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弾圧で人権を踏みにじられるウイグル女性たち

2021-05-19 20:36:15 | 日記

 

 

Newsweek日本版

最新記事  

中○の弾圧で人権を踏みにじられるウイグル女性たち 悲惨な虐待の実態と、必死の抵抗

2021年4月13日(火)14時47分

シミナ・ミストレアヌ(フリーランスジャーナリスト)

 

 

 

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新疆での弾圧の報道に携わる記者のグルチェフラ・ホジャ HOJA’S DAUGHTER FOR FOREIGN POLICY

 

<非人間的な弾圧が続いても黙り続けることなく、中○政府の強引な同化策に抗う力を発揮する>

 

中○の新疆ウイグル自治区で行われている少数民族弾圧は、この最悪の専制国家にしても最高に陰湿なものと言える。少なくとも2017年以降、収容所に送られたウイグル人などは推定で100万人以上。どこにでもある監視の目、強制労働や妊娠中絶・不妊手術の強制疑惑、宗教施設や民族社会の破壊、そして墓場荒らしの報告もある。

 

 

アメリカの前国務長官マイク・ポンペオは退任間際の1月19日に、中○政府の行為をジェノサイド(集団虐殺)と呼んで非難した。対して中○政府は、当然のことながらテロリズムと分離主義に対する正当な反撃だと主張している。

 

いずれにせよ、中○政府の最も許し難い政策で虐げられているのは女性たちだ。人権問題の研究者エイドリアン・ゼンツによると、同自治区政府は昨年だけで、出生率を下げるための不妊手術や避妊具の強制装着などに3700万ドルを投じた。結果、同自治区の出生率は前年比で24%も下がった。中○全体では4・2%減だから、異常な減少幅だ。

 

それでも女性たちはウイグル人の自由のため、そして自分自身が強くなるために誰よりも果敢に戦っている。運よく国外に脱出できたウイグル人やカザフ人の女性たちが公の場で自らの体験を語る例は、この1年ほどで急速に増えている。

 

19年にはウイグル人の女性アシエ・アブドルアヘドが初めて、強制収容所の存在を示す秘密文書を暴露した。これに続いて、他の女性たちも米議会や国連で証言し、報道機関の取材にも応えた。肉体的・性的虐待についても率直に語った。これで支援の輪が広がり、中○政府に対する圧力も強まった。

 

 

 

収容所の実態を告発したアシエ・アブドルアヘド AHMEDJAN KASIM FOR FOREIGN POLICY

 

アメリカは昨年、新疆ウイグル自治区での政策に関与する当局者に経済制裁を科した。強制労働の産物とされる綿製品やトマトの輸入禁止にも踏み切った。昨年10月にはドイツ主導の39カ国が国連で中○のウイグル政策を非難した。22年に開催予定の北京冬季五輪のボイコットを呼び掛ける人権団体もある。

 

女性たちは、ただ単に悲惨な体験を語るだけではない。自分の職業を生かし、ジャーナリズムや法律、文学、芸術といった分野で抵抗運動に弾みをつけている。「このジェノサイドにおいてウイグル女性は最も弱い立場にある」と言うのは、アメリカの首都ワシントンにいるウイグル人弁護士レイハン・アサト。彼女は新疆で身柄を拘束されている兄の解放を求めている。「性的ないし医療的手段と強制労働によって肉体的な自主性さえ奪われている」

 

 

 

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でも負けてはいない。アサトによると「生き延びた人や彼らの支援者が、❤️愛する人のために声を上げている。それは自分と自分の肉体の自主性に対する国家テロに屈することなく、社会における自分自身の力と立場と声を取り戻そうとするパワフルな女性たちの物語」なのだ。

 

犠牲者自らが働き掛ける

女性たちは政府によって虐げられたが、その苦しみを超越して闘い始めた。中○政府による弾圧と新疆の危機的状況の中で最大の犠牲者にされながら、同時にこの2つの問題について国際社会の理解を形成するための運動の先頭に立っている。

 

 

その1人、米テネシー州メンフィスで小学校の教師として働いていたギュルルイ・アスカルが新疆にいる親族の身柄拘束を知ったのは16年11月のことだ。ウイグル自治区の区都ウルムチに暮らす甥のエクラム・ヤルムヘメドから借りていた約1万ドルを返済するために彼に送金したら、その直後に彼は連行され、数カ月後には彼の兄弟も身柄を拘束された。

