四級猫       .      .

猫の目観察レポート、地球にて。(社会的地位、犬より下 ゴキブリよりは上)

9707ナチスの経済政策

2009年07月07日 | NEWS
シャハトの経済政策

元記事

シャハトが公共事業の費用を捻出する為に国債を発行せず、インフレを引き起こさない仕組みを考えた。

労働手形

労働力を保持している事業者が、労働力に応じて手形を発行。その手形は、自治体などが受け取り銀行が割引いてもらえる事になっていた。その金を使って公共事業を行ない、事業者に還元する。

労働手形は、ドイツ帝国銀行が保証していたので、国債と同じであるが、ドイツが保持している労働力に応じて発行される仕細みになっているので「裏付けのない国債」ではない。だから国民は、労働手形の発行にそれほど不安を感じず、インフレも起きなかった。

このほかにも租税債(債券を持っていれば納税の代わりになる)や、納品債(商品を生産した量に応じて発行される手形)など多様な信用創造をして経済を活性化させた。

シャハトはこの政策により、安定した、通貨を供給し、景気を回復した。

激しいインフレが起き、経済が滅茶苦茶になっていてもおかしくない状況だった。
しかし大したインフレも起きず、失業率は劇的に低下し、貿易も持ち直した。金本位制主体の世界事情から見れば、それは奇跡に近い状態だった。

シャハトは、信用創造を増やしただけでなく、金融の引き締めにも気を配っていた。
たとえば、軍事債であるメフオ社債は、1938年までに償還されるようにヒトラーにしつこく迫った。ヒトラーも根負けして、メフォ社債の償還合意している。

インフレを起こさず、経済を活性化させ失業無くしたことは、シャハトがやみくもに通貨もどきを作っていたのではなく、ドイツの経済状況覧極めながら、どの程度信用創造をするべきかを調節していたのである。

この職人芸こそがシャハトの真骨頂であり、ドイツを救ったものといえる。
ドイツの状態は「緊急事態」であり、いずれ金本位制に戻そうと思っていた。

そのために後年、ヒトラーと鋭く対立する。


シャハトは、次に外国からの借金の滅額に取り掛かった。
ドイツに債権を持っている国の代表を集めて「債権者集会」を開いた。
「このまま借金を取り立てれば、ドイツは破産する。ドイツが破産すれば、あなたがたの債権はすべて紙くずになる」と脅した。

「ドイツの貿易は不振となり、帝国銀行は外貨不足に陥っている.だからドイツは・外国債務の利子支払いを一時停止しなくてはならない」。
結局「支払い利子の一部を一時的に停止する」という合意が交わされた。

「トランスファー会議」外国から借りた金の返済方法を決めるためのもの。
ここでもまた「このままでは7月1日にはドイツは破産する」と宣言した。「利子の引き下げ」や「債務の減額」を訴えた。

商品を買ってくれたり、借金を滅額してくれる国には、ちゃんと惜金を払います。金の貸し借りは、開き直ってしまえば、借りたほうが強くなれるということがわかる。
そして、イギリスとフランスは初めから特別扱いするなどをして、債権国同士が結束しな
いようにした。まさに辣腕の交渉人なのである。

シャハトは英仏米に対し保護貿易を止め、貿易拡大を求めるよう求め、自由貿易を主張した。

輸入代金を「ドイツの商品券」で支払う新しい貿易清算システムを作り、各国は反発し、貿易量も一時減ってしまったが、金や外貨が無いのだからどちらにしてもやむを得なかった。結局新システムでドイツの輸出が振興された。

新システムは、各国の反発を招いたが、大恐慌で外貨が枯渇し貿易に支障がでていた東欧中南米の国々とは、物々交換での貿易は活発となり、植民地を持たないドイツは、独自のドイツ広域貿易圏を持つことに成功した。


欧米諸国は、ドル、ポンド、フランをはじめ軒並み自国通貨の切り下げを行なっている。
マルクも当然引き下げられるだろう、と国際経済筋は見ていた。マルクだけが高ければ輸出に差し支えがあるからだ。
しかしシャハトはマルクの切り下げは頑として行なわなかった。

