明されていない。

タイムマシンを作る為に必要なことは、
過去や未来へ行く為の方法である。
(戻る事は、過去に行ったのなら未来へ行く事と等価である。)

つまり、過去や未来へ行く方法が分かれば、タイムマシンを作る事も夢ではなくなる。
今現在、現実的な方法は見つかっていない。(そう思っているだけかもしれない。)

この方法を見つける上で重要なのは、この方法が存在しているかどうかだ。
存在しないものを探すほど愚かなことは無い。(丸い四角形を書くような話だ。)
では、方法が存在しない事が示せれば、タイムマシンを否定することが出来る。
(逆も又然りである。)

つまりは、具体的な方法は分からずとも、存在しているかどうかを示せれば(ひとまずは)良いという事だ。

基本的に、このような事象は肯定よりも否定の方がやり易い。
夢の無い話になってきたが、否定する事を考えてみよう。

否定の一番楽な方法は、パラドックスを見つけることだ。
(勿論、見つけたら回避法を探すことも重要だ。)
回避できない。つまり、解決不能なパラドックスが見つかれば、タイムマシンは否定される。

良く言われるパラドックスは、親殺しのパラドックスだ。
過去に戻って、自分の先祖を殺すと言うもの。
なぜ、パラドックスになるか。
例えば、
私が四、五十年前に戻って親を殺したとします。
すると、私が生まれる前に私の親が死んでしまったわけですから、
私の存在が否定されます。
親を殺した私は、現在に存在していたわけですから、
現在の存在が否定されれば、親を殺した私の存在が否定されます。
つまり、親を殺した私は存在しない事になり、
私の親は生き延びて、私を生みます。
すると、最初に戻って又同じ話を繰り返すというわけです。
これは、恐らく一番分かりやすいパラドックスでしょう。

しかし、これはタイムマシンを否定する事象では無い気もする。
実際にやってみなければ結果は分からない。
又、このパラドックスには回避法が考えられている。
回避法というよりも、世界の概念である。
一つとして、平行現実と言うものがある。
この世界には、沢山の並行する系列世界が存在しているというもので、
親が殺されて私が存在しなくなった世界は、そのまま進み、
私が親を殺すために出発した現在の世界も、そのまま進むというもの。
常に多数の系列世界が生み出されているとも言われる。
確かに、こう考えれば問題は無い。
ということで、このパラドックスはタイムマシンを否定しないと考える。
(この並行する系列世界は、平行する世界とも呼ばれ、パラレルワールドとも呼ばれる概念である。)

似たパラドックスとして、以下のもの考えられる。
例として、又私を出す。私は、過去に戻って私の母との間に子供作るというもの。
(私が女性なら、パラドックスは存在しない。)
このパラドックスと前のパラドックスとの違いは、
この子供の存在である。
子供の置かれた状況が理解できないというパラドックスだ。
これは、系列世界論で回避するのは難しい。
なぜなら、親のいない子供が存在しないという原則に抵触するからだ。
ただ、多元的な分岐世界の概念と、世界の終焉の概念を用いれば回避できなくは無い。
(又、「過去に戻ってタイムマシンの発明を阻害する」や、「過去の自分を殺す」というバージョンもある。)

分岐世界の概念とは、自然界は常に多数の選択を迫られており、
常に、全ての選択肢を選んでいるというもの。
ある瞬間に、一つの世界から無限の分岐する世界が生じるという。
この概念に、世界の終焉の概念を加える。
世界の終焉の概念とは、私の考えた概念であるが、
無限のループに陥った世界は、終焉状態となり、消滅した事と等価となるという事。
分岐世界の概念を組み合わせなければ、世界は瞬時に終焉状態に陥ってしまう。
ともかく、私が過去に戻るという部分で、分岐が考えられるから、
そこで、違う方を選べばよい。
そうでない方も、過去に戻ったが何もしなかったということも考えられる。
パラドックスを回避せずに、問題を解決する手段の一つである。
この方法は、前のパラドックスの回避手段(実際には回避していない。)としても有効である。

では、他の方法で否定事象を探そう。
有名で下らないものに、「未来から来た人間がいない。」というものがある。
これは、簡単に回避できる。
それを確かめる手段が無いと言うことだ。

さて、飽きてきた読者もいるだろう。
少し、違った話をしようか。

SF作家ラリー・ニーヴンが、『タイム・トラベルの理論と実際』というエッセイの中で、
面白い事を述べている。
勝手に内容を書いて良いのか分からないが、
【仮定】
1.歴史の流れが一本道である。(分岐世界の概念と平行世界の概念を否定)
2.時間旅行によって歴史が改変可能である。(パラドックスを無視)
【結果】
何度も何度も、時間旅行者による歴史の改変を経て、
最終的に、
「タイムマシンが存在せず、時間旅行者が決して現れることの無い歴史として安定する。」
と述べている。
確かに、面白い。
(The Theory and Practice of Time Travelという1971年の作品)
これは、タイムマシンを否定しているわけではない。