 

 

 

新疆で暮らす親族を心配する教師のギュルルイ・アスカル ASGAR'S DAUGHTER FOR FOREIGN POLICY

 

アスカルは甥2人の失踪をアメリカで公にしようと思った。同じ頃、義理の兄弟も身柄を拘束されていた。だが現地で暮らす母親とネット経由で話すと、余計なことはするな、黙っていろと言われた。

 

「私たちウイグル人は、いわば無力感を教え込まれている」とアスカルは言う。何十年も平和的な抗議活動を続けてきたけれど、何度も暴力的につぶされてきた。だからウイグル人の親は今、もう何もするなと子に教えるようになっている。

 

だからアスカルも黙ることにしたが、それが身体的なストレスとなった。眠れなくなり、ストレス性胃炎に悩まされた。18年4月には母とも連絡が取れなくなった。パソコンからスカイプで呼び出しても応答がない。高名な言語学者の兄も19年1月に身柄を拘束された。やがて親しい親戚がメッセージアプリのウィーチャットで伝えてきた。「親族の男はみんな連れて行かれた」

 

だがアスカルは絶望の底にいたとき、09年7月のウルムチ騒乱に際して立ち上がった女性たちの例を思い出したという。「あの救い難い状況の中でも、あの人たちは立派に立ち向かい、教えてくれた。弾圧あるところに抵抗ありなのだと」

 

そこで彼女は、もう黙っていられないと夫に告げた。「もう目を覚まさないといけない。協力してくれるジャーナリストを探そう」

 

報道から始まった支援

最初に接触したのはワシントンにいるラジオ・フリー・アジア(RFA)の記者グルチェフラ・ホジャ。ホジャもウイグル人で、新疆での弾圧初期から報道に携わっていた。

 

 

 

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中○政府は14年4月の鉄道駅爆発事件を受けて一段と弾圧を強め、17年には習○平(シー・チンピン)国家主席が新疆を囲む「鉄の長城」の建設を命じた。その命令を実行したのが、16年8月に自治区の共産党トップになった陳チェン・チュエングオ全国だ。収容所の建設を含め、弾圧の具体策を構じた張本人とされる。

 

ホジャは18年1月、収容所生活を生き延びたオムルベク・エリの証言とされるインタビューを初めて公表した。それまで疑念にすぎなかった中国政府のウイグル政策の実態が明らかになり、大きな転機となった。しかし、代償は大きかった。

 

 

インタビューが放送された日から、ホジャはウイグルにいる家族全員と連絡が取れなくなった。数日後、1本の電話がかかってきた。実家同士が近所で、今はアメリカに住むウイグル人学生(安全上の理由から匿名)からだった。「あなたのせいで、ご両親と親戚

20人以上が逮捕された。ご存じですか?」

 

「全てを失えば恐怖はない」

自分の仕事と、家族の命や安全のどちらを選ぶか。そういう精神的な重圧を感じたとホジャは言う。後に彼女は、RFAの同僚にも家族を連行された人がいて、それでも事態の悪化を恐れて黙っていた人がいることを知った。しかし彼女には沈黙という選択肢はなかった。「全てを失えば恐怖はなくなる」とホジャ。「だから思った。いいわ、私は自分の話を語るだけだと」

 

ホジャは、家族の救済のために奔走し始めた。18年7月には米議会で証言した。すると、同じような状況に置かれているウイグル人も次々と告発を始めた。それからしばらくして、ホジャの元には親戚の解放の知らせが届き始めた。今では母親とも話をすることを許されているが、母親はホジャから電話があるたびに地元の警察当局に報告しなければならないという。昨年5月、ホジャは国際女性メディア財団から「勇気ある報道賞」を受賞している。

 

ホジャに協力を求めたアスカルも報われた。消息不明になった家族についての話を複数の海外メディアが報じると、親族の1人がウィーチャットで連絡を取ってきた。

 

「入院している子たちのことで、よい知らせはある?」とアスカルは尋ねた。「入院している子たち」は、収容所に入れられた人を指す合言葉だ。アスカルはこのとき、甥の1人が解放されたことを知った。兄も数カ月後に解放されたが、甥のエクラムと義兄は今も収容されたままだ。