あれほど輸出を奨励し、外貨獲得に命を燃やしていたシャハトにもかかわらず。

シャハトは、外貨獲得よりも外債の支払いを優先的に考えていた。
ベルサイユ条約の賠償金や、大恐慌前に受け入れた外国投資は、今、ドイツ経済を苦しめている。
これらの外債を支払うには、強いマルクのほうが有利である。

どれだけ輸出業者から要請があろうと、シャハトはマルクの切り下げには頑として応じなかった。

マルクを切り下げたいのはやまやまだった。輸出はドイツの生命線である。これが不振になれば、せっかく上向いたドイツ経済がまた下降するかもしれない。

そこをぐっとこらえて、強いマルクを維持したのである。
マルク創設当初は1ドル=4.2マルクだった。が、1ドル=2.46マルクにまでマルク高となった。
実際のマルクの価値はその半分くらいしかなかったのだが、公定レートは高いまま据え置かれた。そのため、ドイツの抱えていた外憤は半分程度になった。

ドイツ帝国銀行は、ドイツの輸入業者に対しては、マルク高になっても以前のレートでの支払いを求めた。そのため、マルク高になった分だけ、ドイツ帝国銀行の利ざやとなった。
この利ざやが、公共事業費や軍事費に充てられたのである。

シャハトは「ドイツは破綻する」とさんざん触れ回ったために、ドイツの賠償金支払いのための外国向け債券が急落し、ほぼ半額になった。

それを見たシャハトは、この債権を至急償還するように命じた。ドイツの抱えていた外債は半額以下になったのである。

「あなどられない程度の軍備は必要だ」

シャハトは、ナチスの再軍備にも手を貸した。
ニュルンベルク軍事法廷でも、まったく隠しだてしていない。
「相手にあなどられない軍事力を持っていない限り、まともな貿易はできない」

破綻寸前に陥っていた国家財政のなかで、どうやって軍事費を捻出したのか?

シャハトは再軍備に際し、メフォと呼ばれる幽霊会社を作った。
メフォは利率4%で5年満期の社債を発行し、ドイツの主要軍事メー力ー、クルップなど4社に分配した。このメフォ社債は、いつでも償還できるようになっており、ドイツ帝国銀行が保証していた。
このメフォ社債を使って、軍事メーカーたちは武器の製造に取り掛かった。

軍事メーカーが下請けに発注した仕事は、メフォ社債で支払われる。下請け業者は、メフォ社債を償還して現金化することもできる。

でも手元に持っていれば、年利4%の利子が受け取れる。ドイツ帝国銀行が保証している安心感もあり、すぐに償還せずに持っておくものも多かった。

その代わり、手持ちの資金を使うようになったのだ。
そのため経済は活気づき、政府は現金をあまり使うことなく、軍備を整えることができた。

「経済政策は科学ではない、ひとつの技術である。だから確固不動の経済方策や不変の経済法則について云々するのは誤りである。経済政策家は不可能に見えるものも可能にすることができねばならない」1935年3月のライプチヒのシャハト演説


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ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151) (新書) 前書きより

・・・ヒトラーが政権を取るや否や、経済は見る間に回復し、2年後には先進国のどこよりも早く失業問題を解消したのである。
ヒトラーの政策は失業問題にとどまらない。労働者には有給休暇、健康診断、福利厚生が導入され、郊外住宅も用意した。食の安全やアスベスト対策など国民の健康にも目を配り、世界で初めて「禁煙」を掲げたのはナチス・ドイツである。大規模店舗法を定め、公務員の天下りも禁止した。これらの政策はいまも現役であることに驚く。現在の日本が見習うこと大である。

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ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興
武田知弘著(2009年)
祥伝社新書

書評

この本のタイトルは「シャハトの経済政策」もしくは「ナチス初期段階の経済政策」が適当かと思います。

偏見から読むことすらためらう人も多いでしょうから・・・

ヒャルマール シャハトの名言です。
「資本主義的経済方法の応用無きいかなる社会主義的経済方法も考えられず、各経済階級間の社会主義的協調無きいかなる資本主義経済も存在しない。」