そういえば、分岐世界の概念であるが、もう少し詳しく。

正式には、量子力学の多世界解釈(エヴェレットの多世界解釈)というもの。
ちょっと難解なので、調べてみた。
物理的な相互作用が時間上にも及ぶとするもので、
過去で歴史の改変が起きると、素粒子レベルで世界の再構成が行われ、
結果としてパラドックスが起きないという考え方。
今、必要なのは先の説明で良い。
この説明は、シュレーディンガーの猫に対する
コペンハーゲン派やファインマンの解釈などと同様のレベルで話をするときに必要になる。
あまりタイムマシンの関係ない話になってきたので、この話はここで止める。

では、そろそろまともな否定論を述べよう。
非常に簡単なので、説明の必要すらない。
「もし時間を遡れるタイムマシンがあるならば、あってはならない矛盾(パラドックス)が想定される。」
「従って、タイムマシンは存在しない。」
これは、数学的な背理法を用いた否定法だ。
時間は一方通行で、遡れないという見方と等価だ。
この回避は、パラドックスを回避できるかどうかが問題であり、
解決不能のパラドックスが存在するかどうかという話を等価である。
つまり、現時点では肯定も否定も出来ない。
(パラドックスが有限個であるかどうかも分からないからだ。)

又、違った話をしよう。
素粒子が、タイムトラベルをしているという考えだ。
ファインマン(リチャード・P・ファインマン)が、ディラックの海の問題点を解決する考えとして示したもの。
具体的には、「反粒子は時間を逆行する正の素粒子である。」というもの。
非常に難解である。
ただ、実際にアメリカには素粒子を過去に送る研究をしている学者がいる。
この学者は、幼い頃に父親を亡くしており、その父親を助けたい一心で研究をしているらしい。

ただ、父親を助けることは出来ない。
なぜなら、この学者の話が本当であれば、
「父親の死」は、「タイムマシンの発明」の
原因となっている。
結果は、原因がなければ生じないから、
父親を助ける。つまり、タイムマシンの発明を阻害する事は、
先に述べた親殺しのパラドックスと等価である。
つまり、父親を助けることは出来ない。
(父親を助けるという選択をした世界は、世界の終焉を迎える。ゆえに不可能。)

では、御待ちかねの肯定する事象の説明に移・・・りたいが、悪いが無い。
いや、正確には、組み合わせれば出来ない事は無い。

未来へ行くこと(戻ることは考えない。)は、簡単だ。
相対性理論を用いれば良い。
難しそうに見えるが、全然難しくない。
「運動する物体は、時間が遅れる。」というもの。
簡単に言えば、光の速度(299792458m/s≒秒速30万㎞)に近い速度で運動する物体は、
外部とはかなり時間がずれる。
「ウラシマ効果」ともいう。
具体的には、
アンドロメダ銀河(アンドロメダ大星雲)までは、230万光年離れているが、
光速の99%の速度で航行する宇宙船に乗って、アンドロメダ星雲まで行って戻ると、
地球では600万年ほど経っているが、搭乗者には70年ほどしか経っていない状態になる。
搭乗者は70年かけて600万年先の未来へ言ったと見ることも出来る。
もっと分かりやすい例で言うと、宇宙戦艦ヤマトがある。
ヤマトは、常に光速の99.9%で航行出来るので、
これでイスカンダルまで行って戻ると、彼等はたかだが三、四日で戻ってきたようになる。
(少し、捻くれた見方ではある。)
あまり実用的ではない。
(ちなみにこの効果は微少ではあるが、実証されている。)
同じく相対性理論を用いて同様の効果を得る方法に、
ブラックホール近傍の高重力下における時間遅延を使うものもある。
これで、未来へ行く事は出来る。
(実際に、意味のあるほどの効果を得るのは難しい。)

次に、過去へ行く方法だ。
これこそ御待ちかねだろうか。
実は、悲しいことにスティーブン・ホーキング博士が、
因果関係に基づく「時間順序保護説」を提唱して否定している。
他にも、
「過去に繋がる閉時曲線が構成されそうになった場合の重力場の量子効果が・・・なんたらかんたら」
とか、非常に難解な理論で否定されている。
先に述べたとおり、私はタイムマシン否定派なので、これを信じている。
(十分に的を得た理論だからだ。)
しかし、納得しない方もいるだろうから、一応過去へ行く方法も述べる。