 

 

 

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収容所の暮らしはどんなものか。それを伝えるのは難しいが、絵で教えてくれた女性がいる。ソフィア(18年後半に中○を脱出したウイグル人だが、亡命先での在留資格が確定していないため匿名を条件に取材に応じた)は18年に、外国へ旅したことを理由にウルムチの収容所へ送られ、半年ほどを過ごした。外国への旅行者は、たいてい「愛国心を欠く」と見なされて収容や「再教育」の対象となる。外国に親戚がいる、当局が禁じたメッセージアプリをダウンロードしている、モスク(イスラム礼拝所)に通っているなども、取り締まりの対象となる行為だ。

 

 

 

ソフィアが描いた収容所の絵 DRAWINGS BY SOPHIA

 

 

ソフィアは半年間の収容所生活の断片を鉛筆画で残した。手錠と足かせをはめられたまま、収容所の中庭に引き出され、長い列を作って太陽を眺める人たち。監視カメラの下でシャワーを浴びる女性たち。尊厳を無視した身体検査。中身の分からない注射を打たれる被収容者。この注射を打たれた女性の生理は止まると、ソフィアは言う。

 

日常的な殴打と洗脳授業

収容所には厳しい日課がある。起床後はすぐ居室の検査がある。その間、同室の20人ほどの女性たちは敬礼をして「習シー近・チンピン平万歳!」を唱えなければならない。その後は中○語の学習や政治教育などの授業が続く。食事は蒸しパンと、汚いボウルに入った野菜スープ。ソフィアが見せてくれた1800人民元(約3万円)の領収書は、収容中の飲食代として解放時に支払わされたものだった。

 

18年に2カ月ほどウルムチの収容所に入れられていたズムレット・ダウートは、被収容者が殴打されるのは日常茶飯事だったと話す。ある晩、ダウートは糖尿病を患っていて満足に食事が取れない年配の女性にパンを分け与え、翌日も同じことをした。すると突然、職員2人に激しく殴られ、そのうちの1人に「おまえの神様が本当に偉大なら、助けてもらえよ」と言われたという。

 

 

 

2カ月も収容所生活を送ったズムレット・ダウート DANISH IMRAN FOR FOREIGN POLICY

 

パキスタン国籍の夫が、在北京パキスタン大使館やウイグル自治区の治安当局に訴え出たせいもあって、ダウートは18年5月に解放された。そして翌年、夫婦と子供3人そろってパキスタンへの出国が認められ、その後、渡米した。

 

出国前、ダウートは不妊手術を強制されたと言う。ウイグル自治区政府は、彼女には既に子供が3人いるため、これ以上産むことは許さないと主張したとされる。筆者はウルムチの自治区政府にファクスで確認を求めたが、回答はない。

 

 

 

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中○政府が外国人記者や外交官に対して収容所への見学や視察を禁止しているため、収容所から解放された人々の証言を客観的に検証することはできない。だが女性たちの証言は、解放された他の人々の証言や、ウイグル自治区の出生率低下、中○が「イデオロギー的ウイルス」と呼ぶ少数民族の排除を目的とした同自治区の政策と一致している。

 

もちろん中○政府は、こうした告発内容を強く否定している。子宮内避妊器具の装着や不妊手術、中絶手術の強要といった話は「悪意に満ちたスキャンダラスな意見」だと、自治区政府は一蹴している。

 

 

だが女性たちの証言によると、中央政府の指示を勝手に解釈した地方政府の当局者が身体的措置を強要している可能性がある。例えばカザフスタンに移住して結婚したグルジヤ・モグディンの場合だ。

 

17年9月、モグディンが新疆に帰郷すると、地元の警察から子供たちも連れてきて住民登録をしろと命じられた。この時点で彼女はパスポートも没収された。同年12月25日の深夜、警官が来て「検査」と称してモグディンを病院に連れていった。そこで妊娠が判明した。

 

すると当局は、モグディンに中絶を迫った。拒否し続けたモグディンは18年1月、兄弟と一緒に当局に呼び出され、中絶しなければ兄弟が責任を問われると言われた。やむなく、彼女は命令に従った。

 

数カ月後、夫がカザフスタン政府に介入を求め、モグディンはカザフスタンに戻ることを許された。だが兄弟は収容所に連行され、1年ほどつらい思いを強いられた。

 