両方の考えの良いところを融合させないと経済は上手くいかないということ。

少子化対策、若年非就労者対策、天下りの禁止などです。

初期のヒトラーは大してユダヤ人を憎んではいなかったようです。
戦争でドイツ人が苦しんでいる傍らでユダヤ人が大儲けしていたりしたので、国民からの反感を買い・・・

ナチス党綱領
・すべてのドイツ人が結束する
・ベルサイユ条約の廃止
・ドイツ人を扶養しうるだけの土地を要求する
・血統的にドイツ民族の血をひくものだけがドイツ国民になりうる
・ユダヤ人などのドイツ国民でない者は外国人法の適用を受けなければならない
・国民の権利はドイツ国民のみが有する。公職から外国人を締め出し腐敗した議会を糾す
・ドイツ国民の生活を最優先する。国家に余裕が無い場合、外国人は国外に退去させる
・非ドイツ人のこれ以上の移民は禁止
・ドイツ国民は全て同等の権利を持つ
・ドイツ国民は創造的であるべし
・不労所得の撤廃、寄生地主の打倒
・戦争で得られた利益の回収
・トラスト企業の国有化
・大企業の利益の国民への分配
・老人社会保障制度の大幅な強化
・大型小売店の国有化、小規模経営者への支援
・公益目的のための土地の無償収用、地代徴収の禁止、土地投機の制限
・高利貸し、闇商人の追放
・ドイツの新しい憲法の制定
・無償の高等教育制度の制定
・母子の保護、少年労働の禁止、体操とスポーツを義務として法的に定める
・傭兵部隊の廃止と国民軍の形成
・非ドイツ人のマスコミ活動の禁止。公共を害する報道の規制
・公序良俗に反しない限りの宗教の自由。ただし公益は私益に優先する
・国家の強力な中央権力の確立

基本的に弱気を助け、強きを挫くというもの(弱者救済とナショナリズムがメイン)
不幸だったのは「強き」に属するのはユダヤ人が多く、アンチユダヤになってしまったこと。

ナチスの経済政策で成功したのは「減税する→国民が潤う→景気が良くなる→税金を払う人が増える→税収が増える」というもの。
財政が苦しい時に減税するのは苦しいことなので、やったとしても小規模なために、景気にも影響を与えないものとなってしまう。


※独裁体制のメリットとデメリット

独裁者が賢明なら、改革その他をスピーディーに行える。
独裁者が暗愚な場合は転げ落ちるスピードも半端ではない。

独裁体制は国家のシステムとして使いこなすには難しい。

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元記事

<第三帝国時代の生活充実>

[生活用品の充実]

労働者層は地位が安定し、昇進のチャンスにも恵まれ、失業がなくなり好景気がおとずれ、繁栄を喜ぶ空気がみなぎっていた。ドイツを取り巻く政情不安とは無関係のように国民の消費生活は充実していた。ラジオ、カメラ、テレビ放送もあり、台所用品、化粧品などの新製品購入に熱中した。 

[フォルクスワーゲン]

フォルクスワーゲンは10万台以上を市場に売り出す、と約束。30万人の購入希望者が現れて、購入のための積み立て証書を手に入れた。この時代にドイツの自動車保有者はイギリスよりも急速に増加し、自動車によるピクニックは当時もっとも好まれた休日の楽しみ方であった。

[持ち家政策]

各人に独立の家屋をもたせる政策で、集団住宅の建設と平行して個人の持ち家建築が奨励された。比較的若いサラリーマンの2-3年間の収入で割安に建てられる建築プランが建築雑誌で宣伝された。

[余暇利用]

若い労働者はヒトラー・ユーゲントによる余暇利用の機会を利用した。多くの若者は、この機会に生まれて始めての休暇旅行を楽しんだ。それは故郷から離れた地域でのテント生活が多かった。ヒトラー・ユーゲントによる集団生活は、若者たちの伝統的権威からの脱出のチャンスで、かれらは教師や牧師や父母の監督から抜け出して生活を楽しんだ。

