前回の続き。
1992年、ギリギリのところで優勝を逃したときは本当に悔しかった。ヤクルトが優勝を決めた瞬間、サンテレビを消して…泣いた。けど好きなチームが優勝に向かっていくという気分を初めて味わうことになった。この年に出現したのが今季限りで引退する新庄。当時は…というか阪神を去るまで、どういうわけかあまり好きじゃなかった。
そしてタイガースはまた弱くなっていく。吉田監督(日本一になった時の監督)や、野村監督が"テコ"は入れたけど、優勝が現実になるまでさらに時間を要した。それまでに新庄が敬遠のボールを打ってサヨナラ勝ちしたり、川尻のノーヒットノーランとかやらかしたり、面白い試合も年に数回はあったけど。
そして、結婚して仕事も忙しくなってきて、そしてワールドカップに押されたりして、ほんの少しずつ、タイガースから(野球から)気持ちが離れてきつつあった2002年、星野監督が少し面白くしてくれた。そして2003年…。
その年は開幕前から「ひょっとしたら…」と思っていた。それが確信に変わったのは4月末、甲子園の広島戦で4対10の"大"劣勢から、8回裏にホームランなしで9点(!!)取り、13対10とひっくり返した時だった。1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発のように《エポックメイキング》というのは、こんな事をいうのかもしれない。
そして9月15日の広島戦(広島多いね)、赤星がサヨナラヒットを打ったとき、少しだけグッときたけど…嫁がいたので我慢した。本当に泣いたのは…嫁が寝静まった夜遅く、優勝特別番組をビールを飲みながら見ていて「あぁ阪神ファンでよかった」と思いながら、しみじみと。
こういうのって、恋が成就するのとよく似ている感じかもしれないね。
1992年、ギリギリのところで優勝を逃したときは本当に悔しかった。ヤクルトが優勝を決めた瞬間、サンテレビを消して…泣いた。けど好きなチームが優勝に向かっていくという気分を初めて味わうことになった。この年に出現したのが今季限りで引退する新庄。当時は…というか阪神を去るまで、どういうわけかあまり好きじゃなかった。
そしてタイガースはまた弱くなっていく。吉田監督(日本一になった時の監督)や、野村監督が"テコ"は入れたけど、優勝が現実になるまでさらに時間を要した。それまでに新庄が敬遠のボールを打ってサヨナラ勝ちしたり、川尻のノーヒットノーランとかやらかしたり、面白い試合も年に数回はあったけど。
そして、結婚して仕事も忙しくなってきて、そしてワールドカップに押されたりして、ほんの少しずつ、タイガースから(野球から)気持ちが離れてきつつあった2002年、星野監督が少し面白くしてくれた。そして2003年…。
その年は開幕前から「ひょっとしたら…」と思っていた。それが確信に変わったのは4月末、甲子園の広島戦で4対10の"大"劣勢から、8回裏にホームランなしで9点(!!)取り、13対10とひっくり返した時だった。1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発のように《エポックメイキング》というのは、こんな事をいうのかもしれない。
そして9月15日の広島戦(広島多いね)、赤星がサヨナラヒットを打ったとき、少しだけグッときたけど…嫁がいたので我慢した。本当に泣いたのは…嫁が寝静まった夜遅く、優勝特別番組をビールを飲みながら見ていて「あぁ阪神ファンでよかった」と思いながら、しみじみと。
こういうのって、恋が成就するのとよく似ている感じかもしれないね。
追伸:猟虎は「りょうこ」「涼子」でもありません。
自分はもちろん阪神ファンだけど、去年(2005年)、一緒に観にいった倉敷の阪神-広島戦、ネクストバッターサークルで素振りをしている、その年で引退した広島の野村の背中が、なんか忘れられないなぁ。
今回「黒田だけは特別にルールを変えてでも」っていう広島の対応が、ちょっと気にかかるんよなぁ。
どうなるんでしょうか?黒田はピンストライプのタテジマを着るんでしょうか?