新疆ウイグル自治区に暮らす女性たちは何年も前から、漢民族への同化を迫る中央政府のキャンペーンに抵抗してきた。しかし共産党政権の圧力は高まるばかりで、11年にはイスラムの戒律で女性に求められるベールや伝統的な長いドレスの着用を禁ずるキャンペーンが開始された。髪を編んだり伸ばしたりするのは時代遅れだという洗脳教育も行われた。「女性が顔を隠せば過激派扱いだ」と言うのは、アメリカの人権擁護団体「ウイグル人権プロジェクト」のズバイラ・シャムセデンだ。

 

 

 

人権団体のズバイラ・シャムセデン MUNAWWAR ABDULLA FOR FOREIGN POLICY

 

中○政府はウイグル人の同化を一段と深化させるために「ウイグル人女性の完全な再設計」を目指していると、彼女は訴える。例えば、ウイグル人を含む少数民族の女性を漢民族の男性と強制的に結婚させることだ。おまえの兄弟や父親を収容所から解放してほしければ、漢人の男性と結婚しろ。そういう論法だ。

 

もっと露骨な政策もある。夫が収容所送りとなった少数民族の家庭に漢民族の男性が入り込み、その女性を妻とし、家庭を乗っ取るなどの政策だ。既に100万件以上の実績があるとされ、中○政府はこれを民族同化の有効な手段と認めている。

 

 

 

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中○政府のウイグル政策をさまざまな角度から見てみると、家族から離され、寄宿学校に送られる幼児期から、結婚生活と老後まで、ウイグル人女性の人生があらゆる面で破壊されていることが分かる、とホジャは言う。死んだ後も女性は安らかに眠れない。ウイグル人その他の少数民族の墓地が掘り起こされ、遺骨が運び出された例もあるという。

 

ウイグル女性が闘える理由

このような抑圧に対して立ち上がり、反撃する力が、ウイグル人女性にあったのはなぜか。

 

 

弁護士のアサトによれば、いくつかの要因が考えられる。まずは、イスラム教徒が多数を占める他の社会に比べて、都会的なウイグル人の宗教意識は低い。だから、男女の関係はかなり対等だという。

 

「ウイグル人女性の立場は歴史的に男性と平等だった」とアサトは言う。「女性は家庭でも仕事場でも指導的な役割を果たしてきた。家庭では常に女性に発言権があり、母親はそれを次の世代に確実に伝えてきた」

 

また、多くの男性が刑務所や工場、その他の施設で拘束されているなか、ウイグルの女性たちは表に出て、家族のために戦わざるを得なくなった。「❤️愛は、世界で最も強力な権威主義国家への抵抗に必要な勇気を与える」とアサトは言う。

 

女性が戦いに費やしたエネルギーは、家族や見知らぬ人からの励ましの形で戻ってくる。女性たちの抗議に触発された教師アスカルは、母親の死を知った19年の暗い日々に、自分の双子の娘に慰められた。眠れない夜が続くなかで書いた詩は、ウイグル人コミュニティーで共感を呼んだ。好意的な反応で、アスカルは自己実現の感覚を得ることができた。

 

この記事で取材した多くの女性にとって、新疆ウイグル弾圧の最も不安な側面は、政府が同化を加速させようとしていることだ。その観点からすると、ウイグルの言葉、文化、伝統を伝えることはそれだけで、政府への抵抗となる。

 

7歳の娘ウイグリエ・ウェリを学校に送る道すがら、ミフリグル・モサはウイグル文化の話をする。娘は鳩を「ウイグルの鳥」と呼び、家庭菜園で育ち、ジャムに加工されるバラを「ウイグルの花」と呼ぶ。でもモサが暮らす場所はノルウェー。新疆にいる家族とは3年以上前から連絡が取れない。家族の絆が切られ、二度と会えないかもしれないという不安に、娘たちは怯えている。

 

娘たちが受け継いだものの中には、別離の痛みと文化の表現から生まれる力の両方が含まれる。ウェリが一番幸せなのは日曜日のウイグル学校で歌い踊るときだ、とモサは言う。家族は数カ国語を話すが、自宅では誰もがウイグル語を使う。

 

