おっさんのライフサイズ(classic)

- 過ぎていったこと 選ばなかった道 何もかも、覚めてしまった夢と同じ -  『この世界の片隅に』より

そこにスタジアムがあった場所 3 大阪球場

2010-04-25 18:56:10 | 野球全般
数ヶ月前に途切れてしまった話の続き。過去そこがスタジアムだった場所シリーズ…第3弾は大阪球場(昨年冬に行った話です(爆))。ずーっと前に書いたことがあるんだけど、自分が初めて行った野球場でもあります。

大阪・ミナミの拠点、難波駅から南海線沿いに向かって歩いてすぐ。南海ホークスの本拠地であった大阪球場”跡”がある。毎度ながらその詳細やスペックはWikipediaをご覧下さい。ホークスの試合のみならず、近鉄バッファローズにも様々な関係で使用できなかった藤井寺球場の代わりにここも使用され、1979年の日本シリーズであの『江夏の21球』が生まれたのも大阪球場。阪神タイガースも準フランチャイズとしていた頃もある。コンサートでも度々使用され、マイケル・ジャクソンや尾崎豊、エリック・クラプトンもここでライブを行ったことがある。

現在は『なんばパークス』というオシャレ(死語)な複合商業施設に生まれ変わっているんだけど、9階には『南海ホークスメモリアルギャラリー』がある。文字通り、南海ホークスが1988年に福岡へ渡る日までの歴史を様々なアイテムで垣間見ることができる。トロフィーや日本シリーズ優勝ペナント、黄金時代を築きあげた鶴岡監督のスタジアムジャンパー、南海ホークス最後の監督となった杉浦のユニフォーム、”不惑の大砲”門田のバット…しかし噂で聞いていた通り…野村克也の文字と写真はどこにもなかった。本人(というかサッチー)からの要望とのことらしいけど、そこまで球団との確執があったのか…知る由はないけど、やっぱり違和感がある。これはどうにかならないの?




そして2階の通路にはホームベースとピッチャープレートが、球場があった当時と同じ場所に『メモリアルプレート』として埋められている。訪れたのは夕方だったから少し薄暗かったけど…写真を撮ったあと、ピッチャープレートを踏みしめながら辺りを見回す―グラウンドの真ん中で、360度スタンドがあるのをイメージしながら。自分がよく座っていた一塁側には大きなパークスタワーが建っている。



…やっぱり感傷的な気持ちになった。でもそれは寂しさでなく哀しさでもなく…すごくうれしく切ない気持ちだった。西宮球場は”おとぎ話を紐解く”、藤井寺球場は言葉は悪いけど”墓標をたどる”ようにその場で感じたんだけど、ここには今も大阪球場が存在しているような気がした。それがこの『メモリアルプレート』のせいかどうかは分からないけど、少なくとも自分の気持ちの”報い”になった。

色々あって自分はタイガースファンになったんだけど、今も”南海ホークス”へ対しての思い入れは少なからずある。それは初めての野球観戦の思い出と共に、自分の気持ちの奥底にあったんだけど、その”心の引き出し”を本当に久しぶりに開けて、中身を確認できたような気がした。それを忘れないために、その確認のために…また時間を見つけて、ここに来ようと思います。


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2 Comments

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Unknown (Boaz)
2010-04-26 06:56:04
ココはしっかりと匂いが遺されてるんだね。
やっぱり、ノムさんのがまったく無いのはおかしいし、悲しいよね…。

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ノムさん (おっさん)
2010-05-04 18:31:00
市民球場もそんな匂いを残してもらえるように…
ってか、まだ取り壊されてないじゃん。いっそそのまま残してもらって…。

ノムさんの件…どうやらサッチーが一枚絡んでるようですorz
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