アマノジャクの御託ならべ

チキンハートの一匹狼で天の邪鬼な私のゴタク集です。

罪と罰・・・

2008-05-31 | gooニュース
長崎市長射殺「選挙テロ」に下った死刑判決(読売新聞) - goo ニュース

昨年4月、当時の伊藤一長・長崎市長を射殺したとして、
殺人罪などに問われた元暴力団幹部の被告に、長崎地裁は死刑判決を言い渡した。

検察側は「選挙テロ」だと主張し、
裁判官も「暴力によって選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪い、
民主主義社会において到底許し難い犯行」と指摘した。

そして「動機や結果の重大性などを踏まえて、
被害者が1人であることなどを十分に考慮しても、
極刑を科すことはやむを得ない」・・・と。
また、死刑の理由として、
「同様事件の再発防止を求める社会的要請が大きい」ことをあげている。

マスコミ関係は、こぞって、この判決を支持しているようだ。
この記事の記者は、法と警察の連携で「暴力団犯罪」の厳しい取締りを要求し、
すべての組織が毅然と対応し「圧力をかけても無駄だ」ということを、
相手に理解させなければならない、と主張している。

どうも、ここに、言論の自由を大義名分にした扇動力を誇る、
メディア組織としての本音が隠れているみたい・・・。

世論はおおむね「死刑判決は妥当」という評価のようだし、私もそう思う。
ただ、殺人行為の「オトシマエ」としては「妥当判決」と考える私にとって、
同様の犯罪を防ぐ「ミセシメ」としての「死刑」を支持する論調はチョッと違うかな。

人殺しは、どんなカタチであれ、最も残虐で凶暴な極悪犯罪だと思う。
だから、どんな理由があったにしても、絶対に犯してはいけない罪なのだ。

その殺された人が、政治家だろうが、パートのおばさんだろうが、
いたいけな子供だろうが、家族の居ない老人だろうが、
屈強のプロレスラーだろうが、無職のホームレスだろうが、

また、その殺人者が、暴力団だろうが、ワーキングプアだろうが、
少年だろうが、心神喪失者だろうが、
もちろん、たとえそれが「私」であっても、

誰でも「殺人という罪には、極刑という罰が妥当」だと思う。

そして、殺したその動機が、理不尽なウラミだろうが、正当な憎しみだろうが、
快楽殺人だろうが、仇討ちだろうが、虐待だろうが、シツケだろうが、

被害者が一人だろうが複数だろうが、
その殺人に、計画性があろうがなかろうが、
その後、逃亡しようが自首しようが、反省しようがしまいが、
その殺人の結果が、民主主義を揺るがす問題であろうが、なかろうが、

全て「殺人という罪は、極刑という罰に値する」と思う。

殺人とは、それほど、取り返しのつかない大罪であり、
絶対あってはならない犯罪なのだ。私の中では。

・・・しかし、私のような、無能凡人の小市民一人くらい、
どのような理由で、どのような殺し方をしても、
たぶん、その殺人者は極刑にはならない・・・だろうね~。

最新の画像もっと見る