「この子がこの言語を好きになり、きちんと学び、使えるようになってくれたらいい」とモサは言う。「私には無理でも、あの子にはいつか故郷の町に帰る機会があると思う。そのとき、あの子が自分のルーツの言語で語り合えたらいいな。」

 

以上 From Foreign Policy Magazine

Newsweek日本版より。

 

 

 

👩世論に訴える「泣いているウイグル人女性の写真」がないことにまず驚いた。

わたしはウイグル人女性の性格を全然知らなくて、想像で、メソメソ泣いているイメージを書いてほんとうにごめんなさい‼️

👧ウイグル人女性たちがしっかりと顔を持ち上げ毅然とした態度で写っている。

 

👴語弊があるかもしれないが

その姿はあまりにもさわやかで美しい。

 

👨「ウイグル人弾圧」に必ず解決の糸口が見つかると思う。

微力ですがそれまで応援させてください。

👧日本人だからまた謙遜する!

必ず解決すると信じて、ウイグル人の皆さん、何とかしてその日まで生き延びてください‼️

👴生きてこそ‼️

👧生き延びてこの惨状をどうか伝え続けてください。

👩私たちはこの惨状に対して決してスルーしません。立ち止まって真剣に耳を傾けます。

はびこる沈黙の音を蹴破るためにも‼️

👴数年後、自分たちが『ジャパン・ジェノサイド』にならないためにも、

👨まず即刻日本を含め国際社会が団結して

『ウイグル人弾圧』を阻止するため

メディアのちからを借りて

当局へ「真摯で徹底した非難を続ける。」(エドワード・E・サイードの言葉より)

なぜなら、知ることこそわれわれの最大最強の武器だからである。

 

それではさっそく知ろう!

 

 

Y!ニュース

 

ウイグル「ジェノサイド」は本当だった:データが示すウイグル族強制不妊手術数

遠藤誉 | 中○問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

5/20(木) 12:24

 

ウイグル人たちの中○政府への抗議デモ(写真:ロイター/アフロ)

 

 

 

 

 多くのウイグル人が中○にいる親族友人が強制避妊手術を受けていると訴えてきたが、なかなか客観的データとして示されなかった。このたび不妊手術総数と出生率のデータを入手したので、ここに真実であることを示す。

 

◆とびぬけて多いウイグルの不妊手術総数割合

 まず単刀直入にデータから先に示そう。

 

 2019年の『中○保健衛生統計年鑑』(年鑑)(国家衛生健康委員会編集)には表「8-8-2」として「2018年各地区計画生育手術状況」というのがある。ここには中○の全ての省市自治区の「節育手術総数」が示されている。

 

 用語を説明すると「計画生育」というのは「一人っ子政策を推進するために中○政府が1978年から行ってきた計画懐妊・出産」のことで、一人っ子政策は2015年に撤廃され、「都市では2人」まで、「農村では3人」まで子供を産んでいいという方針に変わった。「節育手術」というのは、「子供を産まないようにするための手術」で、これは「産めないようにするための手術」と「懐妊した後に堕胎する手術」などに分かれる。

 

 年鑑の228頁目にある表「8-8-2」には「産めないようにするための手術の種類」が細かく分類して書いてあるので、表全体をこのページに示すと、文字が小さくなって非常に見にくくなるので、独自の工夫を試みて、「手術数の多いトップ10」の省市自治区だけを示すことにした。

 

 それも表「8-8-2」には、手術を施した絶対数のみが示されているので、各地区の人口との割合を見ないと、中○全土での「トップ10」は出てこないので、国家統計局のデータに基づき各地区の人口を調べ、その人口で割り算した「人口当たりの手術総数」という形で計算し直し、新たにグラフを作成した。

 

 図1

 

 

『中○保健衛生統計年鑑』と国家統計局データに基づき筆者が独自に作成

 

 

 こうしてグラフで示すと、新疆ウイグル自治区の「人口当たりの不妊手術総数」が、飛び抜けて多いことが一目瞭然だろう。2018年データなので、2015年の「一人っ子政策」撤廃後のデータであることを頭に入れておいていただきたい。

 

 解説は最後に回す。

 

◆「一人っ子政策」撤廃後に急減するウイグルの出生率

 次に『新疆統計年鑑2020』(新疆ウイグル自治区統計局と国家統計局新疆調査総隊が編集)から、新疆ウイグル自治区における出生率の推移を、全国平均(国家統計局データ)と比べて示す。新疆ウイグル自治区のは青線で、全国平均は赤線である。