どれも難解だが、一番有名なものとしてワームホールを利用したものがある。
これは、カリフォルニア工科大学のキップ・ソーンが発表したもので、
基本的な原理は、
ワームホールの片方の穴を光速に近い速度で移動させると、
相対性理論により時間の侵攻が静止している穴(もう片方の穴)よりも遅延する減少を利用する。
ただ、この理論はホーキング博士が量子的ゆらぎを用いて否定しており、
未だ決着がついていない為、詳しく述べない。(昔、私はこの説を信じていたのだが。)

他には、宇宙のひもを利用したものがある。
(宇宙のひも自体は、簡単には理解できないものだし、私も理解していない。)
この説は、リチャード・ゴットによって発表されたもの。
良く知らないので、調べてみた。
宇宙のひもは、
「宇宙の初期に作られた可能性のあるひも状のエネルギー体」
で、これを二つ利用するらしい。
直線的に伸びた宇宙のひもの周囲は、膨大な質量によって空間が極端に歪められ、
くさび状に切り取られた事と同じ状態になる。
この空間を通過する場合に、切り取られた分だけ空間が短くなっている為に、
見かけ上は光速を越えた運動が可能になる。
この性質に加え、宇宙のひもが運動している場合に起こる時間遅延を利用して、
過去への移動を可能にしている。
無論、現実問題として今現在は不可能である。
細かく説明すると、あと20行は必要だ。
大変なので止める。

さてどうだろう。
これ全てを知識として吸収したならば、
貴方はかなりタイムマシンに興味があるのではないだろうか。
いや、興味の無い人間などいないだろう。
誰でも一度は、過去を見ただろう。
そして、一度ばかりか何度も後悔している事があるだろう。
また、if...「もし~」を考えたことがあるだろう。
そう。選択を変える事は、不可能でありながら魅力だ。
試しに、あの時、あの場所で、ああしていたらどうなっていたか。
やってみたいだろう。
もし~、もし~、もし~。
歴史に「もし~」は禁物だ。

タイムマシン。一度は使ってみたい機械。
そして、人類の夢。
莫大な富を生み出す事も、歴史を好きにする事も出来る。
そんな魅力のある機械。

しかし、我々は・・・タイムマシンに頼る必要は無い。
なぜなら・・・今、我々がこうして存在している事。
それは、過去のお陰だ。
過去を変える事は、現在の否定、そして自らの否定に他ならない。

もし、貴方が明日・・・朝起きたら・・・

This...this is dream...or...?!

過去に飛んでいるかもしれない。

そうしたら、この文章を思い出して適切に行動してくれ。
与えられた現在を、大事にすることだ。
たとえ、最悪の現在であっても。
思い通りの世界よりは、マシである。
正直、何でも思い通りなのは、飽きるぞ。

今と昔は、勿論考え方が違う。
精神的な成長をしたとでも言えばいいのか。

ある意味で、今の私と昔の私は別人である。
しかし、昔の私が居なければ、今の私は存在していない。
又、今の私の考えは、昔の私の考えを改変することによって形作られている。
つまり、少なからず昔の私の考えに影響されている。

これは、過去に影響されているという事だろう。
過去は現在に影響されないが、現在は過去に影響される。
つまりは、現在、自分がどのように生きているか、どのように考えているかは、
未来の自分に少なからず影響を与えるわけだ。

昔の私が言う、
「現在を大事にしろ」は、偶然このソースを発見した私の心に残った。
過去の自分が、現在の自分より正しい事を言っている事もある。
でも、もしかしたらただの解釈の差なのかもしれない。
その言葉の“解釈の仕方”が変わる事こそ、
過去から現在へと至る私が、何かを経験し、学んだ事を示している。

未来の私は、現在から未来へ至る過程に於いて、何を学ぶか。
それは、現在の私が決める事である。

未来の私は、現在の私とは異なった存在であろう。
その未来の私に対して、現在の私は責任がある。
現在の私は、過去の私を責められない。
過去、どのような出来事があったか、それが私にプラスだったか、マイナスだったか。
そういった事は、その時の解釈によって変わる。

「世の中には、幸いも禍も無い。考えよう一つである。」
有名な言葉だ。
私は、“考えよう”つまり“解釈”の変化こそ、
その人間の成長であると思う。

人間の成長は、積み重ねられた積み木の塔に近い。
途中、成長を誤れば、その先積み重ねられる全てが揺らぐ。
しかし、違う点もある。
非常に高くなってくると、下の方が見えなくなるのだ。
そこの磐石さが見えなくなる。
又、見方によっては、きちんと積み重ねられている事もある。

忘れてはならない。過去は消せない。
「禍も三年経てば用に立つ」
(ちなみに英語では、 Misfortune is good for something. 不運も何かの役に立つ。)

失敗を知らない者に成功は無い。

失敗は、出来る時にした方がいい。

今は、未来の為にある。

以上

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