撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

JR東日本 八王子(2005.10.25) クハ201形 普通 東京行き

2021年10月08日 23時21分47秒 | JR各社
16年前にJR東日本 中央線 八王子駅で201系を撮りました。
この頃は画素数の小さいコンデジしか持ってなかったので、それで撮ってます。
1枚目は、八王子駅に停車するクハ201形です。
車番について記録していなかったので、不明です。



2枚目は、同じ車両を対向ホームから撮ってます。
中央快速線で運用されるため、中央特快などの種別表示を行うための大型電動幕式の種別表示器が前面に設置されています。



201系は、旧国鉄時代の1979年に試作として5両編成×2編成が登場し中央快速線で運用を開始しました。
国鉄初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)が採用され、電力回生ブレーキを装備しています。
また、基本的な構造は従来の通勤電車を踏襲していましたが、新系列であることをアピールすべく前面形状はデザインが大きく変化しています。
2枚の窓ガラスは左右非対称となり、前面の上半分の開口部には黒い鋼製パネルをはめ込んだブラックフェイスとなっています。
2個の前照灯は独立しており、前照灯の左側に運行番号表示器、右側に行先表示器が設置されています。
試作車は中央快速線での営業運転開始前に3両+7両編成に組成変更され、1983年の量産化改造で6両+4両編成に組成変更されています。
試作車の実績をもとに改良を行った量産車は1981~85年に登場し、関東では6両編成、4両編成が中央快速線、中央・総武緩行線、関西では7両編成が京阪神緩行線などで運用されました。

1986年のJRへの分割民営化により、関東の編成はJR東日本、関西の編成はJR西日本に引き継がれました。
JR東日本では武蔵野線、京葉線、青梅・五日市線でも運用されました。
首都圏の通勤輸送の主力として活躍してきた201系ですが、1996年に武蔵野線、2001年に中央・総武緩行線、2008年に青梅・五日市線、2010年に中央快速線から引退しています。
2011年に最後まで京葉線に残った編成の引退により、JR東日本での営業運転を終了しています。