 

図2

 

 

『新疆統計年鑑2020』と国家統計局データに基づき筆者が独自に作成

 2015年に「一人っ子政策」が撤廃されたため、全国平均を見ると2016年にわずかながら出生率の増加が見られる。その後増加してないのは、第二子を生む年代が一人っ子政策で育ったために二人以上の子供を持つ生活習慣に慣れていないことと、何よりも高い教育費や家賃(あるいは住宅ローン)などの必要経費に基づく生活設計で生きてきたので、新たな負担を好まないからだ。

 

 そういった全国的要因はあるとしても、「2017年から2019年にかけて」の新疆ウイグル自治区における出生率の激減は顕著であり、特殊な事情がない限り、このような現象を説明することができないのは、誰の目にも明らかだろう。

 

◆ジェノサイドは起きている

 その「特殊な事情」とは、「新疆ウイグル自治区ではジェノサイドが起きている」という現実以外には考えにくい。

 

 拙著『習○平 父を破滅させた鄧○平への復讐』で詳述したように、中○建国当初、王震は中国人民解放軍を引率して新疆地区でウイグル族を手当たり次第に殺しまくった。その数は30万人以上と言われている。習○平の父・習○勲が反対したので、それ以降、毛○東は新疆生産建設兵団という、主として漢族から成る準軍事組織を派遣して、生産を名目に新疆ウイグル自治区に漢族の入植を推進していった。新疆ウイグル自治区の「漢族化」の始まりだ。

 

 その後もウイグル族の暴動があると武力で鎮圧してきたが、1989年6月4日の天○門事件における武力弾圧が西側諸国の非難を浴びると、今度は農民工としてウイグル族を東海岸の各都市に強制派遣し、適齢期のウイグル族を漢族と結婚させる方向に持って行った。

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 2014年に深圳や福建など、出稼ぎに出た都市でウイグル族と漢族との間に紛争が起き、数々の暴動が発生して、当局は武力や大量逮捕による鎮圧を試みた。

 

 このころは習近平政権に入っており、特に2014年からは「国家城鎮化(都市化)計画」が始まった。農民工の賃金の高騰により、中○が世界の工場としての役割を終えつつあり、一方では拙著『「中○製造2025」の衝撃』に書いたように、中○は「組み立て工場プラットフォーム国家」から抜け出して、ハイテク産業国家としてアメリカにキャッチアップしようとしていた。だから全国的に都市に出稼ぎにきた農民工たちを出身地に戻そうという動きに出ていた。

 

図2からも分かるように、新疆ウイグル自治区も例外ではなく、2014年には出生率が上がっているのである。2017年にも上昇しているのは、新疆ウイグル自治区では、2016年から「一人っ子政策」撤廃が実施されたためだ。

 

 だというのに2018年と2019年に出生率が激減しているのはなぜなのか?

 

 それこそは4月15日のコラム<ウイグル問題制裁対象で西側の本気度が試されるキーパーソン:その人は次期チャイナ・セブン候補者>に書いたように「少数民族鎮圧の名手」である「陳○国」が2016年に新疆ウイグル自治区の書記に就任したからである。

 

 つまり、出稼ぎ農民工は出身地に戻すが、まさかウイグル族だけを東海岸の都市に残すわけにはいかない。しかしウイグル族を出身地に戻した場合、そこで自由を与えるとウイグル族が増え始め反政府色を強めていく「危険性」がある。そこで習○平政権は、「強制収容所」という形式を採用することにして、100万人から成る強制収容所を数多く作った。

 

 その上でウイグル族が増えないようにするために、男女ともに強制的に不妊手術を施したということになる。それは図1に示した不妊手術数の、新疆ウイグル自治区における異常なまでの数値の大きさを見れば歴然としている。

 

 それが「種族絶滅」というところまで至るか否かは別として、陳全国がチベット族弱体化に成功した程度までには、「ウイグル族という種族を減少させる」ことは確かだろう。

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 これを「ジェノサイド」と呼ばずして何と称するのか。

 

 拙著『習○平 父を破滅させた鄧○平への復讐』を執筆するに当たり、日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット会長を取材し、彼の吐露を記した。