[コカコーラ]

1929年にコカコーラ工場が建築されて、売れ行きが爆発的に増大。瓶詰め工場は1939年には50に達した。戦後の西ドイツでは1979年に105であった。コカコーラの卸売商会は1939年には2,000と増大している。

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元記事

2009年06月24日ヒトラーの経済政策

 所得税の累進性を高め最高税率を高めることで、政府税収が増え、必要な支出を行うことで景気は回復すると述べた。
 
 これについてたまたま昨日、書店で見つけた『ヒトラーの経済政策‐世界恐慌からの奇跡的な復興』(武田知弘著、祥伝社新書、09年4月5日初版第一刷、780円+税)にドイツの例が極めて詳細に出ている。
 
 小室直紀の『国民のための経済原論』のなかにシャハト博士の経済政策でハイパーインフレを退治、逆にアウトバーンといった公共工事で国民を富ませ、どんどん消費するようになることで、ドイツ経済を建て直し、ヨーロッパ随一の工業大国に発展したという記述があった。

 理論的には国民の消費を拡大すれば、景気は回復、拡大するのは分かっているが、どうやったのだろうと思っていたのだが、上記『ヒトラーの経済政策』に具体的に、詳しく出ている。
 
同書の前書き部分を引く。

ヒトラーが政権を取るや否や、経済は見る間に回復し、2年後には先進国のどこよりも早く失業問題を解消していたのである。

 ヒトラーの経済政策は失業解消だけにとどまらない。
 ナチス・ドイツでは、労働者の環境が整えられ、医療、厚生、娯楽などは、当時の先進国の水準をはるかに超えていた。
 国民には定期的にがん検診が行なわれ、一定規模の企業には、医者の常駐が義務づけられた。禁煙運動や、メタボリック対策、有害食品の制限などもすでに始められていた。
 労働者は、休日には観劇や乗馬などを楽しむことができた。また毎月わずかな積み立てをしていれば、バカンスには豪準客船で海外旅行をすることもできた。思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点をあてた場合、ヒトラーは類まれなる手腕の持ち主ということになるだろう。
 ドイツ国民も、ヒトラーやナチス・ドイツに対して決して悪い印象を持ってはいなかった。1951年に西ドイツで行なわれた世論調査では、半数以上の人が1933年から1939年までがもっともいい時代だったと答えている。
 1933年から1939年というのは、ヒトラーが政権を取って戦争を始める前までの期間である。つまり、戦争を起こさなければ、ナチス・ドイツは国民にとってもっともいい国だったということである。


 高い累進課税はもちろん、
 土地を担保に紙幣を発行(レンテンマルク)、
 企業の労働力を担保に政府保証付の手形(国債)を発行、
 政府が仕事を発注するなどした。
 大恐慌では貿易を物々交換で行うなど、
 ありとあらゆる手を使って国民を豊かにし、第一次大戦時の賠償金も支払った
 
 労働力を担保に国債を発行するというのは丹羽春喜教授らが主張するデフレギャップを担保に政府紙幣を発行するのと同じだ。
 
 これらの政策を実施するとした計画書を見て、イギリス政府が横やりを入れようとケインズに批判を求めたところ、この政策だったらイギリスでも大成功間違いないと逆に称賛したという。
 
 これからすると、いまの日本の財政当局というのは何をやっておるのだ、というくらいだらしがないと分かる。政治も本来は財政当局を使いこなすのが役割であって、財政当局の言いなりになっている今の政治家には存在意義はない。シャハト博士の「技」の前では日本政府など中学生みたいなものだ。
 
 労働者には長期休暇とリゾートや海外旅行が必要として取り入れられた制度もあり、豪華客船を政府が建造し、多くの国民に極めて安い費用で海外旅行を体験させている。同種の実例が多数紹介されているのも大変面白く、現代でも十分参考になる。いや現代の貧困な政府の政策よりもはるかに進んでいて、いまこそ取り入れるべき需要喚起策がズラリと並んでいる。

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