 

 しかし、その時は、ここでお示ししたような、疑義の予知のない客観的データを入手することはできなかったので、私自身の言葉として「不妊手術を強制している」とは書いていない。科学的姿勢を貫くには、「証拠」を手にしない限り断定することを避けなければならないからだ。

 

 しかし今、本コラムで提示したデータを入手できたので、疑義が確信へと変わり、「ジェノサイドはある」という結論に達したことを公開する次第だ。

 

 

遠藤誉

中○問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中○生まれ。中○革命戦を経験し1953年に日本帰国。中○問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中○社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中○共産党建党100年秘史  習○平 父を破滅させた鄧○平への復讐』(3月22日出版)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習○平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中○製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛○東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中○建国の残火』、『ネット大国中○ 言論をめぐる攻防』など多数。

 

 

 

 

 

Newsweek日本版

 

拷問を生き延びたウイグル人家族が、20年の沈黙を破って語った恐怖

2021年3月30日(火)11時15分

ズバイラ・シャムセデン(人権擁護団体ウイグル人権プロジェクト コーディネーター)

 

拘束され人格が変わった妹のサリハ(右)。兄弟のアブドゥラザク(左)も1998年に当局に拘束され分派傾向を理由に終身刑に処された COURTESY OF ZUBAYRA SHAMSEDEN

 

<1997年2月のグルジャ事件で中国当局に拘束され、人生を狂わされたウイグル人の女性が重い口を開いた。中国は今もグルジャ事件や2009年のウルムチ騒乱などに関わったとして数百万人を強制収容所に拘束している>

 

彼女の手首や腕にある傷痕を見るたび、あの時のことを思い出す。

 

 

新疆ウイグル自治区の西部に位置するグルジャ市の警察署にある拷問部屋で、彼女はありもしない罪を自白しろと拷問され、傷から流れ出した血が床に滴った。彼女の名前はサリハ。私の妹だ。

 

24年前の1997年2月5日、グルジャで大勢のウイグル人が宗教弾圧や民族差別に抗議する非暴力デモに参加した。中国当局は暴力を使ってデモを弾圧し、多数を拘束した。

 

デモ参加者が拷問や不公平な裁判を受けたことは、複数の人権団体によって明らかにされている。処刑された者も少なくない。

 

当局はその後もデモの関係者を探し続けた。そして1997年10月。

 

当時23歳だった妹のサリハと20歳だった姪のサイドらは近くのニルカ県で行われた結婚式から帰ったばかりで、よそ行きのドレスを着たままにぎやかに談笑していた。

 

だが楽しい時間は長くは続かなかった。妹にとって数十年にも及ぶ悪夢が始まろうとしていた。

 

その日、完全武装した警察官5人が自宅に押し入ると、彼女たちを拘束した。父は、せめてサリハを少し休ませてやってほしいと頼んだが聞き入れられなかった。

 

警官たちはまるで彼女が殺人の指名手配犯であるかのように手錠を掛けると、警察車両に押し込み去っていった。母は卒倒し、父は立ち尽くし、それ以外の家族は恐怖と混乱に陥った。

 

グルジャの警察署に着くと、サリハは2階の取調室に押し込まれた。警官たちは、最初のうちは丁寧な口調で「トゥルサン・セレーの妻をかくまっていないか。友人なのは分かっているんだ」などと尋ねた。サリハは「知らない。夫妻とは何のつながりもない」ときっぱり否定した。

 

すると警官たちはいら立ち始め、口調も取り調べ手法も激しくなった。まず彼らはサリハを警棒で殴った。最初は背中を、その後は全身を。一番痛かったのは耳の後ろだ。イヤリングが砕けて散り、破片が床の上で跳ね返った。

 

釈放後も事実上の軟禁生活

しばらくすると、彼らは内側に鋲(びょう)が付いた手錠をサリハにはめた。手錠の両側を押すと鋲が肌に刺さり、手首から血が噴き出した。サリハは少しずつ感覚を失っていった。

 

それでも自白しないと、今度はサリハの両足に重い足かせをはめ、1階と2階の間の階段の隅に連れていき、鋲付きの手錠を壁の導管につないだ。痛みと疲れで眠れなかった。

 

「取調室」からは恐ろしい叫び声が聞こえてきた。サリハにとっては、建物全体が拷問部屋だった。

 

サリハは警察署に1カ月間拘束された後、署長に多額の賄賂を支払うことで釈放された。家族はサリハが自宅から半径6キロ以内にとどまること、常に監視下にあることを忘れないという同意書に署名した。事実上の軟禁だった――。

 

1998年7月、私は移住先のオーストラリアからグルジャを訪れた。3カ月前に中国軍に殺された甥の弔問が目的だったが、グルジャではそれより恐ろしいことが私を待っていた。サリハが全くの別人になっていたのだ。

 

以前は歌や踊りが大好きで明るかった彼女が、全くしゃべらなくなっていた。完全な人間不信に陥っていたのだ。

 

姪のサイドも、いとこのアブドゥメナンも、同じように身柄を拘束されたほかの大勢の人々もそうだった。あの残虐な経験を経て、彼らの中の何かが壊れてしまった。

 

翌月オーストラリアに戻る際、私はできる限り親族を連れて行こうと決心した。そして99年9月にはサリハもオーストラリアに来た。

 

サリハが拷問部屋での恐ろしい体験の一部を話せるようになるまで、20年以上の時間を要した。彼女は故郷を恋しく思っていたが、戻りたいとは思っていなかった。あの暗い拷問部屋の記憶が、彼女に付きまとっていた。

 

無視することは黙認すること

そして2016年。もう1人の姉妹であるメストゥレーとその家族がグルジャの強制収容所に送られたという知らせが入った。サリハと私は恐怖におののき、特にサリハは体調を崩してしまった。「連行」「逮捕」「拘束」という言葉は、私たちにとってこの世の終わりと同じなのだ。

 

中国政府はウイグル人の虐殺が国際社会の目に触れないよう全力で隠し、国外在住のウイグル人は「嘘をついている」と言い張る。

 

彼らは生き残ったウイグル人たちの信用できる証言を「フェイクニュース」や「欧米による陰謀」だと否定。中国が世界のリーダーとして台頭していることに「嫉妬している」アメリカが、中国に対する「戦争を起こす」切り札としてウイグル人虐殺を利用しているとまで主張する。

 

だが、ウイグル人は実際に数百万人単位で抑留されたり奴隷にされたり、臓器を摘出されたりしている。女性はレイプされ、望まない結婚や不妊手術を強要されたり、中国の医学研究所で実験台にされたりしている。

 

21世紀の今日にこんな残虐行為を許してはならない。たとえ中国がどんな経済的・政治的「利益」を国際社会に提供したとしてもだ。

 

 

2009年の騒乱で治安当局に立ち向かうウイグル人の女性(ウルムチ) GUANG NIU/GETTY IMAGES

 

グルジャ事件から24年。一連の残虐行為への説明責任は、一切果たされていない。実際、中国は今も90年代以降の抗議運動とつながりがある者を探し回り、グルジャ事件や2009年7月のウルムチ騒乱などの暴動に関わったとして数百万人を強制収容所に拘束している。

 

こうした弾圧は、中国が少しずつ組織的にウイグル人を地球上から(精神的にも文化的にも肉体的にも)排除しようとしている事実を裏付けている。

 

1月にアメリカが中国によるウイグル人弾圧をジェノサイド(集団虐殺)と認定したと聞いたとき、うれし涙があふれた。この認定はサリハのように苦しんできた女性たちに、いくらかの希望をもたらし、私たちに闘い続ける覚悟をくれた。

 

中国が新疆ウイグル自治区で行っていることを世界が無視するなら、虐殺を黙認することになる。同様の残虐行為がほかの場所でも行われることになるかもしれない。

 

アメリカはウイグル人の虐殺を認定するよう、他国にも促すべきだ。

 

そして、中国による残虐行為を生き延びた勇敢な女性たちを支援し、彼女たちの言葉を信じることが必要だ。彼女たちの物語は、国家による残虐行為に抵抗する上での強力な武器なのだ。

 

From thediplomat.com

 

(3月30日発売の本誌(Newsweek)「共産党と闘うウイグル女性」特集では、中国による「非道」の実態と勇気あるウイグル女性たちの反撃をリポートする。虐げられてきた人々が今、声を上げ始めた。各国政府、そして中国進出企業は「虐殺」を黙認していていいのか)